いせてん~異世界演出部ですが、転生者がバカすぎて現地フォローしてきました~

月祢美コウタ

第4話 女王陛下(パートタイム)の定時退社は絶対です!~魔導回路まであと1箇所でもお迎えが来ます~

女王陛下(パートタイム)の定時退社は絶対です!

~魔導回路まであと1箇所でもお迎えが来ます~


私、桜井サクラ――もとい、ルミナリア王国王妃サクラは、今日もまた二つの世界の狭間で板挟みになっていた。

朝の王城。

鏡の前で、エレオノーラ侍女長に髪を結い上げてもらいながら、私は心の中で今日のスケジュールを確認する。

午前中は王妃教育。

午後は異世界演出部での勤務。

そして夕方には、アレスとのティータイム。

「陛下、少々お顔が強ばっておりますわ」

エレオノーラの声に、私ははっと我に返る。

「あ、ごめんなさい!ちょっと緊張してて...」

「本日は演出部へのお勤めでしたわね。心配なさらずとも、私とギデオンがしっかりとお守りいたします」

そう、それが問題なのだ。

王妃になって数ヶ月。

アレスの「サクラには自分のやりたいことを続けてほしい」という言葉に甘えて、私は週に数回、異世界演出部に「復帰」させてもらっている。

でも、その度に...

「陛下、準備が整いました」

ギデオン騎士が、完全武装で現れる。

いや、オフィスに行くのに、その重装備は必要ないから。

「ギデオン、前も言ったけど、演出部は戦場じゃないから...」

「女王陛下の護衛に、手抜かりがあってはなりません」

真面目な顔で断言される。

もう、言っても無駄だと分かっているけど。


転移ゲートの前。

アレスが心配そうな顔で待っていた。

「本当に大丈夫かい?無理はしないで」

「大丈夫です!お仕事ですから!」

私が元気よく答えると、アレスは私の手を取り、胸元のペンダント――王家の紋章が刻まれた、彼がくれたお守り――にそっと触れた。

「必ず、時間通りに帰ってくるんだ」

その言葉に、私は頷く。

「はい!」

笑顔で手を振りながら、私はゲートをくぐる。

その背後から、完全武装のギデオンと、完璧なドレス姿のエレオノーラが続く。

ゲートが閉じる寸前、アレスが小さくため息をつく姿が見えた。

ごめんね、アレス。

でも、これも私なんだ。


異世界演出部オフィス・午前10時

「...田村さん、今日はサクラの出勤日ね」

美咲先輩が、カレンダーを見ながら呟く。

田村さんの左眼が、ピクッと痙攣した。

「...ええ。そうね」

深呼吸をする田村さん。

その様子を見て、美咲先輩がコーヒーを淹れる。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、美咲。私はプロだもの。どんな状況でも冷静に対処できるわ」

そう言いながら、田村さんは引き出しから胃薬を取り出した。

その瞬間、オフィスの空間が歪み、ギャップ女神が現れる。

今日は神秘モード。

長い銀髪を靡かせ、威厳に満ちた表情で――

「重大なる報告がある」

「...どうされました?」

田村さんが、営業スマイルで応える。

でも、左眼の痙攣が加速している。

ギャップ女神が、ふっと表情を崩した。

そして――

「サクラちゃんがぁぁぁぁ!!王妃教育受けながらぁぁぁ!!職場復帰したいってぇぇぇぇ!!!めっちゃ燃えてるのぉぉぉぉ!!!」

超ハイテンションモード爆発。

オフィス中に響き渡る黄色い声。

美咲先輩は、冷静にコーヒーを飲みながら言った。

「...それは良いことだと思いますが」

「問題はね、美咲」

田村さんが、遠い目をする。

「彼女が『一人で』来られるかどうかよ」

その言葉の意味を、私はゲートの向こうから聞いていた。

そして、時間通りに。

午後2時。

魔法のゲートが開く。

「おはようございまーす!久しぶりの現場、超楽しみです!」

私は元気いっぱいに飛び出した。

そして――

ガチャン、という重厚な音と共に、完全武装のギデオンが続く。

「女王陛下の護衛、サー・ギデオン。本日も陛下の安全を確保いたします」

さらに、エレオノーラが優雅に降り立つ。

「女王陛下の侍女長、レディ・エレオノーラと申します。本日の陛下のお勤め時間は、午後2時より午後5時まで。3時間厳守でお願いいたしますわ」

田村さんの左眼が、限界突破した。

「...やっぱりね」


「あの、エレオノーラ、ギデオン」

私は二人に向かって、小声で言う。

「ここは演出部だから、もうちょっと...その...」

「陛下」

エレオノーラが、凛とした声で言う。

「あなたは王妃です。どこにいても、その品位を保たねばなりません」

「でも...」

「それに」

ギデオンが、オフィスの隅々を見渡しながら言う。

「この『オフィス』という場所、初めて訪れますゆえ、まずは安全確認が必要かと」

そう言って、ギデオンは壁を叩き始めた。

コンコン、コンコン。

「...壁の強度、問題なし。窓、施錠確認...」

「ギデオン!それ必要ないから!」

私が慌てて止めようとすると、エレオノーラが美咲先輩のデスクを見て、眉をひそめた。

「まあ...!陛下が共に任務にあたる方のお机が、これでは...」

資料が山積みになった美咲先輩のデスク。

「我が国の威信に関わりますわ。少々、整頓を...」

「触らないでください」

美咲先輩が、冷静に、しかしきっぱりと言った。

「この資料の配置は、私の作業効率を最大化するために計算されています」

「しかし...」

「触らないでください」

美咲先輩の目が、冷たく光る。

エレオノーラが、わずかに後退した。

私は、両者の間に割って入る。

慌てて両手を合わせる。

「お願い、エレオノーラ!そこは美咲先輩の聖域(サンクチュアリ)なの!」

「せ、聖域...?」

「研究資料の山に見えるけど、あれは先輩の頭の中そのものだから!私からもお願いだから、今はそっとしておいてあげて!」

エレオノーラが、困惑した顔で資料の山を見る。

「...で、ございますか...?」

「...サクラ、余計なことを」

美咲先輩の冷たい声が飛んでくる。

私は、冷や汗をかきながら笑顔を作った。

「あ、あはは...」

そして、田村さんがデスクから立ち上がった。

「皆さん、落ち着いてください」

営業スマイル。

でも、左眼がピクピクしている。

「サクラ、お帰りなさい。お二人も、ようこそ異世界演出部へ。ただし、ここは戦場でも王宮でもありません。普通のオフィスです。どうか、普通に過ごしてください」

「普通、とは?」

ギデオンが、真顔で聞く。

田村さんの左眼が、さらに加速した。


「では、ご説明いたしますわ」

エレオノーラが、懐中時計を取り出す。

「女王陛下の本日のお勤めは、午後2時より午後5時まで。きっかり3時間です。それを過ぎた場合、いかなる理由があろうとも、陛下を王宮にお連れいたします」

「3時間...」

田村さんが、呟く。

「その間に、任務を完遂しろと?」

「それがプロフェッショナルというものではありませんの?」

エレオノーラが、にっこりと笑う。

田村さんの左眼が、もはや制御不能になった。

私は、両手を合わせる。

「田村さん、本当にごめんなさい...!でも、頑張ります!3時間で終わらせます!」

「...サクラ、あなたのせいじゃないわ」

田村さんが、優しく微笑む。

でも、その笑顔が少し引きつっている。

そして、彼女はパソコンを開いた。

「ちょうどいいわ。緊急の案件が入ったところ。サクラと美咲、二人で行ってもらえる?」

「はい!」

私と美咲先輩が、同時に答える。

田村さんが、画面を見せる。

そこには、機械と蒸気に満ちた街の映像が映っていた。

「機械都市『ヴォルガン』で、街全体に張り巡らされた魔導回路網が連鎖崩壊を起こしているわ。このままだと、街全体が爆発する」

「原因は?」

美咲先輩が聞く。

「...転生者」

田村さんが、深くため息をついた。

「3時間前、一人の転生者が街の中枢である魔導炉『ヴォルガンの心臓』に侵入。『鑑定』スキルで炉を調べた後、突然『隠しダンジョン発見!オープン!』と叫びながら、炉心に直接触れて魔力を注ぎ込んだらしいわ」

「...は?」

私と美咲先輩の声が重なる。

「炉心は外部干渉を想定していない設計。異物の介入でセーフティが誤作動、過負荷が連鎖して回路が崩壊を始めた。その転生者は、『ヤベ、俺何かやっちゃった?』と言い残して、どこかに消えたそうよ」

「...またか」

美咲先輩が、遠い目をする。

私も、同じ気持ちだった。

「任務は、崩壊の原因特定と回路の遮断。サクラの魔力探知能力と、美咲の技術力があれば、できるはずよ」

「了解しました」

美咲先輩が頷く。

「サクラ、行くわよ」

「はい!」

私も立ち上がる。

その瞬間、ギデオンとエレオノーラも立ち上がった。

「当然、私たちもお供いたします」

「陛下の安全が第一ですわ」

ああ、そうだった。

私は、二人を見上げる。

「...お願いします」

田村さんが、最後にこう付け加えた。

「ああ、それと。現在時刻は午後2時15分。サクラのリミットまで、あと2時間45分ね」

エレオノーラが、懐中時計を確認する。

「承知いたしました。では、2時間45分以内に世界を救えばよろしいのですわね?」

田村さんの左眼が、ついに限界を迎えた。

カチャリ、と引き出しから小さな瓶を取り出す音が、静かに響いた。

「...胃薬、どこかしら」


転移ゲートをくぐった瞬間、私の鼻を突いたのは、油と煤と蒸気の匂いだった。

「うっ...」

思わず顔をしかめる。

目の前に広がるのは、王宮とは正反対の世界。

巨大な歯車が回り、蒸気が噴き出し、無数のパイプが街中を這うように張り巡らされている。

機械都市ヴォルガン。

技術と労働で成り立つ、灰色の街。

「まあ...!」

エレオノーラが、すぐさまハンカチを取り出して口元を押さえた。

「労働者の街ですのね...!この、油の匂いと煤煙...!陛下、お召し物が汚れてしまいますわ!」

「大丈夫、大丈夫!」

私は手を振るけど、エレオノーラは既に私の周りにバリアのような魔法陣を展開し始めている。

「空気清浄の結界を...!」

「エレオノーラ、それやると目立つから!」

一方、ギデオンは。

「陛下、この蒸気は有毒の可能性があります!」

完全に私の前に立ちはだかり、壁になっている。

「街の構造も不安定です。いつ崩落してもおかしくありません!ここは危険すぎます!即刻、王宮への撤退を...!」

「ギデオン、落ち着いて!ここの人たち、普通に生活してるから!」

実際、街の人々は煤だらけの作業着で、忙しそうに行き来している。

誰も気にしていない。

私たちの方が、よっぽど異質だ。

美咲先輩が、小さくため息をついた。

「...サクラ、すごく申し訳ないけど、二人を何とかして」

「はい...頑張ります...」

その時、一人の技術者が駆け寄ってきた。

顔は煤だらけ、目は血走っている。

作業服は汗と油でびっしょりだ。

「演出部の方ですね!?助かった!このままじゃ街が...!」

「状況を説明してください」

美咲先輩が、冷静に聞く。

技術者は、息を切らしながら答えた。

「3時間前です。一人の転生者が、『ヴォルガンの心臓』――街の中枢魔導炉に侵入したんです」

「侵入?セキュリティは?」

「『隠密』スキルとかいうので、するりと...。そして炉の前で『鑑定』スキルを使って、突然...」

技術者は、頭を抱えた。

「『おっ、隠しダンジョン発見!?レアアイテムあるかも!オープン!』って叫びながら、炉心に直接手を突っ込んで、魔力を注ぎ込んだんです...!」

「...は?」

私と美咲先輩の声が重なる。

「炉心は外部干渉を絶対に想定していない設計なんです!異物――転生者の魔力が介入したことで、セーフティプロトコルが誤作動。過負荷が連鎖して、街中の魔導回路が次々と崩壊を始めて...!」

技術者の説明を聞きながら、私は遠い目をした。

ああ、またか。

「その転生者は?」

美咲先輩が聞く。

「警報が鳴った瞬間、『ヤベ、俺何かやっちゃった?』って言いながら、どこかに消えました...『逃走』スキルとかいうので...」

美咲先輩の表情が、一瞬だけ険しくなる。

でも、すぐに冷静さを取り戻した。

「分かりました。崩壊の状況は?」

「現在、街の魔導回路の約60%が暴走中です。中枢システムで物理的に回路を切り離せば被害は最小化できますが...」

「問題は?」

「崩壊の『起点』――過負荷が始まった場所がどこにあるか、特定できないんです。魔力の流れが複雑すぎて...」

その言葉に、私は前に出た。

「それなら、私に任せてください!」

技術者が、驚いた顔で私を見る。

「魔力探知、得意なんです。崩壊の起点、見つけます!」

美咲先輩の目が、光った。

「...いけるわね」

「はい!」

私たちが頷き合った瞬間、エレオノーラが割って入った。

「お待ちください。陛下が危険な場所に赴くなど...!」

「でも、私にしかできないことだから!」

「それでも...!」

「エレオノーラ」

美咲先輩が、冷たい声で言った。

「あなたは、この街の人々全員より、サクラ一人の方が大切なの?」

エレオノーラが、言葉に詰まる。

「それは...女王陛下の安全は、何よりも...」

「だったら、黙ってサポートに徹して。私たちの邪魔をしないで」

美咲先輩の目が、本気だ。

エレオノーラが、唇を噛む。

私は、二人の間に入った。

「美咲先輩、エレオノーラを責めないで。エレオノーラは、私を守ろうとしてくれてるだけだから」

そして、エレオノーラに向き直る。

「エレオノーラ、信じて。私、ちゃんと帰ってくるから」

「...陛下」

エレオノーラの目が、少し潤む。

でも、彼女は深く息を吸い、姿勢を正した。

「...承知いたしました。ただし、時間厳守です。現在、午後2時30分。あと2時間30分で、必ずお迎えに参ります」

「はい!」


技術者が、街の地図を広げる。

「崩壊の起点は、全部で5箇所と推定されます」

美咲先輩が、地図を見ながら作戦を組み立てる。

「作戦はシンプル。サクラが魔力探知で起点を特定。私が中枢システムで該当回路を切り離す。これを5回繰り返す」

「所要時間は?」

「1箇所あたり、探知と移動で10分、システム操作で15分。計25分として...」

美咲先輩が、素早く計算する。

「5箇所で2時間5分。ギリギリね」

エレオノーラが、懐中時計を見る。

「25分の遅延も許されませんわね」

「分かってます」

美咲先輩が、鋭く答える。

そして、私を見た。

「サクラ、行くわよ」

「はい!」


【1箇所目:地下貯蔵庫】

街の地下、第3貯蔵庫。

私は目を閉じ、魔力を研ぎ澄ませる。

街中に張り巡らされた魔導回路の「流れ」が、感覚として伝わってくる。

正常な流れは、穏やかで安定している。

でも、その中に...

「...ある。ここ、流れが歪んでる...」

目を開けると、貯蔵庫の奥、巨大なパイプの接続部分を指差す。

「あそこ!」

美咲先輩が、端末を操作する。

画面に複雑な回路図が表示され、彼女の指が光のように動く。

「該当回路、特定。遮断シーケンス起動...」

ピッ、という電子音。

「遮断完了」

その瞬間、歪んでいた魔力の流れが、すっと消えた。

「やった!」

私が喜ぶと、美咲先輩が時計を見る。

「所要時間20分。次!」


【2箇所目:北の工場地区】

工場の煙突の近く。

巨大な歯車が回る音が、耳をつんざく。

「...ここ!」

私が指差すと、美咲先輩が即座に端末を操作する。

「遮断!」

ピッ。

「完了。次!」

所要時間25分。

エレオノーラが、時計を確認する。

「午後3時15分。順調ですわね」

でも、その声には少し緊張が混じっている。


【3箇所目:東の居住区】

住宅街の地下。

子供たちが遊んでいる公園のすぐ下に、魔導回路が走っている。

「...近い!ここ!」

美咲先輩が、急いで操作する。

「急ぐわよ!子供たちの真下よ...!」

彼女の指が、さらに速く動く。

「...遮断完了!」

ピッ。

私たちは、安堵のため息をついた。

所要時間30分。

「現在、午後3時45分」

エレオノーラが告げる。

「残り2箇所。お時間は、あと1時間15分ですわ」

ギデオンが、周囲を警戒しながら言った。

「陛下、お疲れではありませんか?」

「大丈夫!あと2箇所!」

私が笑顔で答えると、美咲先輩が地図を見る。

「次は...街の中心部の地下深く。移動に時間がかかるわ」

「行こう!」


【4箇所目:中心部地下深層】

階段を降りる。

どんどん深く、深く。

蒸気と熱気で、息苦しい。

ギデオンが、降りかかる小石を剣で払いながら、私を守る。

「陛下、足元にお気をつけください!」

「ありがとう、ギデオン!」

そして、辿り着いた。

古びた扉。

軋んでいる。

扉の上には、錆びついた警告プレートが。

『危険:高密度魔力区域。許可なく立ち入るべからず』

「サクラ、この中よ!急いで!」

美咲先輩が言う。

でも。

その瞬間、ギデオンが私の前に立ちはだかった。

「お待ちください!」

扉を指差す。

「『危険』と書いてあります!」

「知ってるわよ!だから急いてるんでしょう!?」

美咲先輩が、苛立った声を上げる。

でも、ギデオンは動かない。

「いえ、王妃殿下をこのような危険区域にお連れすることは、私の騎士道に反します!」

「ギデオン!」

私が呼びかけるけど、彼は真剣な顔で続ける。

「まず私が内部の安全を確認し、その後、陛下のための安全な通路を確保いたします。所要時間、約1時間!」

「それじゃ街が爆発しちゃう!」

「街の安全と女王陛下の安全、天秤にかけるまでもありません!」

ギデオンの目は、本気だ。

美咲先輩が、ギデオンに詰め寄る。

「いいからそこをどきなさい!」

「陛下のためです、一歩も引けません!」

二人が睨み合う。

時間が、無駄に過ぎていく。

エレオノーラが、時計を見て呟く。

「...午後4時10分」

私は、覚悟を決めた。

深く息を吸う。

そして、きっぱりと言った。

「...ギデオン。これは命令です。どいてください」

ギデオンの目が、驚きに見開かれる。

「...っ!陛下...」

彼の表情に、葛藤が浮かぶ。

忠誠心と、職務。

私を守りたい気持ちと、私の命令。

そして。

「...御意」

ギデオンは、渋々、道を譲った。

私は、扉を開ける。

中は、魔力で満ちていた。

空気が、ビリビリと震えている。

「...ここ!」

私が、部屋の奥の魔導回路を指差す。

美咲先輩が、端末を操作する。

「...プロテクトが厳重。時間がかかる...」

彼女の顔に、汗が浮かぶ。

私は、ギデオンの方を見る。

彼は、扉の外で、じっと私を見つめていた。

その目には、自責の念が浮かんでいる。

10分が過ぎる。

「...遮断完了!」

ピッ。

私たちは、部屋を出る。

「やった!あと1箇所!」

私が言うと、エレオノーラが時計を見る。

「...午後4時50分。陛下、ギリギリですわ」

ギデオンが、自責の表情で俯く。

「...申し訳ございません、陛下。私のせいで、時間を...」

私は、彼の肩に手を置いた。

「ギデオンは悪くないよ!」

彼が、顔を上げる。

「私を守ろうとしてくれたんだもん。ありがとう、ギデオン」

「...陛下...」

ギデオンの目が、少し潤む。

でも、私は笑顔で言った。

「さあ、最後の1箇所、行こう!」

美咲先輩は、ふいと顔をそむけるようにして、小さく呟いた。

「...優しすぎるのよ、あなた」

その声に混じった温かさを、私は聞き逃さなかった。


最後の起点。

私は、街の中心にそびえる巨大な塔――中央制御塔を見上げた。

「...あそこ」

私が指差すと、技術者が青ざめた。

「『ヴォルガンの心臓』...街で最も複雑な回路が集中している場所です...!」

美咲先輩が、地図を確認する。

「登るしかないわね。行くわよ、サクラ!」

「はい!」

私たちは、塔へと駆け出す。

エレオノーラが、時計を確認しながら続く。

「現在、午後4時55分。あと5分で、午後5時ですわ」

「分かってます!」

美咲先輩が、階段を駆け上がりながら叫ぶ。

私も必死に続く。

息が切れる。

足が重い。

でも、止まれない。


塔の最上階。

巨大な魔導炉『ヴォルガンの心臓』が、不気味に脈動している。

炉心は、赤く光り、ビリビリとした魔力が空間を震わせている。

「...ここ」

私は、炉心を指差す。

「最後の起点。ここを止めれば...!」

美咲先輩が、中央の制御盤に向かう。

「(端末を接続)最後のプロテクト解除...!」

彼女の指が、光のように動く。

でも、画面には複雑なセキュリティが次々と表示される。

「...厳重すぎる...!」

美咲先輩の額に、汗が浮かぶ。

私は、炉心に手をかざす。

魔力を感じる。

暴走する、歪んだ流れ。

「(魔力を送り込む)...待って。もう少し...!」

私の魔力で、暴走を少しでも抑える。

美咲先輩の作業時間を稼ぐために。

街全体が、揺れ始める。

制御盤の画面に、カウントダウンが表示される。

【システム崩壊まで:01:00】

「あと1分...!」

美咲先輩が、必死にキーを叩く。

【00:50】

私は、全神経を集中する。

炉心の魔力。

暴走する流れ。

それを、私の魔力で包み込む。

「頑張って...!もう少しだから...!」

【00:40】

美咲先輩が、叫ぶ。

「サクラ、持ちこたえて!あと少し!」

「はい!」

【00:30】

街全体が、大きく揺れる。

瓦礫が降りかかる。

「陛下!」

ギデオンが、私を庇って瓦礫を剣で弾く。

「ありがとう、ギデオン!」

【00:20】

美咲先輩の指が、最後のキーに向かう。

「あと10秒!」

【00:15】

私は、全魔力を炉心に注ぎ込む。

「あと少し!あと少しでこの街が...!」

【00:10】

美咲先輩が、叫ぶ。

「あと5秒!」

【00:05】

その瞬間。

スッ...

私の後ろに、寸分の狂いもなく、魔法のゲートが開いた。

静かに。

確実に。

中から現れたエレオノーラが、懐中時計をパチンと閉じる。

「女王陛下。午後5時をお伝えいたします」

その声は、凛として、揺るぎない。

「本日のお勤めは、これにて終了ですわ」

私は、振り返る。

「えええ!?」

思わず叫ぶ。

「ちょ、エレオノーラ、待って!今!今世紀最大にいいところだから!あと5秒!5秒で街が救えるから!」

でも、エレオノーラは微動だにしない。

「王妃殿下の健康と、国王陛下とのお約束が、この世界の運命より優先されます」

「でも...!」

「それが私の職務ですので」

美咲先輩が、振り返る。

「あなた鬼!?空気読んで!あと5秒よ!?」

でも、エレオノーラは首を横に振る。

「申し訳ございません。しかし、これは譲れません」

ギデオンが、私の腕を恭しく、しかしガッチリと掴む。

「陛下、お迎えの時間です。さあ、馬車(ゲート)へ」

「いやあああ!待って!美咲先輩ごめんなさーい!!」

私は、絶叫しながらゲートの中に引きずられていく。

技術者が、呆然とする。

「え、え!?」

美咲先輩は、一瞬だけ呆然とした。

そして。

「...っ!」

彼女の目が、鋭く光る。

指が、最後のキーを叩く。

【00:01】

システム音:『回路遮断完了』

【00:00】

タイマーが停止する。

街の揺れが、止まる。

魔導炉の暴走が、収まる。

一人、煤だらけの制御室で、美咲先輩は天を仰いだ。

「……あの職場(王宮)、労基(労働基準監督署)とかないのかしら……」


【ゲートの中】

引きずられながら、私は後ろ髪を引かれる思いで振り返る。

「美咲先輩...ごめんなさい...!」

涙が溢れそうになる。

ゲートの出口が見えてくる。

その向こうには、待っていたアレスの姿が。

私がゲートから飛び出した瞬間、彼は駆け寄って私を抱きしめた。

「お帰り、サクラ。無事で何よりだ」

その温かさに、涙が溢れる。

「...ごめんなさい。私、仕事、最後までできなくて...」

「何を謝る必要がある?」

アレスは、優しく私の頭を撫でた。

「君は約束を守ってくれた。それが一番大切なことだ」

その言葉に、私は彼の胸の中で、静かに泣いた。


【王城・バルコニー/その夜】

月が綺麗な夜。

私は、アレスと二人、バルコニーで優雅にお茶を楽しんでいた。

夜風が心地よい。

アレスが、カップを置いて、私を見る。

「お疲れ様、サクラ。今日のお仕事はどうだった?」

その優しい声に、私は遠い目をした。

「はい……」

カップを持つ手が、少し震える。

「同僚に、世界の命運を押し付けて帰ってきました……」

「そうか」

アレスは、全く悪気なく、穏やかに微笑む。

「時間通りに帰ってこられて何よりだ。君の健康が一番だからね」

その言葉に、私は力なく笑うしかなかった。

「...ですよねー」

アレスは、私の手を取る。

「サクラ。君が二つの世界で頑張っていることは、分かっている」

「アレス...」

「でも、私は君に無理をしてほしくない。君が笑顔でいてくれることが、私の一番の願いだから」

その真っ直ぐな目に、私は頷く。

「...ありがとう、アレス」

彼は、私の額に優しくキスをした。

「おやすみ、サクラ」

「おやすみなさい、アレス」

私は、彼の優しさに包まれながら、でも心の片隅で思う。

美咲先輩、大丈夫かな...。


【異世界演出部オフィス/深夜】

深夜のオフィス。

静かだ。

私は、一人、パソコンに向かっていた。

画面には、二つの文書が開いている。

一つ目。

【ヴォルガン魔導回路暴走事件・業務報告書】

担当:美咲、サクラ

結果:解決(被害:最小限)


■原因

転生者カイト(推定20代、日本出身)による、

街の中枢魔導炉への不適切な物理的接触

および意味不明な詠唱行為(「オープン!」)。


■備考

当該転生者は現場から逃走済み。

追跡は女神担当部署に引き継ぎ。


■所感

パートナーは時間厳守で強制退勤。

最後の作業は単独で完了。

今後の対策が必要。

私は、深いため息をつく。

そして、二つ目の文書を開く。

【対・王宮スタッフ用 業務延長交渉マニュアル(全128ページ)】

目次:


第1章:侍女長との交渉術(基礎編)

1-1:時間厳守の鉄則を理解する

1-2:例外を認めさせる論理構築

1-3:「陛下の意思」を最大の武器にする方法


第2章:騎士への論理的説得法

2-1:安全確認時間の短縮交渉

2-2:「命令」を使わせないテクニック

2-3:騎士道と任務の両立を説く


第3章:緊急時の+5分確保テクニック

3-1:「あと5秒」の説得力を高める方法

3-2:視覚的プレゼンテーションの活用

3-3:最終手段:国王陛下への直談判


第4章:王様が来た場合の対応

4-1:絶対に勝てない相手の見極め

4-2:代替案の提示による妥協点の模索

4-3:諦めも肝心


付録:王宮スタッフ心理分析データ

私は、真顔でキーボードを叩く。

カタカタカタカタ。

第5章の執筆を開始する。

【第5章:子供が同行した場合の対応】

田村さんが、言っていた。

「次は、もっと大変になるかもしれないわよ」

私は、コーヒーを一口飲む。

冷めている。

でも、気にしない。

「...次は、こうはいかないわ」

私の目には、獲物を狙う狩人のような、静かな決意が宿っていた。

画面の右下に、時刻が表示される。

【午前2時37分】

まだまだ、仕事は続く。


【完】

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