第8話 最初の「武器」

 腐狼グレイブ・ウルフの襲撃から数時間。竜二とソフィアは、「剛力」の概念コトバと聖水の回復力を使い、中庭の四方の入り口を、以前とは比較にならないほど強固なバリケードで塞ぎ終えていた。


「……ふぅ。これで、あのデカい犬コロクラスが来ても、数分は稼げるだろ」


 竜二は、最後の瓦礫を積み上げ終えると、聖域の泉で顔を洗い、その水を喉に流し込んだ。ガス欠と回復を繰り返したせいで、体は重い疲労を感じている。だが、あの絶望的な状況から、安全な拠点アジトを作り上げたという達成感もあった。


「お疲れ様、竜二。……これ、私の分」


 ソフィアが、聖水を両手ですくって竜二に差し出す。魔石を喰らった彼女は、顔色もすっかり良くなり、自力で動くことに不安がなくなっていた。


「……おう。サンキュ」


 竜二は、ソフィアの手から水を飲む。二人の間には、この奈落の底で生き抜くための、奇妙な「共生」のリズムが生まれつつあった。


「さて、と」


 竜二は泉のほとりに腰を下ろし、ソフィアに向き直る。


拠点アジトはできた。次は、アンタの完全回復だ。……言ってた『書斎』と『宝物庫』、どっちが近くて、どっちが安全そうだ?」


 竜二の問いに、ソフィアは真剣な表情で記憶を探り始めた。


「……まず、書斎。ここは、父——先代の王——使っていた場所。この中庭の回廊を抜けて、東の塔を少し登ったところにあるわ」

「東の塔……。近いのか?」

「うん。距離だけなら。……でも、魔石があるかどうかは……。書物や資料がメインだから、少しだけしか、ないかも」

「……なるほどな。じゃあ、宝物庫は?」

「宝物庫は……この城の、もっと深い場所。地下……だと思う。ここからは、かなり遠い。それに、昔から、強力な護衛魔法がかけられてた。……魔石の数は、比べ物にならないと思うけど」


 ソフィアの説明を聞き、竜二は腕を組んで黙り込んだ。

 ハイリスク・ハイリターンな「宝物庫」か、ローリスク・ローリターンかもしれない「書斎」か。


「……決まりだな」


 竜二は、すぐに結論を出した。


「まずは『書斎』だ」

「え……? でも、魔石、少ないかも……」

「ああ。だが、今の俺たちにゃ、ちょうどいい」


 竜二は、腐狼グレイブ・ウルフとの戦いで武器代わりにした、「折れた槍の柄」を拾い上げる。


「俺はこの力の『燃費』の悪さをまだ掴めてねえ。アンタも、ようやく立てるようになったばかりだ。……いきなりヤバい場所シマにカチコミかけるほど、俺はバカじゃねえ」


 ヤンキーのケンカとて、まずは相手の力量チカラを見極める。今の自分たちの戦力が、この万魔の坩堝パンデモニウムでどれだけ通用するのか。


「『書斎』までの道のりを、偵察とリハビリ代わりに使う。……それで、問題なく行けるなら、次を考えりゃいい」

「……そっか。そうだね、竜二」


 ソフィアは、竜二の堅実な判断に、安堵したように頷いた。彼の無謀なまでの義理堅さと、こういう場面での冷静な判断力。そのアンバランスさが、ソフィアにとっては何よりも頼もしく感じられた。


「よし、方針は決まった。……だが、その前に」


 竜二は、手にした「折れた槍の柄」……ただのボロい棒切れを、じっと見つめた。


「……コイツは、さすがに心許ねえ」


 腐狼グレイブ・ウルフとの戦いでは、咄嗟に聖水を操るという無茶な概念コトバで勝利したが、あんなガス欠覚悟の博打、何度も使えるわけがない。もっと効率よく、確実に敵を仕留める武器が必要だった。


「……ソフィア、ちょっと試してえことがある。魔力がヤバくなったら、水、頼む」

「え? う、うん。わかった」


 ソフィアが聖域の泉のそばで待機する中、竜二は槍の柄を構え、意識を集中させた。腐狼グレイブ・ウルフとの戦いの最中、一瞬だけ考えた概念コトバ


(対象、「この槍」。概念コトバ……「斬鉄」!)


 グン、と魔力が吸い取られる。だが、槍の柄には、何の変化も起きなかった。


「……チッ。やっぱ、ただの棒切れに『斬鉄』は無理か」


 どうやら、言霊付与ワード・エンチャントは万能ではないらしい。対象となるモノの「格」や「素材」によって、付与できる概念コトバに制限があるようだ。石ころに「爆発」はできても、木の棒に「斬鉄」は定義から外れすぎている、ということか。


「……面倒くせえ……。じゃあ、これならどうだ」


 竜二は思考を切り替える。「結果」を付与するのがダメなら、「性質」を付与すればいい。


(対象、「この槍」。概念コトバ、「硬化」!)


 ズン、と魔力が吸われる。今度は、明確な手応えがあった。

 手に持った槍の柄が、カァン、と甲高い音を立てたように感じる。見た目は変わらないが、その「密度」が明らかに変化していた。


「……おお」


 竜二は、試しにその槍の柄で、近くの瓦礫を思い切り殴りつけた。


 ガギィン!! 以前なら柄の方が折れていたであろう衝撃。しかし、槍の柄は傷一つなく、瓦礫の角を砕いていた。


「……『剛力』と組み合わせりゃ、鈍器として十分か。……だが、決め手に欠けるな」


 竜二は、さらに魔力を込める。もっと、武器として……「槍」としての性質を。


(対象、「この槍」。概念コトバ、「鋭利」!)


 折れた槍の柄の「先端」部分に、意識を集中させる。魔力が、さらに吸い上げられていく。 すると、何もなかったはずの槍の先端が、まるでヤスリで削り出したかのように、鋭利な「穂先」の形へと、ギシギシと音を立てて変形し始めた。


「な……!?」


 それはもう、「付与」というよりは「錬成」に近い現象だった。概念コトバが、世界の法則を捻じ曲げ、「折れた棒」を「粗末な槍」へと強制的に「上書き」したのだ。


「……はぁ……はぁ……。クソ、魔力食いすぎだろ、コレ……」


 竜二は膝をつき、慌ててソフィアから聖水を受け取り、喉に流し込んだ。たったこれだけの作業で、腐狼グレイブ・ウルフと戦った時と同じくらいの魔力を消費していた。


「りゅ、竜二……! 今の……! 槍が……!」


 ソフィアが、信じられないものを見る目で、竜二の手の中にある「武器」を見つめている。


「……へっ。上等だ。これなら、あの犬コロの心臓ホシも、ぶち抜けるだろ」


 竜二は、生まれ変わった「槍」を握りしめ、不敵に笑った。それは、言霊付与ワード・エンチャントの戦闘における、新たな可能性の発見だった。


「……よし。準備は整った」


 竜二は立ち上がり、ソフィアと共に、拠点アジトの出口であるバリケードの前に立つ。 彼らの武器は、ハズレ職の元ヤンキーと、回復途上の吸血姫。そして、一本の「概念コトバの槍」。


「ソフィア、行くぜ。俺の背中はがら空きだ。……仲間ダチの背中(タマ)、守れんだろ?」

「……! うん、任せて!」


 ソフィアは、恐怖を振り払い、力強く頷いた。 彼女もまた、この戦いが「二人」の戦いであることを、理解し始めていた。


 竜二は「剛力」の概念コトバでバリケードの瓦礫を少しだけ動かし、二人が通れるだけの隙間を作る。その隙間の向こうは、瘴気が満ちる、暗く冷たい回廊。


 二人は、互いの存在だけを頼りに、その暗闇へと、最初の一歩を踏み出した。



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