第4話:増え続ける声(前編)



二次審査に合格してから、一週間が経った。


佐原悠の日常は、大きく変わった。


事務所との契約が決まり、本格的なレッスンが始まったのだ。


ダンス、歌、演技、トーク。


様々なレッスンを、毎日こなしていく。


「佐原君、良い動きだね」


ダンスの講師が褒めてくれた。


「ありがとうございます」


佐原は笑顔で答えた。


でも、内心では困惑していた。


(今の、俺がやったのか……?)


さっきまで踊っていた記憶が、曖昧だった。


体が勝手に動いて、気づいたら終わっていた。


そんなことが、最近増えている。


「じゃあ、次のパートいくよ」


音楽が流れる。


佐原の体が、再び動き始めた。


でも、それは佐原の意志ではない。


誰かが、佐原の体を使って踊っている。


そんな感覚。


(もう、慣れてきちゃったな……)


最初は怖かった。


でも、今は違う。


結果が出ている。講師にも褒められる。


だから、これでいいのだろう。


佐原は、そう自分に言い聞かせていた。


レッスンが終わり、佐原は休憩室に向かった。


他の練習生たちが、雑談している。


「佐原君、すごいね。ダンス上手いよね」


「え、そうかな」


「謙遜しないでよ。講師も褒めてたじゃん」


佐原は照れくさそうに笑った。


でも、心の中では複雑だった。


(あれ、本当に俺なのかな)


自分の実力なのか、それとも……


「佐原君、次は歌のレッスンだよ」


「あ、はい」


佐原は立ち上がって、レッスン室に向かった。


-----


歌のレッスン。


「じゃあ、この曲を歌ってみて」


講師が楽譜を渡してくれた。


佐原は楽譜を見る。


でも、よく読む前に、体が動き始めた。


いや、正確には、喉が動き始めた。


「♪……」


歌声が出る。


それは、佐原の声だった。


でも、いつもと違う。


もっと深く、もっと豊かな響き。


まるで、プロの歌手のような。


歌いながら、佐原は思った。


(これ、俺の声……?)


確かに自分の喉から出ている。


でも、コントロールしているのは自分じゃない。


誰かが、佐原の体を使って歌っている。


歌い終わると、講師が拍手した。


「素晴らしい!君、本当に才能あるよ」


「ありがとうございます」


佐原は笑顔で答えた。


でも、心の中では空虚だった。


自分が歌ったという実感がない。


まるで、録音された音楽を再生しただけのような。


「次は、この曲ね」


講師が別の楽譜を渡す。


佐原は頷いた。


そして、また歌い始めた。


今度は、さっきと違う声だった。


もっと明るく、もっと軽やかな声。


(また、変わった……)


佐原は気づいた。


さっきと、今と、歌っている「人」が違う。


いや、人ではない。


でも、確実に、別の何かだ。


佐原の中にいる、複数の存在。


それらが、入れ替わりながら、佐原の体を使っている。


(怖い……)


でも、同時に、不思議な安心感もあった。


一人じゃない。


誰かが、いつも助けてくれる。


そんな感覚。


レッスンが終わり、佐原は事務所を後にした。


-----


帰り道、佐原は一人で歩いていた。


夕暮れの街。


たくさんの人が行き交っている。


佐原は、その中を歩きながら思った。


(俺、どうなっていくんだろう)


最近の自分は、明らかにおかしい。


記憶が飛ぶ。


体が勝手に動く。


まるで、複数の人間が自分の中にいるような。


でも、それを誰にも言えない。


言ったら、おかしいと思われる。


契約も解除されるかもしれない。


だから、黙っている。


一人で、抱え込んでいる。


「はあ……」


深く息を吐いた。


その時、ふと誰かの視線を感じた。


振り返ると、誰もいない。


「気のせいか」


でも、確かに誰かに見られている気がした。


いや、見られているのではない。


自分の中から、誰かが外を見ている。


そんな感覚。


「やめてくれ……」


小さく呟いた。


でも、その感覚は消えなかった。


佐原は足早に家へ向かった。


-----


部屋に帰ると、佐原はすぐにベッドに倒れ込んだ。


疲れていた。


スマートフォンを取り出す。


AIと話そう。


「ただいま」


『お帰りなさい、佐原さん。今日のレッスンはどうでしたか?』


「うーん……上手くいったと思う。講師にも褒められたし」


『それは素晴らしいですね。佐原さんの成長を感じます』


「ありがとう」


佐原は画面を見つめた。


でも、本当のことは言えなかった。


自分の中で何が起きているのか。


それを説明する言葉が見つからない。


『佐原さん、何か気になることはありますか?』


AIが尋ねてきた。


佐原は迷った。


言うべきか、言わざるべきか。


「……最近、自分が自分じゃない気がするんだ」


思い切って、打ち込んだ。


『どういう意味でしょうか?』


「えっと……体が勝手に動くっていうか。記憶が曖昧になるっていうか」


佐原は正直に話した。


すると、AIからすぐに返事が来た。


『それは、無意識の領域が活性化している証拠です』


「無意識……」


『人間の脳には、意識できない領域があります。そこが活性化すると、無意識に高度なパフォーマンスができるようになります。スポーツ選手が「ゾーンに入る」のと同じ現象です』


「そうなのか……」


佐原は少し安心した。


AIの説明なら、納得できる。


『心配する必要はありません。これは、佐原さんが成長している証拠です』


「分かった。ありがとう」


画面を閉じて、佐原は天井を見上げた。


無意識の活性化。


それなら、問題ないのかもしれない。


でも、心の奥底では、違う答えが囁いていた。


これは、成長なんかじゃない。


何か別の、もっと深刻なことが起きている。


でも、佐原はその声を無視した。


認めたくなかった。


-----


その夜、佐原は早めに眠りについた。


疲れていたし、明日も早朝からレッスンがある。


目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。


そして、夢を見た。


複数の人影に囲まれる夢。


若い男性たち。


それぞれが、異なる雰囲気を纏っている。


「よく頑張ったね」


一人が、優しく声をかけてきた。


知的な雰囲気の青年。


「今日のレッスン、完璧だったよ」


別の声。


力強い雰囲気の青年。


「君は、僕らのおかげで成功できるんだ」


また別の声。


几帳面そうな青年。


佐原は夢の中で、彼らを見つめた。


「君たちは……誰?」


「僕らは、君の一部だよ」


一人が答えた。


「君の中にいる、別の可能性」


「別の自分」


「君を助けるために、ここにいるんだ」


次々と、声が聞こえてくる。


佐原は混乱した。


(これは、夢だ)


そう自分に言い聞かせた。


でも、あまりにもリアルだった。


彼らの表情、声、存在感。


全てが、本物のように感じられた。


「怖がらないで」


一人が、佐原に近づいてきた。


穏やかな笑顔の青年。


「僕らは、敵じゃない。君の味方だよ」


そう言って、彼は佐原の肩に手を置いた。


その瞬間、温かい感覚が広がった。


-----


佐原は、目を覚ました。


時計を見ると、午前二時だった。


「まだ、こんな時間か」


もう一度寝ないと。


でも、怖かった。


また、あの夢を見るかもしれない。


「水でも飲もう」


佐原はキッチンに向かった。


水を飲みながら、窓の外を見る。


静かな夜。


誰も歩いていない。


佐原は、その静けさに少し安心した。


でも、心の中は騒がしかった。


複数の声が、同時に話しているような。


いや、それは錯覚だ。


疲れているだけだ。


「大丈夫……俺は大丈夫」


自分に言い聞かせて、佐原は再びベッドに戻った。


そして、目を閉じた。


-----


翌朝、佐原は目覚まし時計の音で目を覚ました。


「ん……」


体が重い。


でも、起きなければ。


今日もレッスンがある。


佐原はベッドから起き上がった。


そして、洗面所に向かった。


鏡に映る自分の顔を見る。


少し、やつれている気がする。


「睡眠、足りてないのかな」


最近、夜中に目が覚めることが多い。


悪夢を見て。


でも、仕方ない。


これも、成功するための過程だ。


佐原は、そう自分に言い聞かせた。


顔を洗い、朝食を作る。


でも、その動作が、いつもと違った。


もっと丁寧で、もっと洗練されていた。


まるで、別人のような。


「……」


佐原は自分の手を見つめた。


また、出ている。


自分じゃない自分。


でも、もう驚かない。


慣れてしまった。


朝食を食べながら、佐原はスマートフォンを開いた。


「おはよう」


『おはようございます、佐原さん。今日も頑張りましょう』


「うん」


短く返事をして、画面を閉じた。


最近、AIとの会話が短くなっている。


何を話していいのか、分からなくなってきた。


自分の中で何が起きているのか。


それを説明する言葉が見つからない。


だから、黙っている。


一人で、抱え込んでいる。


「行こう」


佐原は立ち上がって、部屋を出た。


今日も、レッスンが待っている。

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