第十四章:青と白と、あなたとわたし

「ふふ〜、やっぱプールって青春って感じですよね〜!」


そう言いながら、リアは足首まで水に浸かってバシャバシャとはしゃいでいた。

最初は怖がってたくせに、徐々にテンションが上がってきていた。


「おい、無理すんなって」


「だいじょーぶですって! ほら、ちょっとくらい……!」


そう言って、リアは足を滑らせるように一歩深い方へ踏み出した──その瞬間だった。


「──ッ、わ、わわっ!?!?!」


ドボン!という鈍い水音。


リアの身体がバランスを崩して、水中に沈んだ。


「っ、おいリアッ!!」


慌てて駆け寄って、水をかき分ける。


リアは──

必死にもがきながら、まったく前に進まず、腕だけで水面を叩いていた。

目は開いてるのに、完全にパニック。


「バカかお前はッ!」


俺は腰まで水に浸かって、腕を引っ張るようにして引き上げた。

リアの身体は軽くて、力が入ってないのが分かった。


水面から顔を出すと、リアはぶはっ、と大きく息を吐いて咳き込んだ。


「げほっ……げほっ……」


「大丈夫か」


「だ、大丈夫……ちょっと、びっくりしただけ……っ」


震えた声で笑おうとしてたけど、全身ずぶ濡れで髪も肌も真っ白で、どう見ても余裕なんか無い。


それでも無理に笑ってる姿に、思わず目を奪われた。


(……なんだよ、こいつ)


青く濁った水の中に浮かぶ白い髪。

ぐちゃぐちゃに乱れた表情と、水を滴らせた睫毛。


さっきまでの“調子のいい後輩”じゃない。

ちょっとした不器用さと無防備さのせいで、俺は思わずドキッとしてしまった。


「……お前、泳げないくせに」


「う……」


「つーか、普通に危ないって。ほんと、死ぬぞ?」


「……助けてくれたから、いいじゃないですか」


小さな声でそう言うリアは、なんだか少しだけ、昔のリアに重なった気がした。



~~~



プールから上がった後、俺たちはプールサイドの売店でアイスを買った。

チューブタイプのソーダ味。懐かしさに惹かれて、なんとなく同じものを選んでいた。


「は〜〜〜〜冷たい……生き返る……」


リアがくてっとタオルに包まりながら、アイスをちゅーっと吸っていた。


俺も一口。冷たい甘さが一気に口に広がる。

その瞬間、ふと──記憶のどこかに引っかかった。


(……これ、前にも)



~~~



ぼんやりと蘇る。

小さい頃──幼稚園の園庭。

リアが泣き止んだあと、隣に座ってアイスを食べていた記憶。


同じソーダ味。

リアが嬉しそうに頬張って、そのあと、


「……あたまキーンってなった……」って顔をしかめていた。


(……まさか)



~~~



思い出しかけたその時。


「きーんってしましたぁ〜〜〜」


隣から、あの間抜けた声。


振り返ると、リアが口を半開きにしながら頭を抱えていた。


「やっぱこれキますね〜。ソーダって罪深い……」


俺は、思わず黙り込んだ。


あの時と、同じセリフ。

同じタイミング。

同じ仕草。


記憶の中のリアと、今のリアが──ぴたりと重なった。


「……リア、お前」


「ん?」


「……いや、なんでもねえ」


リアは、にっこりと笑った。

その笑顔に、ゾクリとするほどの既視感があった。



〜〜〜〜〜〜



第十五章:埋められた輪郭



プール施設を出たあと、俺たちはバス停までの坂道を歩いていた。


日が傾いて、影が長く伸びていた。

プールの水の匂いが、肌にうっすらと残っている。


リアはさっきまでの調子から少しトーンを落としていて、

手に持ったタオルを指でくるくると巻きながら歩いていた。


しばらく無言だった。

蝉の声だけが鳴っていて、俺たちの靴音と交互に響いていた。


そのとき。


「先輩」


リアの声がした。

高すぎず、低すぎず、でも明確に意図を感じるトーン。


「……もしかして、昔のこと──思い出してくれましたかー?」


まるで答えを知っていて聞いてくる教師のような、

それでいて無邪気に問いかける子供のような、そんな声だった。


俺は返事をしなかった。

リアは笑ったまま、顔を向けない俺に続けて言った。


「やっぱり。アイスで、気づいたかなーって」


「……」


「じゃあ、約束……覚えてますよね?」


「……」


「ずっと、そばにいてくださいよ。

あの時、守ってくれるって言ってくれたじゃないですか」


それは、声というより──訴えだった。


俺は何も言えなかった。

リアを置き去りにした自分と、再会に気づけなかった自分。

いまリアと並んで歩いている現実が、重たくのしかかっていた。


そのまま、リアの家の前まで来た。


「今日はありがと、先輩。アイス、また食べましょ」


リアはにこっと笑って、家の中へ入っていった。

ドアが閉まる音が、やけに大きく聞こえた。



~~~



帰り道。


夕方の空は赤く染まりかけていて、夏の蒸し暑さが少しだけ和らいでいた。


でもその空気の中で、ふと気づいた。


(……月乃のこと、午後ずっと……思い出してなかった)


怒らせたままのこと、気まずさ。

何か言わなきゃって思ってたのに。


リアといる間、その全部が頭から抜けていた。


家に着いて、制服を脱ぎながらスマホを確認する。


通知はない。

月乃からのLINEも来ていない。


(……俺から、何か送ろう)


そう思ってトーク画面を開く。


「今日は、ごめん」

「話したいことがある」

「ちょっと聞いてほしい」


何度も打ちかけては、消した。


どの言葉を選んでも、何かが違った。

何を言っても、“あの午後”を帳消しにできる気がしなかった。


結局、俺はスマホの画面を閉じた。


トーク欄には、「未送信」の文字が、

ただ静かに残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る