第3話


 プティ・フォワイエの中は、相変わらず暖かかった。

昨日白鳥とここで、性行為をするかしないか話をしに来たから、二日連続の来店となる。


黒根は元バイト先に、高頻度で出現してしまったことに少しだけ気まずさを覚えつつも、ここでないとダメだと思っていた。


話し合いをする時、他愛のない話をする時、落ち着きたい時、集まるのはいつもここだった。


白鳥と付き合う前、客と店員の関係だった時も、何度もこの店で話をした。

付き合ってからも勿論のことだ。

黒根にとっては思い出深い店だった。


「どこ座る?いつものとこ?」

「うん。」

黒根が頷くと、白鳥は迷うことなく、その、"いつものとこ"に向かった。

 

 プティ・フォワイエの構造は左右に長い長方形型だ。

入ってすぐ、目の前にカウンター席が十席ほどあり、テーブル席も店の形に沿うように、左右の窓側の近くに五つほど配置されている。


そんな店の中で、黒根の座る位置は必ずと言っていいほど決まっていた。


カウンター席の、一番左側の席より奥にある、二人用のテーブル席だ。

そのテーブル席が、奥まっているところにあるため、近くに窓がないのだ。本来窓がある場所は壁で埋まっている。


他の四つのテーブル席は、すべて窓側にあるため、カフェの前を通りかかった人に見られる可能性があった。黒根はそれが嫌だった。


勿論、昨日も白鳥とこの席で話をした。


奥まったテーブル席が空いていなければ、カウンターに座る。

それが、黒根のプティ・フォワイエでする座席探しルーティーンだ。


 幸運なことに、二日連続でその席が空いていたので、今日も二人はその、奥まったテーブル席に座ることができた。


 「ごめんね、大学終わって早々によびだしちゃって。」

「いや、いいよ。俺も帰るとこだったし。」


白鳥は重そうなバッグを、テーブルの下の籠に入れながら言った。


そして黒根に向き合うと、「それで?相談って何?」と早速本題に触れて来た。


 黒根は白鳥に、間宮のことを、“セフレだった男“として紹介するのでなく、“元恋人“とし紹介しようと思っていた。


なぜなら白鳥は、黒根がたくさんの人と付き合って、体を交えてきたことを知らないからだ。


付き合うと承諾した時も、そういう話はしなかった。白鳥には何も言わずに、こっそりセフレたちとは関係を切った。


白鳥に、自分の中身を、汚いところを知られたくなかったし、わざわざ言う必要もないと思ったからだ。


 黒根はその思いが白鳥に悟られないようにスマホをカバンから取り出して、間宮とのラインを白鳥に見せる。


「元…恋人だった男から、こんなふうに今週遊べないかってライン来たんだけど、会ってもいい?」

「いやダメだろ。」


即答だった。

あまりに早い白鳥の回答に、黒根は思わずフリーズする。拒否されると思っていたが、こんなに早いとは思わなかった。


 それからやっと黒根が口を開けたのは、三十秒ほどの沈黙の後だった。

「やっぱダメか。」

黒根の残念そうな表情に白鳥は、眉間に皺を寄せて「逆になんでダメじゃないと思うの?」と言った。


「元恋人と会うってことはさ、もはや、浮気していい?って聞いてるようなもんじゃない?」

「違うよ。遊びに行くだけ。多分、昔行ったゲーセンとかにさ。」


黒根の言い分にさえならない言葉を受けて、白鳥はますます目を釣り上がらせた。


「そんなとこに元恋人と行って何になるんだよ。絶対に下心があるに決まってんだろ。大体なんでお前はそんな奴と遊びに行きたいの?俺とじゃ

ダメなの?」

「白鳥…。」


口ごもって何もはっきりしない黒根を見て、白鳥は不可解そうな表情で続けた。


「恋人がいるのに、そんなのと会うなんてダメだよ。どう言うつもりで相談してきたの?俺になんて言って欲しかったの?まさか俺が、いいよって言うと思った?そんなに愛情ないように見える?」

「違う!ダメって言われるだろうなって思ってたけど…何も言わないで会いに行くのはなと思って。」

「そんなのもっとダメだから。何、じゃあ俺がいいよって言ってたらどうしいてたの?」

「返事返す…。」

「それで?会いに行くわけ?なんで?」

「あ、あう、ために。」

「なんで?」


白鳥に睨まれて、黒根は言葉を詰まらせた。

何のために会いに行くのか。そんなの。一つに決まってる。


…でも、言えない。白鳥には、言えない。

俺は、どうすれば性行為ができるかについてしか考えていなかった。それに相手は関係なかったんだ。


 性行為がしたい。でも、白鳥は抱いてくれない。白鳥が嫌だということを、強要したくない。…だから俺は…間宮に…。


 黒根が黙りこくっていると、白鳥は肩をすくめて、黒根の顔から目を逸らした。

…怒っている。当たり前だが、怒らせてしまった。


 こんなんだったら、相談なんてしないで、誘いに乗っていればよかった。


白鳥を裏切ることに怖気付かないで、堂々と。

白鳥を裏切りたくないとか思って相談したら、結果的に彼を、嫌な気持ちにさせてしまったわけだし。

いや、でも。そんなことをしたら白鳥とは、もう一緒にいられなくなるだろうな。


  黒根は泣きそうになった。

なぜか、それがすごく嫌だった。どうして嫌なのか分からないけれど。誰かに対してそう思っている自分に、非常に動揺した。



 性行為をすることが何よりの糧だった。

生きるためでもあったし、心を癒すためでもあった。


なのに、白鳥と出会って、彼が生活費を半分負担してくれるようになって、そんなにキツキツにバイトしなくて良くなったから、本当に体の関係が要らなくなって。


心も、なぜか白鳥と話している時は性行為がなくても満たされてた。


なのにどうして。どうしてやっぱり性行為がないとダメなんだろう。

白鳥に、俺と性行為がしたくないと言われて、初めて彼に受け入れてもらえなくて、空いていた穴に気がついたみたいな。

と思い込んでいただけみたいな。

それを埋めるために、したくてしたくてしょうがない。


 俯く黒根を見て、白鳥はもう一度深いため息を吐き、テーブルの上に置いてあったメニュー表を手にとった。


「何か頼まないの。」

「え?」

「だから、せっかく来たのに、何も頼まないで帰るなんて失礼だろ。」


白鳥はそう言いながら、メニュー表を黒根の方に向けて、早く選ぶよう催促した。


じんわりと溜まっていた涙が、驚きのあまり引っ込んだ。

さっきまであんなに怒っていたのに、どうして。


「……じゃあ、いちごのショートケーキがいい。」


黒根が可愛らしいケーキの写真を指さすと、白鳥はフハッと笑った。


「やっぱりそれなんだ。そんなに好きなの?昨日も食べたじゃん。」

「ここの美味しいもん…。いくら食べても減らないし。…優しい気持ちになれる。」

「変なとこあるよね。じゃ、頼むよ。」


 店員呼び出しベルを押すと、特有のくぐもった小さな機械音がなって、女性店員がやって来た。


「あれ、黒根先輩と、白鳥さん、またいらしたんですね。」

「うん、ちょっとね。ごめん二日連続で。こっちも気まずいよ。」


そう言うと、女性店員は小さく笑った。彼女の名を、小花こはな深結みゆと言う。


通称こはちゃんだ。黒根がバイトをしていた時も見習いとして働いていた。


ここ、プティ・フォワイエの店長の一人娘で、笑顔が眩しいと評判の良い子だ。


「ご注文はお決まりですか?」

「はい、いちごのショートケーキと…。白鳥は?」


尋ねると白鳥は「コーヒー一杯お願いします」と言った。



 こはちゃんの後ろ姿が厨房に消えて、白鳥と黒根の間にはまた沈黙が訪れた。


黒根はこの時間が苦手だった。

今までどんなセフレや、恋人ができたとしても、彼らと喧嘩することなんてなかった。大体許してくれたし、流してくれた。

でも、白鳥は許してくれない。流してくれない。


なのに、彼は俺に愛想をつかさない。

………それが、むず痒くて。この、"仲直りする前"みたいな、そんな喉の奥が締め付けられるような、感覚が苦手だ。


「ごめん、言い過ぎだよ。」


そんなことを思っていると、やはり、白鳥が目を伏せながらそう言った。

「カッとなりすぎた。ごめん。」

白鳥のその声を聞くと、黒根は安堵のあまり大きく息を吐いた。


「いや、ごめん。俺が最低だった。白鳥は怒って当然だよ。ごめん。」


白鳥と性行為ができなくてもしょうがない。

もしかしたら、そのうちしたくなるかもしれない。

それまで待てば良い。やっぱり、恋人がいるのに他の人に体を預けるのはダメだ。


………今は、そう思うことにしよう。


「もう、二度とこんなこと言わないから。」


白鳥は驚いたように黒根を見つめた。

黒根がこんなに深刻そうな顔をしているのを、彼は今まで見たことがなかったからだ。


大抵いつもヘラヘラしていて、何を考えているのか分からない。

 今回は本当に驚いた。「元恋人と会いたい」だなんて、言われると思っていなかった。

何でそんなことを言ったのか、ものすごく気になるけれど、聞かない。

何を考えているのか、突っ込んだことを聞けば、彼を傷つける事になるかもしれない。それだけは防ぎたい。

彼にはだいぶ踏み込みづらいところがあるから。


 「お待たせしました、いちごのショートケーキと、コーヒーです。」


そう言ってこはちゃんが生クリームをたっぷり絞ったケーキと、苦そうなコーヒーを持って来た。


黒根は、自分の謝罪に対して、白鳥が黙ったまま何も言わないのでその後、普通の会話にどう繋げれば良いのか分からずたじろいだ。


しかし、頼んだものが届くと、白鳥は切り替えたように「じゃー食べよ」と言ってくれた。


 黒根は真っ白なショートケーキの先端を、フォークで切って口の中に入れた。


それはこの間誤って飲んでしまった苦いコーヒーとは違って、とても甘く美味しかった。


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