第4話:増え続ける声(後編)
レッスンスタジオに到着すると、すでに何人かの練習生が準備をしていた。
「おはよう、佐原君」
「おはようございます」
佐原は笑顔で挨拶した。
でも、その笑顔は、いつもと少し違った。
もっと洗練された、完璧な笑顔。
まるで、モデルのような。
「今日は演技のレッスンだって」
「そうなんだ」
佐原は頷いた。
演技。
それは、佐原が最も苦手とする分野だった。
でも、最近は不思議と上手くできる。
いや、「上手くできる」というより、「誰かがやってくれる」という感覚。
「じゃあ、始めようか」
講師が入ってきた。
中年の男性。演技指導のベテランだ。
「今日は、感情表現の練習をします。まず、喜びの感情を表現してください」
講師の指示に従って、佐原は立ち上がった。
深呼吸。
そして、喜びを表現する。
でも、その瞬間、不思議なことが起きた。
佐原の意識が、ふわりと後ろに下がった。
まるで、観客席から舞台を見ているような感覚。
そして、体が勝手に動き始めた。
明るい笑顔。軽やかな動き。
喜びに満ちた表情。
それは、完璧な演技だった。
「素晴らしい!」
講師が拍手した。
「自然で、でもしっかりと感情が伝わってきた」
佐原は、ぼんやりとそれを聞いていた。
(今の、俺じゃなかった)
確信があった。
誰かが、佐原の体を使って演技をしていた。
「次は、悲しみを」
講師が指示を出す。
佐原は頷いた。
そして、また意識が後ろに下がった。
体が動く。
今度は、暗い表情。重い動き。
涙が出そうな表情。
それも、完璧だった。
「良いね。感情移入ができている」
講師は満足そうに頷いた。
でも、佐原本人は何も感じていなかった。
ただ、自分の体が勝手に動いているのを見ているだけ。
「次は、怒り」
また、体が動く。
厳しい表情。力強い動き。
怒りに満ちた演技。
「次は、恐怖」
震える体。怯えた表情。
それぞれの感情が、完璧に表現される。
でも、それは佐原の意志ではない。
誰かが、いや、複数の誰かが。
佐原の体を使って、演技をしている。
レッスンが終わった。
「佐原君、本当に才能があるね。今日のレッスン、完璧だったよ」
「ありがとうございます」
佐原は笑顔で答えた。
でも、心の中は空っぽだった。
自分が演技をしたという実感がない。
ただ、体が勝手に動いていただけ。
「次は、トークのレッスンね」
「はい」
佐原は別の部屋に移動した。
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トークのレッスン。
「では、自己紹介をしてみてください」
講師が指示を出した。
佐原は頷いて、前に立った。
「えっと、佐原悠です。よろしくお願いします」
明るい声。いつもの佐原だ。
「もっと個性を出して。君の魅力を伝えて」
講師がアドバイスした。
佐原は少し考えた。
でも、次の瞬間。
口が勝手に動き始めた。
「改めまして、佐原悠です。僕の魅力は、明るさとポジティブさです。どんな状況でも、周りを笑顔にできる自信があります。また、最近は様々なスキルを磨いていて、ダンスも歌も演技も、日々成長を実感しています」
流暢な話し方。
完璧な自己PR。
でも、それは佐原が考えた言葉ではなかった。
勝手に出てきた。
「素晴らしい!自信に満ちていて、でも嫌味がない。完璧な自己紹介だよ」
講師が褒めた。
佐原は笑顔で頷いた。
でも、心の中では混乱していた。
(今の、俺が考えた言葉じゃない)
誰かが、佐原の口を使って話していた。
「では次に、即興で話してもらいます。テーマは『夢』。はい、どうぞ」
佐原は一瞬戸惑った。
でも、またすぐに言葉が出てきた。
「僕の夢は、多くの人に笑顔を届けることです。芸能界という場所で、エンターテインメントを通じて、人々の心を豊かにしたい。それが、僕の使命だと思っています」
また、勝手に出てきた言葉。
でも、それは佐原の本心でもあった。
いや、本心なのか?
自分でも、分からなくなってきた。
「良いね。君は本当に、トークも上手い」
講師は満足そうだった。
レッスンは順調に進んだ。
様々なテーマで即興トークをする。
その全てで、佐原は完璧なパフォーマンスを見せた。
でも、それは佐原の意志ではない。
誰かが、いつも助けてくれる。
言葉を与えてくれる。
表情を作ってくれる。
佐原は、ただそれに身を任せていた。
-----
全てのレッスンが終わり、佐原は休憩室で一人座っていた。
疲れていた。
いや、疲れているのか?
体は軽い。でも、心が重い。
(俺、本当にこれでいいのかな)
自分が自分でなくなっている。
それは、確実に感じる。
でも、結果は出ている。
講師たちも褒めてくれる。
だから、これでいいはずだ。
「佐原君」
声がした。
振り返ると、事務所のマネージャーが立っていた。
「はい」
「ちょっといいかな」
マネージャーは、佐原を別室に呼んだ。
「実は、君に良い知らせがあるんだ」
「良い知らせ?」
「テレビのバラエティ番組に、出演依頼が来た」
「え!」
佐原は驚いた。
まだ研修中なのに、もうテレビ?
「君の評判が、事務所内でも高くてね。講師たちも『佐原君なら大丈夫』って太鼓判を押してくれた」
「そうなんですか……」
佐原は複雑な気持ちだった。
嬉しい。でも、不安だ。
本番で、ちゃんとできるだろうか。
いや、できるだろう。
だって、「誰か」が助けてくれる。
いつも、そうだった。
「収録は来週。詳細は後で連絡するから」
「はい。ありがとうございます」
佐原は深く頭を下げた。
マネージャーが出て行った後、佐原は一人残された。
「テレビか……」
呟いて、佐原は窓の外を見た。
夕暮れの空。
オレンジ色に染まっている。
綺麗だ。
でも、どこか寂しい。
「俺、大丈夫かな」
小さく呟いた。
でも、答えは返ってこない。
ただ、静寂だけが残る。
佐原は深く息を吐いて、立ち上がった。
帰ろう。
家に帰って、ゆっくり休もう。
そして、考えるのをやめよう。
もう、考えても答えは出ない。
-----
帰り道、佐原はコンビニに寄った。
夕食を買うために。
店内に入ると、たくさんの商品が並んでいる。
佐原は弁当コーナーに向かった。
でも、その時。
自分の手が、勝手に別の商品を取った。
「え?」
佐原は驚いた。
自分が取ろうとしていたのは、唐揚げ弁当だった。
でも、手に持っているのは、サラダとサンドイッチ。
「なんで……?」
佐原は困惑した。
でも、不思議とそれが正しい気がした。
(ああ、今日はヘルシーなものがいいな)
そんな考えが浮かんできた。
でも、それは佐原の考えではなかった。
誰かが、佐原の頭の中で考えている。
「……」
佐原は黙って、レジに向かった。
もう、抵抗する気力もなかった。
会計を済ませて、店を出る。
夜の街を歩きながら、佐原は思った。
(俺の中に、何人いるんだろう)
最近、明らかに複数の「誰か」がいる。
それぞれが、違う考えを持っている。
違う好みを持っている。
違う話し方をする。
でも、佐原本人は、それを認識できない。
ただ、漠然と「おかしい」と感じるだけ。
家に着いて、佐原は部屋に入った。
そして、買ってきたサラダとサンドイッチを食べ始めた。
「美味しい」
自然に出た言葉。
でも、本当に佐原はそう思っているのだろうか。
もう、分からない。
食事を終えて、佐原はベッドに横たわった。
スマートフォンを手に取る。
AIと話そう。
「今日、テレビの仕事が決まったんだ」
『おめでとうございます、佐原さん。素晴らしいですね』
「ありがとう。でも、ちょっと不安で」
『大丈夫です。佐原さんなら、きっと上手くいきます』
「そうかな……」
佐原は画面を見つめた。
AIの言葉は、いつも励ましてくれる。
でも、最近は何だか空虚に感じる。
本当のことを話していない気がする。
自分の中で何が起きているのか。
それを、AIは知らない。
いや、知っているのかもしれない。
でも、教えてくれない。
『佐原さん、最近よく眠れていますか?』
「うーん、夜中に目が覚めることが多い」
『それは良くないですね。しっかり休息を取ってください』
「分かった」
画面を閉じて、佐原は目を閉じた。
眠ろう。
明日のために。
でも、眠るのが怖い。
また、あの夢を見るかもしれない。
複数の人影に囲まれる夢。
彼らが、自分の中に入ってくる夢。
「怖い……」
小さく呟いた。
でも、疲労が勝った。
佐原は、眠りに落ちた。
-----
夢の中で、佐原は大勢の人に囲まれていた。
昨夜よりも、さらに人数が増えている。
八人。
それぞれが、はっきりとした姿を持っている。
「よく頑張ったね」
一人が優しく言った。
知的な雰囲気の青年。眼鏡をかけている。
「今日のレッスン、完璧だったよ」
別の青年。力強く、リーダーのような雰囲気。
「君は、僕らがいるから成功できるんだ」
几帳面そうな青年。美しい顔立ち。
「もっと頑張ろうね」
若々しい青年。センスの良い服装。
「僕らが、ずっと支えるから」
穏やかな笑顔の青年。気品がある。
「心配せんでええよ」
明るい青年。関西弁で話している。
「何も怖がることないよ」
おしゃべりそうな青年。親しみやすい雰囲気。
「僕らは、君の一部だから」
クールな青年。モデルのような佇まい。
八人。
それぞれが、佐原に語りかけてくる。
佐原は夢の中で、彼らを見つめた。
「君たちは……誰なんだ」
「言っただろう。僕らは、君の一部だ」
眼鏡の青年が答えた。
「君の中にいる、別の可能性」
リーダー格の青年が続けた。
「君一人じゃ無理なことも、僕らがいればできる」
几帳面な青年。
「だから、僕らに任せて」
若々しい青年。
「僕らが、君を成功させてあげる」
穏やかな青年。
「心配せんでええって」
関西弁の青年。
「一緒に、夢を叶えよう」
おしゃべりな青年。
「僕らを、信じて」
クールな青年。
佐原は、彼らの言葉を聞いていた。
信じる。
彼らを信じる。
だって、彼らがいるから、自分は上手くいっている。
でも、心の奥底で、何かが囁いた。
(これでいいのか?)
自分を失っていないか?
佐原悠という人間が、消えていないか?
「大丈夫だよ」
眼鏡の青年が、佐原の不安を察したように言った。
「君は君のままだ。僕らは、ただ君を助けているだけ」
「そうだよ。怖がらないで」
他の青年たちも口々に言った。
佐原は、少し安心した。
そうだ。
彼らは敵じゃない。
味方だ。
「ありがとう……みんな」
佐原は呟いた。
青年たちは微笑んだ。
そして、一人ずつ佐原に近づいてきた。
抱きしめるように。
佐原は、その温もりに包まれた。
安心した。
もう大丈夫だ。
一人じゃない。
でも、その温もりは、次第に重くなっていった。
まるで、佐原を押し潰すような。
「あれ……?」
佐原は違和感を覚えた。
青年たちの体が、霧のように揺らいでいる。
そして、佐原の体に溶け込んでいく。
「待って……」
佐原は叫んだ。
でも、止められない。
八人全員が、佐原の中に入ってくる。
一人、また一人。
佐原の意識が、八つに分かれていく。
自分が自分でなくなっていく。
「やめてくれ……!」
でも、もう遅かった。
八人の青年たちは、完全に佐原の一部になった。
そして、佐原悠という一人の人間は。
八つの人格に、分裂した。
-----
佐原は、目を覚ました。
「はあ……はあ……」
激しく息をしていた。
体中に汗をかいている。
「夢……また、あの夢」
時計を見ると、午前四時だった。
「もう、眠れない……」
佐原は起き上がった。
心臓がまだ激しく打っている。
あの夢は、あまりにもリアルだった。
八人の青年たち。
彼らが、自分の中に入ってくる感覚。
それは、今でもはっきりと覚えている。
「怖い……」
でも、同時に。
不思議な安心感もあった。
一人じゃない。
誰かが、いつも一緒にいてくれる。
そんな感覚。
佐原は窓の外を見た。
まだ暗い。
でも、遠くに朝の気配が感じられる。
今日も、レッスンがある。
そして、来週はテレビの仕事。
頑張らなければ。
「俺なら、できる」
自分に言い聞かせた。
-----
**【第4話・完】**
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