第14話 息の詰まる出会い

「おっと、これはいったいどういうことかな?」


 想定外の展開に冷や汗が背筋を伝った。

 すると正面に立った一人が一歩前に立ち、

「笠木貴教たかのりの身柄をこちらに渡せ」

と、強い口調で要求してきた。


 特に応じない理由もないので、紫音は後ろの二人に目線を送った。合図を受け取った堀越が背中をトン、と押すと、笠木は大人しく機動隊の方に歩いていった。


 機動隊の手が伸びる寸前、笠木は少しだけこちらを振り返った。不適に持ち上がった口角が何を意味するのか、少なくとも何かよからぬことであるのはたしかだ。彼の言う「ことの行く末」が決して明るい未来ではないという証拠を掴まねば。


 そう心に決めたところで、聞き馴染みのある声が上から降ってきた。


「二人とも。よくぞ無事に戻ってくれた」

「所長!」


 彫りの深いその顔を見た瞬間、ひどく安心感を覚えた。心が少々参っている状態だと見慣れた顔は良薬に成りうるのか、と考えたその矢先、迷彩服に身を包んだ背の高い男が八雲に歩み寄った。


「八雲所長」

「おお、権堂ごんどう長官。いらしていたとは」


 握手を交わしたその男がこちらに向いたその瞬間、紫音と葵は体がこわばった。まるで蛇に睨まれた蛙になった気分だ。八雲と同じく彫りが深い顔をしているが、その目には強い意志のようなものが宿っている。長官というだけあって体はがっしりしており、細身の八雲と並ぶとひときわ大きく見えるのは気のせいだろうか。


「この者たちが?」

「ええ。二人とも優秀な研究員です」


 八雲が手を伸ばせば、権堂もこちらに目を向ける。そんな当たり前の動作であるはずなのに、体が勝手に強ばってしまう。


「お二方、捜索ご苦労様でした。堀越隊員と和泉隊員はいかがでしたか?」

「そ、それはもう大いにお力添えいただきました。おかげでこうして笠木も捕らえることができましたし」

「お役に立てたようなら何よりです」


 それだけ言い放つと権堂は再び八雲に向き直った。

 二人の会話を話半分に聞きながら紫音は頭の中でひとり「なるほど」と腑に落ちていた。言葉の裏に感じた冷徹さといい、隙の見えない静かな気迫といい、二人が「信長と似ている」と言っていた理由がなんとなく分かった気がしたからだ。これはたしかに逆らえない。


「では、私は本部に戻ります。何かあれば、ご連絡を」


 静かに言葉を残した権堂の背中を見送ると、途端にどっと疲れが押し寄せてきた。


「ふう」

「息が詰まりました。お二人の言うとおり、すごい気迫でしたね」

「ああ、まったくだ」


 やれやれというように紫音は頭を横に振った。

 これでようやく一息つける。

 そう思ったのもつかの間、今度は横から「ここにいたのですか」と八雲に話しかける女の声が聞こえた。


 彼女の顔を見た瞬間、紫音はあからさまに顔をひきつらせた。細ぶちのメガネにサバサバとした性格を彷彿とさせる黒いショートヘア、そして一切油断を見せぬピンとした姿勢に見覚えがあったからだ。


「私の同僚の守下もりしただ。笠木の上司を務めていて、主に動物の生態について研究している」


 紹介を受けた守下は頭をピシッと下げた。頭から指先に至るまで、無駄のある動作が一個も見当たらない。素晴らしすぎて反吐が出そうになる。

 それに名前を聞いて、ある嫌な記憶もよみがえってきた。


「村雨さん、桜田さん。この度は私の部下を連れ戻していただき、ありがとうございました。あなたの口から『拘束』という言葉が出た時はいささか驚きましたが」


 守下は眉一つ動かさず、淡々と言葉を並べて言った。そこからは感情の類いが全くといっていいほど読み取れない。彼女が人間に扮した高性能ヒューマノイドだというのであれば納得がいくが、それを証明するほどの材料はなんら揃っていない。だから今のところは紫音と同じ、赤い血の通った人間だと見なすしかないのだ。


「ええ、こんな状況になってしまったことについては、残念と言わざるを得ないでしょう。ですが、驚いたという割にはずいぶんと落ち着いているようにも見えますが?」

「こちらでも動きがありましたので。それについてはきっと、八雲の方から説明があるでしょう」


 そう言われて八雲に目を向けると、彼は小さくうなずいた。


「では、私はやることがあるので、これにて」


 先の長官と同様、静かに言葉を残すと守下はすぐさま歩き去っていった。ハイヒールが鳴らすカツ、カツという足音さえ、彼女の気高さが表れているように聞こえてしまい、すぐさま耳を塞ぎたくなった。


「はあ」

「先輩?」

「あの人苦手だわぁ……」

「どうしてですか?」

「あの人、私が学会発表の練習してる時にめちゃくちゃいちゃもんをつけてきたんだよ。『話し方が研究者らしくない』とか、『お辞儀が浅い』とか言われてさ」


 若干の皮肉を混ぜ込んだ声真似で愚痴っていると、八雲は苦笑いを浮かべた。


「はは、懐かしいな。紫音がここに来て二年目ぐらいのことだったか?」

「そうですよ。でも、まだ笑えるような思い出にはなってないです」


 幾年が過ぎた今でも納得いかないと口を尖らせたところで、葵が話題を切り替えるように「そういえば」と話し始めた。


「どうして、あんなに機動隊がいたのでしょうか?」

「たしかに、葵の言うとおりだ。和泉たちも知らないように見えたが」

「さっき、守下も言っていただろ?『動きがあった』と。実は君たちに見せたいものがあるんだ。その答え合わせも含めて、もう少し付き合ってくれないか」

 

 八雲に連れてこられたのは二階にある小さな研究室だった。西日が差し込んでいるせいで、中の様子がよく見えなかった。

 扉を開けると、植物らしい青臭さがもわっと香ってきた。


「ここは?」

「笠木の研究室だ。さ、中に入ってくれ」


 まるで自分のもののような口ぶりに思わず突っ込みたい衝動に駆られた。だが、よくよく考えれば所長なのだからあながち間違ってもないのか?と思いつつ、紫音も後に続いた。


 部屋には多種多様な植物がそれぞれ透明なケースの中で静かに背を伸ばしていた。中には花が咲いているものもあり、色ひとつとっても見慣れたものからビビッドなものまで実にさまざまだ。純粋に興味をそそられるが、それを解説できるほどの専門家はあいにく連行されてしまった。


「それで、見せたいものっていったい何ですか?」

「実は笠木のパソコンから興味深いものが見つかったんだ。これを見てくれ」


 八雲が顔を上げると、ホログラムのモニターにひとつの文書が写しだされた。

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