第48話 秘密の重さとぎこちない距離

 ピロン。


 月曜日の朝。学校へ行く準備をしていると、私のスマホが軽快な音を立てた。

 画面に表示された一件のLINE通知。送り主は――『篠宮 湊』。


 その名前を見ただけで、私の心臓が、どきりと嫌な音を立てた。


『雪村さん、おはよう。この間の文化祭、お疲れ様。占いの館、すごかったな。それで、もしよかったらなんだけど、花火大会の時のお礼に、今度どこか二人で出かけない?』


 簡潔で、ストレートな、お誘いのメッセージ。


 どうしよう。

 どう返事をすれば、いいんだろう。


 嬉しいとか、ドキドキするとか、そんな感情は全く湧いてこなかった。

 ただ、重たい鉛のようなものが、胃のあたりに、ずしりと居座ったような感覚。

 みのりちゃんの顔が、脳裏に浮かぶ。

 先輩を、好きで好きで仕方ない、あの子の顔が。

 私は返信ができないまま、そっとスマホの画面を伏せた。


 その日から、学校の空気が、少しだけ変わってしまった。

 いや、変わったのは空気じゃない。

 私と、みのりちゃんの間の――距離感だ。


「おはよう、みのりちゃん」

「……おはよ」


 朝の挨拶をしても、みのりちゃんは、少しだけ目を逸らす。

 昼休み、いつもは二人で食べていたお弁当も、

「ごめん、今日、委員会の集まりあるから」と、断られてしまった。


 放課後、一緒に帰ろうと声をかけても、

「ごめん、今日、自主練していくから」と、そっけない返事が返ってくる。


 ――みのりちゃんが、私を避けている。

 それは、もう明らかだった。


 原因は、わかっている。

 文化祭のあの日。

 私が、篠宮先輩と連絡先を交換してしまったからだ。

 そして、みのりちゃんは、おそらくそのことを知っている。

 でも、みのりちゃんは何も言わない。何も聞かない。

 でも、その沈黙こそが、何よりも雄弁に、彼女の心の壁を突きつけていた。


 私も、どう話しかければいいのか、わからなかった。


『あのね、みのりちゃん。実は、篠宮先輩にデートに誘われてて……』


 そんなこと、言えるはずがない。

 言ったら、この、かろうじて保たれている脆い友情は、完全に壊れてしまう。

 言えない。

 だから、私もまた、みのりちゃんから少しだけ目を逸らしてしまう。


 秘密は、まるで、じわじわと広がる毒のように、私とみのりちゃんの関係を、静かに蝕んでいった。

 そんな私たちのぎこちない関係に、最初に気づいたのは――静さんだった。


 放課後の魔法研究同好会。

 魔方陣の修行に、まったく集中できていない私を見て、静先生は、ふうと小さく息を吐いた。


「……あかりさん。何か悩み事でもあるの?」

「え……」

「最近のあなたは、心ここにあらずといった様子よ。マナの流れもひどく乱れている。友人関係で、何かあったの?」


 静さんの、すべてを見透かすような静かな瞳に見つめられると、

 私は、もう隠し通すことはできなかった。


 私は、ぽつり、ぽつりと、文化祭からの出来事を正直にすべて話した。

 篠宮先輩のこと。みのりちゃんのこと。そして、返信できずにいるLINEのこと。


「……真実は、時に、人を傷つけます」


 静さんは諭すように、静かに言った。


「でも、偽りは、もっと深く、そして長く、人を蝕んでいくものよ」

「……」

「あなたがその秘密を抱え続ければ、あなたも彼女も、ゆっくりと壊れていくだけ。たとえ一時的に関係が壊れたとしても、本当の友人なら、必ずまた元に戻れるはずよ」


 静さんの言葉は、いつも通り、厳しくて、そしてどこまでも優しかった。


 ――わかっている。

 わかっているんだ。


 みのりちゃんに、正直にすべてを話すべきだってことくらい。

 でも、怖い。

 みのりちゃんを傷つけてしまうのが、怖い。

 そして、みのりちゃんに嫌われてしまうのが、何よりも怖い。

 私は、その一歩を、どうしても踏み出せずにいた。



 そんな私たちのぎこちない空気に、追い打ちをかけるような出来事が起こった。


「ねえ、雪村さん」


 ある日の昼休み、クラスメイトのサキちゃんが、ひそひそ声で私に話しかけてきた。


「篠宮先輩、雪村さんのこと狙ってるって、マジ?」

「え……!」

「文化祭の時、占いの館で連絡先交換したんでしょ?

 それで、デートに誘ったって、スケート部のマネージャーの子が言ってるのを二組の由美ちゃんが……」


 その噂は、あっという間に学年中に広まっていった。

 廊下を歩いているだけで、好奇と少しの嫉妬が入り混じった無数の視線が、私に突き刺さる。

 一番つらかったのは、その噂を、みのりちゃんがどんな気持ちで聞いているんだろう、と考えてしまうことだった。


 翌日。学校に行くと、みのりちゃんは、いつもよりさらにピリピリとした空気をまとっていた。


「畑中、どうした! 今日、全然集中できてねえぞ」


 みのりちゃんは朝練をしているグラウンドで、コーチに厳しい声で叱責されていた。


「すみません……」


 みのりちゃんは、そう言って俯くだけ。


「おい、畑中。なんか、悩み事か?」


 一緒に練習していた篠宮先輩が、心配そうに声をかける。


「……なんでもないです、先輩。ちょっと疲れてるだけですから」


 そう言うと、みのりちゃんは篠宮先輩に背を向け、一人、黙々とスライドボードで滑り始めてしまった。


 その背中は、あまりにも頑なで、私が声をかけられるような隙はどこにもなかった。


 私とみのりちゃんの間の見えない壁は、日に日に厚く、そして高くなっていった。


 会話が減った。

 笑顔が消えた。

 一緒に下校することも、なくなった。


 私のスマホには、篠宮先輩からの『忙しいかな?』という追い打ちのLINE。

 みのりちゃんは、スケートの練習に、ますます身が入らなくなっていく。


 悪循環。


 すべてが、悪い方向へと、転がり落ちていく。


 どうして、こんなことになってしまったんだろう。

 私は、ただ――みのりちゃんと、今まで通り笑っていたかっただけなのに。


 秘密という名の、小さな石ころ。

 そのたった一つの石ころが、私たちの友情という穏やかだった湖に、

 こんなにも大きな波紋を広げてしまうなんて。


 夜。自室のベッドの上で、私はテトをぎゅっと抱きしめていた。


「……どうしよう、テト。私、どうしたらいいんだろう……」

「ニャア……」


 テトは何も言わずに、ただ、私の頬を、ざらりとした舌でそっと舐めてくれた。

 その不器用な優しさが胸に沁みて、涙が、ぽろりとこぼれ落ちた。

 窓の外で、寂しげに鳴く虫の声だけが、

 私の孤独な部屋に、静かに響いていた。

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