第7話 ダチと、初めての戦果

「……へっ。……上等、じゃねえか……」


 竜二は、ガス欠のまま、地面に大の字になると、悪態をつくように笑った。


「……アンタ、なかなか……ヤンキーの才能、あんだろ……」


 その言葉に、ソフィアは一瞬きょとんとした顔をする。だが、すぐに自分が成し遂げたことの重大さと、竜二が無事であることに安堵し、へなへなと座り込んだまま、再び涙が溢れてきた。


「……はぁ……はぁ……。やった……。やった、よ……竜二……!」

「……ああ。アンタのおかげで、助かった……」


 竜二は、地面に寝転がったまま、かろうじて動く指で泉の方を指差した。


「……悪い、ソフィア。水……取ってくれ。もう、動けねえ……」

「! う、うん! すぐ!」


 ソフィアは慌てて涙を拭うと、まだ震える足で泉に駆け寄り、両手で聖なる水をすくう。そして、先ほどと同じように、竜二の口元へと運んだ。

 数回、それを繰り返す。聖水が竜二の体内に満ちていき、枯渇していた魔力が、ゆっくりと回復していくのを感じた。


「……ふぅ。……やっと、人間に戻れたぜ……」


 竜二はゆっくりと上半身を起こす。

 全快には程遠いが、少なくとも、自力で動けるようにはなった。彼は、座り込んだままのソフィアを見つめる。彼女は、まだ自分の両手——腐狼グレイブ・ウルフの魔石を砕いた手——を、信じられないもののように見つめていた。


「……私……私、魔物を……」

「ああ。見事に、心臓ホシをひと突きだったぜ」


 竜二が、まるで仲間ダチの武勇伝を褒めるかのように、ニヤリと笑う。


「あの状況で、前に出るとはな。大したタマだ、姫様」

「……姫、じゃない……。ソフィア……」

「ああ、ソフィア。お前がやらなきゃ、今頃俺はあの犬ッコロの夜食になってた。……サンキュ」


 竜二の、ぶっきらぼうだが、素直な感謝の言葉。ソフィアは、その言葉に顔を赤らめ、俯いてしまった。

 数百年、他者から「恐怖」か「憐憫れんびん」の目しか向けられてこなかった彼女にとって、「感謝」されることは、あまりにも眩しい経験だった。


「……私、怖かった。でも……竜二が死んじゃうと、思ったら……」

「……おう」

「竜二が、私を『ダチ』だって……言ってくれたから……!」


 その時、竜二は気づいた。腐狼グレイブ・ウルフが塵になって消え去った、その場所に、黒くくすぶったような、拳大の「石」が残されていることに。


「……ん? なんだ、アレ」


 竜二が指差すと、ソフィアもそちらに視線を向けた。


「……あ。あれが、魔石……。腐狼グレイブ・ウルフコア……」

「魔石……。ソフィア、アンタがさっき言ってた、魔力の塊か」

「うん。……聖水で浄化されて、瘴気しょうきはほとんど消えてる。……これなら、私……」


 ソフィアは、何かを恐れるように、しかし、同時に強く惹きつけられるように、その魔石に這い寄っていく。

 吸血鬼ヴァンパイアの本能が、それを「糧」だと告げていた。彼女は、呪いを恐れて竜二には決して触れようとしなかったが、その魔石には、躊躇なくそっと手を伸ばした。


「……大丈夫かよ、ソレ」


 竜二が心配そうに見守る中、ソフィアは魔石に触れる。瞬間、魔石が淡い光を放ち、まるで砂が風に流されるように、黒い粒子となってソフィアの手のひらに吸い込まれていった。


「――っ……」


 ソフィアの体が、ビクンと小さく震える。彼女の白い肌に、先ほどの聖水では比べ物にならないほど、明確な「血色」が戻っていく。傷だらけだった手足の擦り傷が、目に見えて塞がり、長く艶を失っていた銀髪に、わずかな光沢が蘇った。


「……あ……。温かい……。魔力が、満ちる……」


 それは、数百年ぶりの「食事」だった。餓死寸前だった体に、ようやく「生命」が戻ってきた感覚。


「……おい、ソフィア。アンタ……」


 竜二は、その変化に目を見張った。衰弱しきった少女の面影は薄れ、そこにいるのは、まだ弱々しくはあるものの、確かに「姫」としての気品を取り戻し始めたソフィア・アーベントロートだった。


「……すごい、よ……竜二。ちからが、戻ってくる……!」


 ソフィアは、ゆっくりと、しかし今度は自分の足で、確かに立ち上がった。まだ全快ではない。それでも、さっきまでの酷い状態は、明らかに脱していた。


「……へっ。そりゃ、上出来だ」


 竜二は、それを見て満足そうに頷く。


「アンタが強くなりゃ、俺が『肩代わり』で無理する回数も減る。……俺の燃費の悪さを考えりゃ、そのほうが効率がいい」

「もう……。素直に喜んでくれても、いいのに……」


 ソフィアは、竜二の照れ隠しを見透かしたように、小さく微笑んだ。それは、彼女がこの奈落の底に落ちてから、初めて見せた「笑顔」だった。



 竜二は、ひとまず戦闘の後始末を始めた。 吹き飛ばされたバリケードの瓦礫を、「剛力」の概念コトバで再び積み上げ、今度は以前よりも頑丈に、隙間なく入り口を塞いでいく。

 魔力が減れば聖水を飲む。ソフィアも、そんな竜二のそばで、回復したばかりの魔力を使い、彼が運びやすいように小さな瓦礫を動かす手伝いを始めた。


「……しかし、面倒なことになったな」


 作業の合間、聖水を飲みながら竜二が呟く。


「あんなのが、まだウヨウヨいるんだろ、この城」

「……うん。たぶん……。ここは、もう魔物の巣になっちゃってる」

「チッ。こっちは姫様とハズレ職だぞ。戦力が釣り合わねえ」


 竜二の悪態に、ソフィアはクスクスと笑う。


「……竜二は、ハズレ職なんかじゃないよ」

「あ?」

「だって、私を助けてくれた。……私の呪いと真正面から向き合って、『ダチ』だって言ってくれた。……あなたは、私の『勇者』様だもの」

「……うおっ。……やめろ、サムい」


 竜二は、ソフィアの真っ直ぐな言葉に、思わず顔を背けた。ヤンキーのメンタルは、こういう直球の「褒め」に、めっぽう弱かった。


「……とにかく。俺たちの目標は、こんな墓場から脱出することだ。……そのために、まずは、アンタを完全に回復させる」


 竜二は、バリケードで塞いだ回廊の暗闇を睨み据える。


「さっき言ってた『書斎』と『宝物庫』。そこに、もっと魔石があんだろ」

「うん。……でも、危険だよ」

「ああ。だが、危険リスク冒さなきゃ、報酬リターンもねえ。……ケンカと一緒だ」


 竜二はニヤリと笑う。


「まずは、この拠点アジトを完璧にする。そしたら、次は『探索』だ。……アンタのシマを、取り返しに行くぜ、ソフィア」

「……! うん!」


 絶望の底で、二人の「共生」は「共闘」へと変わり、そして今、「反撃」の狼煙のろしが上がろうとしていた。



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