第4話



      

 「ねぇ、見て。こう言うのもあるみたいだよ。」


白鳥が園内マップを開いて、コーヒーカップのあるところを指差した。


「えぇ〜。コーヒーカップって酔うんだよなぁ。」

「だとしたらお前何乗れんだよ。ジェットコースターもダメ、空中ブランコもダメ、メリーゴーランドも、コーヒーカップも無理なんでしょ?お化け屋敷も入れないって言うしさぁ。」

「ごめんって。」


黒根は笑いながら白鳥の背中をバシッと叩いた。

叩かれたところをさすって、白鳥も困ったような笑みを浮かべる。


 

 先週間宮騒動があってから、白鳥は黒根にデートをしないかと持ちかけた。


「元彼と遊ぶくらいなら俺と遊んで。」


白鳥にそう言われた時、黒根は心の中で苦笑した。


 あそびたいのではなく、ヤりたいのだ、と思ったからだ。

しかし、白鳥がせっかく気を利かせてくれたのにそれを拒むのも、拒んだことで本当は元彼と何がしたかったのかバレるのも嫌だった。


白鳥と一緒に何かするのは好きだし、付き合ってから久しぶりのデートだったので、黒根は快く受け入れる事にした。

もちろん、間宮の連絡はそのまま無視し、彼のことはブロックして削除した。

 


 二人が話し合いをする時は大抵プティ・フォワイエなのだが、三日連続であそこに行くのは嫌だと言うことで、その日の話し合いは、黒根のアパートで行われた。


「どこ行きたい?ここら辺だと水族館とか大きいのあるよね。」


白鳥がピタリと黒根にくっついて、携帯でデートスポットを探しながら言った。

一年間禁欲中の黒根からすると生き地獄だったが、勃たないようになんとか我慢していると、ふと、思い出した。


「遊園地は?」


黒根がそう言うと、白鳥は「あー。」と言って、開いていたタブを閉じ、今度は遊園地を調べ始めた。


「近くはないけどたまには遠出するのもいいよね。ほら、これなんか、遊園地のそばに海があるみたいだ。…楽しそう。」

「そこ行きたい、そこに行こう。」


食い気味な黒根を見て、白鳥は「いいよ」と言って笑った。




 …それで、今に至るのだが、遊園地をチョイスしたくせに、黒根が乗れる乗り物はほぼないに等しかった。


白鳥の要望で朝から長い列に並び、ジェットコースターに乗ったが、降車後に即トイレに駆け込まなければならないレベルで乗り物酔いが酷かった。


もちろんコーヒーカップも辞退した。


 そんなんだから結局二人は、お昼ご飯を園内でパパッと食べて、最後に観覧車にでも乗ろうか、と言う事になった。



「これなら酔わないよね、流石に。」

「うん、酔わない。」


黒根はケロッとして、とてもじゃない一日に三回吐いた男とは思えない顔立ちだった。

しかし、白鳥はそんな黒根の様子が無理をしているように見えて、居た堪れなくなり、ぽそっと小さく呟いた。


「もうデートで遊園地来るのはやめよう。」


聞こえていないのか、無視したのか、黒根からの返事はなかった。



 観覧車に伸びる列の先を、黒根はぼーっと眺めていた。


時刻はもう三時半で、随分長居したなと思う。

…これで最後だ。


観覧車といえば、恋人と遊園地を回った後に乗る、ロマンチックなアトラクションだが、話すことがなくなって気まずくなるアトラクションでもあると思う。


白鳥とは、どうなるだろうか。

彼と話していて、話が尽きたことはあったかな。

距離を感じたことはあっただろうか。


黙っていて、気まずくなったことは。

静かな空間で二人きりのとき、心臓が痛くなるほど脈打ったことは?


…ない。白鳥と出会って一年とちょっと過ぎたが、距離を感じたことも、気まずっなったことも、そんなことは一度もなかった。

そう。一度だって。


「おーい!」

「……ッ!?」


白鳥に背中を叩かれて、黒根はハッとした。

どうやら気付かぬうちに順番が回ってきたようだ。列の先頭一組の、一個後ろに自分たちがいた。


「大丈夫?やっぱりやめる?海にも行くんだったら、無理しなくても。」

「いや、大丈夫。ちょっと眠くて。」

「…そりゃあ、あんだけ吐けばな。」


白鳥の苦笑に、黒根も少し微笑んで見せた。



 赤色のゴンドラがやってきて、スタッフに乗るよう促される。

中に足を踏み入れた時に、ギィっと音が鳴って、ほんの少しだけゴンドラが揺れた。


黒根が完全に中に入ると、白鳥が楽しそうに目を細めた。


「観覧車って、乗る時だけちょっと怖いよな。」

「うん、分かる。乗った後も高いとこまで行くと怖いけど。」

「もう色々と面白すぎる。遊園地向いてないよ。」


呆れたような、楽しそうな、そんな笑い声が、狭いゴンドラの中に響いた。

白鳥の笑い声につられて、黒根も笑みが溢れる。


 白鳥は黒根にとって確かに大切だ。

離れてほしくないし、ずっと一緒にいてほしいしと思うし、幻滅もされたくない。


でも、胸がときめいたことがなかった。不思議な事に。


どうしてかわからない。彼のどこが好きなのか分からない。

そもそも、自分が彼を好きなのかさえ分からない。

大切にしたいのは、離れてほしくないのは、白鳥が心底自分のことを大切にしてくれているからなのかもしれないと、黒根は思う。


 付き合ってからずっとそうだった。

黒根の中の、お金持ちは傲慢で怖いというイメージとは全然違い、白鳥は基本優しい奴だった。


客と店員の関係の時から、優しくて。それがずいぶんと気に入ってたんだ。

彼の優しさが心地よくて、それで、離れたくないのかも。心の穴を白鳥の優しさで埋めてくれるから。



「見て、さっきまで待ってたとこ、あんなに小さくなってんだけど。」


白鳥は、ゴンドラの小さな窓に張り付いて外の景色を見ていた。

黒根もちらりと外を見やる。

少しずつ上昇していき、下に広がっている園内のアトラクションが小さくなっていく。

しかし、しばらくして、黒根の目線はそんなアトラクションよりも、園外にあるものに移った。


だ。


海がある。


「白鳥。」

「ん?」

「海も綺麗だよ。」


 夕日というにはまだ早いが、太陽が海に光を落として水面を輝かせていた。


黒根はその景色から目を離すことができなかった。


「うん、綺麗。」


白鳥がぽそっと呟く。

その声に黒根は、ゆっくりと顔を白鳥の方に向けた。


 熱っぽい視線が絡んで、黒根は思わず目を瞬かせる。

間もなく、白鳥の骨ばった綺麗な手が、黒根の頰に伸びてきて、彼の皮膚に触れた。


「白鳥、」


言い終える前に、白鳥は黒根の唇に、そっと自分の唇を合わせる。

 チュっと、音がして、白鳥の唇が離れた。


「好きだよ。」


震える声で、白鳥がそう言った。

唇が離れてもなお、白鳥の手は黒根の頰から離れなかった。


「て、冷たいね。」


白鳥の顔は真っ赤なのに、緊張しているからか、彼の手は冷たい。キスだけでも真っ赤になるような純粋な男だ。

中学生でもあるまいし。


 そんな事を思いながら、黒根は白鳥の目を見つめる。


「ご、ごめん…。」


白鳥は黒根の頰を冷やしてはいけないと、手を退けようとした。


しかし、黒根はそれを止めるように彼の手の上に自分の手を重ねて自分の頰に触れさせる。


「白鳥。」

「う、うん?」


海が日に照らされている。

侘しい色だ。冬の、寒さに凍える色だ。

いつも、一人で寂しい人を、抱きしめる色だ。


「なんで俺と性行為がしたくないの?」

「えっ」


白鳥は思わず息を呑んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る