第3話
「いらっしゃぁい」
「こんにちは、雪乃さん。今日もブレンドコーヒーで」
喫茶かすみで一日の大半を過ごすようになって、店主の雪乃さんとの距離も一気に近づいた気がする。
最初はあの子がそう呼んでいたから「雪乃さん」と呼んでいたのだが、次第に打ち解けていったのだ。
「あのさぁ、ちょっといいかしら?」
普段はあまり口を出さずそっと見守ってくれるのだが、今日は向こうから話を切り出してきた。
「あなた、小説を書いてるじゃない? 私にも見せてくれないかしら?」
「ま、まぁ。いいですけど……」
せっかく書いたのだし、あの少女にだけ見せるのもなんかもったいない気がして、僕は同意することにした。
僕からデジタルメモを受け取った雪乃さんはじっくりと作品を眺めていた。それを待っていた僕は、壁にかかっている振り子時計の往復回数を数えていたのだが、回数を忘れてしまうほどの時間が経っていたようだ。
ふぅ、と一息ついて雪乃さんは口を開いた。
「なるほど、ジャンルは現代ドラマだね。だけど擬人化法を使った軽いファンタジー要素もある」
ほんわかした雰囲気のお姉さんからは想像もつかないようなペラペラとした喋りっぷりで、僕はちょっと驚いた。だけど、雪乃さんの本領はここからだった。
「転生にリサイクルとルビが振ってあるのがユニークで面白いね」
「構成もちゃんと起承転結を使えている。軽いタッチの中に深いテーマ性が織り込んであるのもいいね」
「だけど、読後の印象が薄いかな。もうちょっと描写を足すことで強い印象になる気がするわね」
この人、本気だ……! そう思った瞬間だった。
僕の書いた文章が、ちゃんと人に届いている。僕以上にこの作品のことについて考えてくれている。
それがただただうれしくて、思わず目が潤った。
「まぁ、こんなとこかしらね」
「おぉ……ありがとうございます……」
初めて僕の作品を人に読んでもらったその日は、確かな夏の思い出になった。
◇
「やっほ~、今週も来たよ~!」
そんなこともありながら一週間が経ち、また少女がやってきた。
「どう? 先週のお題はできた? ――って、その表情だと自信作ができたみたいだね!」
「あぁ」
「じゃあさ、早速見せてよ!」
僕はコクリと頷いてデジタルメモを少女に手渡す。すると彼女は早速僕の隣に座り、じっくりと読み始める。
――彼女の瞳に僕の文章はどう映っているのだろうか。それが気になって気になって仕方がなかった。
じーっと彼女を眺めている僕に気を留めず、ただただカフェの音楽をバックに文章をスクロールする時間が過ぎる。
そして……
「うん、読んだよ! 楽しかった!」
その声を聞けて、椅子の下で思わず足を跳ね上げる。
彼女に読んでもらえた。それだけで嬉しかった。
少し彼女に近づけた、そんな気がした。
◇
そんな風に毎週のお題をこなしているうちに、8月も最終週になってしまった。
「これが最後のお題ね! 発表します。テーマは――」
最後のお題、そう聞くと胸が締まるような思いを感じる。
彼女が毎週来てくれる日々も、これで終わりだということだから。
「ん? 顔色悪そうだけど、どうかした?」
「……いや、なんでもない」
そうふんわり気遣ってくれる彼女もまたかわいくて、本当の想いを言い出せずにいた。
もっと君と居たい、そういえれば楽なのに。なぜかそういえない自分がもどかしい。
――――僕にできることは、文字を紡ぐことだけだ。
そうすれば彼女にもっと近づけるはず。その一心で残り僅かの夏を駆け抜けることにした。
◇
書いた、書いた。とにかく書いた。
頭に浮かぶ気持ちのカケラをひとつ残らず物語にした。
宿題なんてやるわけもなく文字を紡いだ。夜を徹して原稿を作った。
そして、それが楽しかった。
全ては、彼女に「素敵だね」みたいなことを言ってもらうため。
僕の夏は、あの子に捧げるって決めたから。
◇
そうしてやってきてしまった、8月31日の夜。
憂鬱な感情が渦巻くといわれるこの夜に、僕はすがすがしい気持ちでいた。
それはなぜか? そう、以前から書いていた長めの小説をついに書き上げたからだ。
我ながらよくできた小説だった。自信作としかいう他なかった。
これなら、あの子も振り向いてくれる。そう確信した一夜だった。
「それはそうと、宿題やらなきゃ」
机に向かって大量の課題と格闘しながらも、悪い気はしなかった。
なんてったって、今の僕は最高に無敵だったからだ。
むしろ、創作漬けの夏を過ごしてよかったと思っている。
だって、この作品を作り出すことができたのだから。
◇
9月に入ってから1週間ほどが経過したある日。
「当分来れなくなっちゃうんだ」
珍しく少女が喫茶かすみに来ていたと思ったら、それは僕にとって非常に残念なお知らせだった。
「次に来るのは多分12月末とかになると思う」
…………
「ねぇ!」
「どうしたの?」
僕は思わず声を出していた。
「最後に一作、書けたんだ。せっかくだからそれも見てくれないかな?」
「……わかった、しょうがないぁ」
そうやってジト目な彼女もかわいい。
内心ではそう思いながらも、彼女にプリントした原稿を渡した。
「あっ! もう時間がないんだった。次来た時には感想を言うから、それまで待っていてくれない?」
少しがっかりはしたものの、それよりも自信作を彼女に読んでもらえることがうれしくて、快く了承した。
こうして、彼女の反応を待ち遠しに過ごす日々が始まる。
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