第15話 笠木の隠し事

「えっと、『超自然派』……?」

「そうだ。この団体は『本来あるべき自然を取り戻す』というのを目的に活動しているらしい」

「聞いている限りだと、他のNPOやボランティア団体なんかと同じような類いに思えますね」


 その反応を待っていたと言わんばかりに八雲は「うむ」と頷いた。


「だが、ここの団体について調べてみると、あまり良い話が見つからないんだ。なんでも、自然のためならば手段を選ばないらしい」

「と、いうと?」

「『動物を解放するため』と言って家畜を全て道路に放ったり、『地球を汚す悪だ』といってガソリン車を破壊したりといった具合だ」

「「うわあ……」」


 想像のななめ上を行く話に二人ともため息しかでなかった。

 特にガソリン車は一部のマニアにとってロマンとも言えるもので、その分初期費用も維持費もバカにならないと聞く。そんなものを壊されでもしたら、本人はたまったもんじゃないだろう。


「笠木さんもこんなことをしていたのでしょうか?」

「まだ断定はできんが、JSTLの研究員という立場を利用して何か良からぬことを企んでいたのは確かだな」


 はあ、と大きなため息をついた八雲の心境が思い浮かばれる。これからやってくるであろう後始末の数々を考えると、シワが増えるのは必死だろうな。

 八雲のこれからを案じて胸の中で合掌していると、画面に別の資料が映し出された。


「これは?」

「笠木宛てに届いていた文書だ。何重にもロックがかけられていたフォルダの奥底から発掘したんだが、ひとまず目を通してくれ」


 八雲に促されるままに、紫音たちは資料に目を通し始めた。そしてすぐに、言葉を失ってしまった。


「これは……」

「なかなかに衝撃的だろ?」

「はい。つまるところ、『第2調査団を事故に見せかけて始末した後、しばらくは山奥に身を潜め、四日目以降に城下町で回収部隊と落ち合う』、という指令を笠木に出したということか」


 紫音がまとめると、葵はぽんと手を合わせた。


「だから城下町にいたんですね」

「そうだ。だが実際に救助に向かっていったのは君たちだった。笠木は想定外の事態にめっぽう弱い。だから笠木と接触すれば、動揺から一悶着起こるのではと予想した。それに特殊任務隊の二人もついていたから、おそらく捕まえて帰ってくる可能性が高い。ただ一方で、笠木が武装して抵抗する、あるいは隙をついて一人で帰還するという可能性もゼロではない。あらゆるケースを考えた結果、機動隊を招集することにしたんだ」


 八雲の思考の真相を知った紫音は思わず舌を巻いた。

 そこまで考えたうえで機動隊を招集していたとは驚きだ。さすが、JSTLの所長を務めているだけはある。


 ここでふと、いじわるな疑問が頭の中に浮かんできた。


「でももし、笠木と接触できずに帰ってきていたら、どうするつもりだったんですか」

「そのときは、笠木を捜索するための人員をすぐに送り込んでいたさ。ボディーガードとなる特殊任務隊の分の荷物も事前に準備してはいたが、結果的に使わずに済んだのは君たちのおかげだ」

「いや、今回は本当に偶然ですよ。礼を言うなら、私たちと笠木を引き合わせた運命とやらにするべきです」


 冗談交じりに返すと、八雲は「たしかにそうかもしれんな」と言ってくしゃりと笑った。


 しかし、すぐに動き出せるよう準備までしていたとは、やはり食えない男だ。もっとも、そうした入念さが『時間遡行』というナイーブで発展途上の領域で起きるトラブルの拡大を防ぎ、JSTLの立ち位置を確固たるものにした所以でもあるのだが。

 改めて、よくできた人だと感心しながら資料を見返していると、また新たな疑問が降りてきた。


「待てよ。この文書が笠木に向けて書かれたものなのだとしたら、他の仲間もこの研究所に潜んでいる可能性もあるのでは?」


 独り言のようなトーンでつぶやいたその言葉は、八雲の耳にしっかり届いていた。


「ああ。村雨くんの言うとおりだ」


 淡々と紡がれたその言葉が土で汚れた床に落ちていく。笠木のような思想を抱いている奴がまだ身近にいるという事実が、背中をこわばらせた。


 葵も似た感情を抱いているようで、トラウマから来る恐怖と動揺が入り交じったような色が全面に現れていた。そんな彼に目を向けた八雲は少しだけ表情を緩ませると、「ただし」と優しい声で付け加えた。


「その点については心配無用だ。この文書をしたためた研究員も特定し、お縄についてもらったよ。他にも、関与が疑われている研究員が二名ほど拘束されている。捕らえた研究員曰く、『笠木が捕まれば全滅だ』とうなだれていたそうだ」

「それを早く言ってくださいよ。葵が小動物みたいになっちゃってるじゃないですか」

「あはは。悪かった。別に脅かすつもりはなかったんだがな」


 ちょっとした冗談が効いたのか、八雲は気の緩んだような笑みを見せた。つられて肩の力が抜けたところで、ふと見落としかけていた違和感が急速に目の前へと躍り出た。


「所長、今回のような事故が起こった時、捜索に派遣する人というのはいつも直感で判断しているんですか?」

「長年の経験による勘だ」


 あくまでもそのスタンスは譲らないらしい。


「後は、類似の事例も参考にしたりもするな。もしかして、何か気づいたのかな?」

「はい。所長がそのように判断されるというなら、『超自然派』の研究員が必ずしも捜索隊に選ばれる訳ではないはずです。そうなると、この『回収部隊』というのはいったいどうやって派遣するつもりだったのでしょうか?」


 そう尋ねると、八雲は顎に手を添えながら首を横に振った。


「それについては、私もまだ結論がつけられていない。拘束した研究員から何かしらの情報を聞き出せれば良いんだが」

「そうですか……」


 八雲でも分からないのであればお手上げだ。

 なんだかもやもやとした気持ちを抱えながら上を見上げると、時計がちょうど定時を示した。


「とりあえず、だ。今回の件は他の所属員に明かしていない部分も多い。くれぐれも内密に頼む」

「分かってますよ」


 あくびを噛み殺しながら告げると、八雲は少しだけ呆れ笑いを見せてから部屋を後にした。


「んじゃ、私たちも帰るとするか」

「そうですね。いろいろありすぎて、もうクタクタですよ」


 その後、いったん自分の研究室に戻って荷物をまとめてから紫音はJSTLの玄関口をくぐった。お手洗いに行ってくると告げた葵を待っている間に、鼻から思いっきり外の空気を吸い込んだ。


 さまざまな不純物が混ざり合った空気の味はとても褒められたようなものではない。しかし、この匂いを胸いっぱいにため込むと、いつだって「ああ、故郷に帰ってきたんだ」と実感させてくれる。


 遅れてやってきた後輩と一緒に、おぼろ月を見上げながら家までの道のりを歩いていく。何でもない話をしながら帰路につくというのも、ずいぶん久しぶりのように感じた。

 この後、研究所に傘を置いてきたことに気づき、軽く落ち込むことになるということを、このときの紫音はまだ知るよしもなかった。

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