第4話「無縁街へ」前編

 天海に連れられ、警視庁ビルの地下へと降りていく。一般の捜査車両が並ぶ区画を抜け、さらに鉄扉を越えた先に許可車両専用エリアがあり、そこに黒いエルグランドが静かに佇んでいた。


 天海は車に乗り込みエンジンを始動させる。助手席に七瀬。後部座席にはサングラスに黒いジャケット姿の柳生桃馬。そして、朱い……一見すると、細長い楽器ケースのように見える布袋を肩から掛けた和服姿のサクラが乗り込んだ。


「さあ出発だ。楽しい遠足の始まりだぜ」

 桃馬が軽口を叩き、車は滑るように地下駐車場を飛び出した。

 車は高級車で、車高も高く非常に乗り心地が良い。だが七瀬は、これから自分がどこへ向かうのか不安で仕方なかった。


「あ……あの……天海さん……今から向かうのはどこですか?」

「『無縁街むえんがい』だよ」

 後部座席から桃馬の声が飛んだ。

「む……無縁街!?」


『無縁街』──港区青海の再開発から取り残された埋立地。

 破綻したプロジェクトの残骸に、犯罪者・不法滞在者・暴力団が流れ込み、いまでは警察でさえ単独では踏み込めない治外法権のスラム街だ。

 そのため、そのエリアはいつしか闇の住人が巣食う無縁街、と言われるようになり、警察官である七瀬も、絶対に単独では入るな、と言われていた禁忌の場所だった。


「な……何でそんなところへ……?」

「昨日、お前にストリップをさせた奴等の残党がそこにいるんだよ」

 桃馬の言葉に、七瀬の脳裏には昨日のテロリストたちの姿が浮かび、背筋が凍った。

「コナンが調べたところによると、今なら全員アジトにいるらしい。叩き潰す絶好のチャンスだ」

 桃馬は欠伸まじりで言う。


「でも桃馬、いきなり神崎さんを任務に同行させるのは──」

「うるせえなあ、ババア、コイツが七番目の隊員に相応しいかどうかを見極める良い機会だろうが」

(……こんな口の利き方をする人が許される世界なの?)

 七瀬は、桃馬が天海に対してあまりに無遠慮な口調で話すことに心底驚いていた。


「神崎さん、現場まで少し時間がかかるから、補足説明させてもらうわ」

 しかし、天海は桃馬の口調を気にした様子もなく、口を開いた。

「貴女が配属された部隊は、名前の通り、任務を隠密に遂行する特殊部隊。『SIT』や『SAT』との最大の違いは、犯罪者の確保より制圧が第一優先される……すなわち、犯罪者を粛清することを第一に考えるの」

 七瀬は昨日の銃撃現場を思い出した。唐突に撃たれたテロリスト、硝煙と血の匂い──。


「現在のメンバーは六人」

 天海はミラー越しに桃馬を一瞥した。

「No.1、『柳生桃馬』、ヤタガラスを統べる隊長」

「ああ、だからお前も『隊長』って呼べよ、それから、俺の言うことは絶対服従だからな」

 後部座席から桃馬の軽口が飛ぶ。

「No.3はさっき部屋にいた『コナン』。ハッキング、電子戦、情報工作──あらゆる裏側を担うヤタガラスの頭脳よ」

 天海は淡々と説明をする。

「それから、No.2、4、5、6は現在別任務中だから、また紹介するわ。それと、私がヤタガラスの最高責任者」


 七瀬は天海の説明を聞いて、ミラー越しに後部座席を見た。サクラが見える。

「あ、あの……天海さん……」

「何?」

「桃馬さんの隣にいるサクラさんは補佐って言われましたが、桃馬さんとは、どういう関係……」

「おい! 気安く人の名前呼んでんじゃねえ! 『隊長』って呼べ、って言ってんだろうが!」


 怒鳴る桃馬を制するように天海が口を挟む。

「サクラ──犬神紗倉は桃馬を補佐する立場であり、付き人よ」

「つ……付き人!?」

 七瀬は思わずサクラに振り返った。細身の身体に桜色の和服が良く似合う。年齢がどれくらいか分からないが、香り立つような色気があった。

 そして、付き人……そう言われても、どう見てもただの従属ではない異様な気配が二人の間にはあった。


「さて、そろそろ現場に着きそうだけど、後は何か質問ある?」

 天海が質問したので、七瀬は昨日の事件のことを尋ねた。

「あの……昨日の事件の場に隊長とサクラさんがいましたが、あれは……?」

「ああ、あれも作戦のうちよ、コナンがアイツらのパソコンにハッキングして、ベイフロント9区を襲撃する情報を掴んだの。それで、桃馬には相手を油断させるために変装させていたのよ」

(へえ……)

 七瀬は再びミラー越しに桃馬を見た。昨日の面影は全くなく、よく化けたものだと感心していた。


 やがて、車はレインボーブリッジを渡りきる。目的地が近づいている。車の数は急に少なくなった。観覧車が遠くでさびしく佇んでいる。

「さあ、着いたわ」 

 天海がブレーキをかけて車を停止させた。


 車を降りた七瀬は、思わず息を呑んだ。

 その街には、生き物の気配がほとんどなかった。まるで東京の片隅にぽっかり空いた死んだ土地のようだった。

 道路脇には使われなくなった倉庫が並び、壁には剥がれかけた落書き。昼前だというのに、明かりの届かない路地は闇に沈んでいる。

 倉庫の隙間を吹き抜ける風は、潮と油の臭いが混じって、胸の奥にざらつくように残った。


 地図には存在するのに、誰も近づかない街──無縁街。そこは法と社会から切り捨てられた者たちが流れ着く終着地だった。



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