高校3年生編
第5話
高校3年生、ついに受験生になった。
第一志望は県内屈指の名門大学。
「はい、じゃあこれにて解散」
今、この瞬間に一学期が終わった。合格に向けた勝負の夏休みが始まる。
電車に揺られ、行く先はとあるオフィスビル。
受験生になって塾に通うようになったのは、大きな変化である。
塾のカードをピッとかざし、開いたゲートをくぐる。
クラス一個は入りそうなエレベーターに乗り込み、目的の階へと向かう。
今日は授業はないものの、自習室を利用しにやってきた。
中には僕のライバルとなる多くの高校生たちのピリピリとした空気が流れている。
しかし、一人だけ異質な存在がいた。
幽霊のようにふわふわとしてつかみどころのなさそうな美しさを持つ長髪に、白銀の雪世界のような真っ白なワンピース。小さくてくるっとしたかわいい顔の中にはビー玉のような澄んだ瞳。
彼女は机に向かっているわけでもなく、入り口で僕を待っていたようだ。
「君のこと、待ってたよ~!」
そう少女が口にした時、僕は不覚にも「かわいい……!」とは――思わなかった。
その瞬間、すべてを思い出したのだ。
そう、あの創作に捧げた夏を。
せっかく忘却へと追いやったと思った、あの夏を。
僕は、思わずその場を逃げ出した。
エレベーターを待つなんて悠長なこともせず、階段を一気に駆け降りる。
息を上げながらもダッシュして、最寄り駅へと向かう。
一度も、振り返ることはなかった。
都合の良いことに僕が改札を通った瞬間に電車がやってきた。
『駆け込み乗車はおやめください。次の電車をご利用ください』
そんなアナウンスも無視して電車へと飛び乗る。
電車の扉が閉まり、僕は強制送還されるのである。
◇
なんとか自宅の最寄り駅までたどり着いた。一安心と言ったところだろうか。
しかしなぜだろう。このまま家に帰る気にはならなかった。
「……そうだ」
家の近くの交差点は反対方向に曲がり、『あの場所』へと向かうことにした。
理由なんて特にない。ただの思い付きだ。
いや、妙な直感とも言えるかもしれない。
だけど、今こそ行くべきだ、そう思ったのだ。
カランカラン、と音を鳴らせてながらドアを開けると、全く変わらないお姉さんがいた。
「いらっしゃい、久しぶりだねぇ」
「お久しぶりです、雪乃さん。ブレンドコーヒーでお願いします」
僕は以前と同じカウンター席へと座ろうとするものの、「ちょっと待って」と雪乃さんが引き留めた。
「今日はね、お代はいらないわ」
「え!? どうしてですか?」
「いいのいいの、とりあえず座ってて待っててね」
今日は割引の日でもなければ、第一コーヒーが無料の喫茶店なんてありえない。
僕には店主の考えていることがわからなかった。
「お待たせ。今日はサービスよ」
そういって僕の前に一杯のコーヒーを差し出す雪乃さん。
「でも、本当にいいんですか? コーヒーが無料の喫茶店なんて聞いたことありませんよ? お水じゃあるまいし」
しかし雪乃さんは首を横に振り、「いいのよ、また来てくれたんだもの」と少し寂しそうに言った。
「一体、どういうことですか?」
僕は何もわからずそう聞くと、店主はゆったりとしたジャズ音楽を背景にゆっくりと話し始めた。
◇
君が去年出会ったあの女の子、いるじゃない?
私もね、高校生の時に出会ったことがあるの。今と全く変わらない姿でね。
あの子はね、昔からあんな感じだったの。
夏になったら文章を書いている高校生をどこからともなく見つけてきて、彼らの書いた小説を集めているみたい。
そして冬になったらその中でも特に素晴らしい作品を選んでね、その作者と春にデートをするの。
そうして一年を過ごしている不思議な存在、それが彼女なの。
強いて言うなら、『物書きの青春』が実体化した存在、かしらね。
実はね、この喫茶店。意外と同じような境遇のお客さんも過去に何人か来ていたんだよね。
あの子に選ばれたお客さんも居なかったわけではないんだけど、その大半はやっぱり君と同じように悲しい思いをしていたの。もっとも、私もその一人だったりするんだけどね。
中にはせっかく始めた創作活動と一生縁を切る人もいたり……ね。
だから、君がまたここに来てくれて本当によかったよ。
私ね、この喫茶店を始めてから、同じようなお客さんを応援したいという夢があったんだ。
君が次に来店してくれたら「君の小説は悪くなかった、ちょっと時の運がなかっただけ」って言おうと思っていたんだけど、あの日以来全く来ていなかったじゃない?
すべては私が声をかけるのが遅かったから。
また一人面白い小説を書く人を失ってしまった。そう思って後悔したんだ。
もっと早くこのお話はするつもりだったんだけど、ごめんね。
あのさ、これはあくまでも提案なんだけどさ。
今年もさ、あの子に認められるように頑張ってみない?
もちろん、無理にとは言わないし、本人の意思を尊重するよ。
どっちの道を選んだとしても、君のこと、応援しているからね。
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