第24話 初任給

 ヨーコに連れられ、アジトの中を歩いた。

 彼女はこちらを振り向きもせず、ずんずん歩いていく。

 一つのドアの前で足を止めると、ドアを開けてヨーコは中を手で示した。


「中で待ってて。お水汲んでくる」

「あ、お、俺も手伝……」

「大丈夫。重いから私がやるわ」


 二の句も継がせず、ヨーコが出て行った。

 所在なくなった俺は、仕方なく部屋の中を観察する。


 つるつるした床と壁。

 床には浅い溝が掘ってあり、その溝を目で追うと排水口に繋がっていた。水はけを考えて作った部屋なのだろう。

 と、ヨーコが戻ってきてドアを開けた。

 大きなかな製のタライを持っている。ちゃぽちゃぽという音から察するに、中にはなみなみと水が入っているようだ。


「まだ服脱いでなかったの? 早く準備しちゃいなさい」


 ――なんですと?


「え、ふ、服?」

「脱がなきゃ体も服も洗えないでしょ。そこに入れて」


 ヨーコがやや小さな樽状の容器を指した。洗濯物をアレに入れろ、と言っているのだろう。


「あ、わ、かった。じゃあ後はやるから……」

「このお水、ろ過してないから間違って口に入るとお腹壊すわよ。私が洗ってあげるから早く脱ぎなさい」


 体を洗う用途に使うのだろうか、タオルを振ってめんどくさそうにそう言うヨーコ。

 ……いらっ。


「気を付けるよ。ヨーコに洗ってもらうなんてそんな……」

「いいから。早く」


 食い気味に俺の言葉を遮るヨーコ。

 ……いくらなんでもあんまりだと思う。好きな女の子に俺の汗まみれの体を洗ってもらうくらいなら死んだほうがマシだ。


「い、イヤ、だよ。そのタオル貸してよ」

「早く」


 ……いらいらいら。


「なんだよ! 体くらい自分で洗えるって!」


 思わず大きな声を出してしまった。

 しかしヨーコは蔑むような目をこちらに向けたままだ。全く引き下がる気配がない。


「危ないって、言ってるの。早く脱ぎなさいな」


 ――ぷちっ。


「いいって! なんでそんな干渉すんだよ!」


 ……怒鳴っちまった! そんなつもりは……。

 うっかり激昂してしまった俺を、ヨーコは燃えるような目で睨んでいる。


「なんでそんなに干渉するの、ですって……? じゃあ私の体のことを勝手に憐れんで、周りに触れ回っていたのは誰!?」


 すっ、と背筋が冷えた。

 体温が急降下していく。


「……うっかりアナタに話してしまった私が悪かったわ……! アナタがこんなに口が軽いだなんて、思わなかったもの!」


 胃の底が抜けたような感覚。冷や汗が噴き出してきた。

 俺はなんとか弁解しようと――。


「アナタが勝手に私のことを心配するのなら、私がアナタを心配するのも勝手よね!? そうでしょ!?」


 ヨーコは涙をいっぱい溜めた目で俺を睨み続けている。

 消えてしまいたい。


「ごめん……周りの人も知ってるもんだと、思い込んでた」


 下手な言い訳は彼女を更に傷つけてしまう。全てを正直に話そう。たとえそれで俺がどれだけ嫌われようとも。


「俺、君を何とか助けられるんじゃないかって……驕ってた。イェソドの皆がヨーコのことをバカにするのなら、そいつら全部ぶっ飛ばしてやるって……そんなふうに独りよがりで暴走してた」


 息をついた。胸が苦しくて、一度言葉を切らないとならなかった。


「ヨーコの気持ちなんて、ちっともわかってなかった。俺がヒーローになるんだ、俺が、俺がって……それだけだった。自分のことしか見えちゃいなかったんだ」


 ヨーコの顔が見れない。俯いたまま話し続ける。

 いっそ殴って欲しい。悪口をぶつけて欲しい。

 ヨーコの気持ちが晴れるのなら、何をされても構わない。


「最初に君を見た時、困っているように見えた。どうにもならないことに挑み続けている――そんな風に見えたんだ。――自分のことで精いっぱいのはずなのに、なんでこの人は俺にこんな良くしてくれるんだろう――じゃあ俺はこの人になんとしても恩を返そう。そう思って……」


 最後は震え声になってしまい、自分に腹が立つ。

 泣きたいのは俺じゃない。俺に裏切られたヨーコだ。


「ごめんよ……君を傷つけたくはなかった。ただ俺が馬鹿で向こう見ずで、人の気持ちが分からないクズ野郎――」


 ヨーコがいきなり抱きついてきて、仰天する。

 心臓が止まるかと思った。


「わかった、わかったよ……ごめん、ごめんなさい、ダイチ……」


 俺の肩に顔を埋めているのでヨーコの顔は見えない。

 でも、彼女が泣いているのはわかる。

 声の調子などではなく、全身でそう感じた。


「ごめん、もう君の気持ちも考えずに暴走なんてしない。――と思う。……ごめん俺は馬鹿だから、はっきり言い切れない。もしまたやったら……ひっぱたいて目を覚まさせてくれると嬉しい」


 ヨーコが体を離した。顔を伏せている。

 長い髪で表情が見えない。


「いじわる、してごめんね。……ダイチの気持ち、すごく嬉しかった」


 振り向き、ぱたぱたと足音をさせてヨーコは風呂から出て行った。

 俺はしゃがみ込み、みっともなく涙を零す。


「あ、き、着替え、ここ置くね!」


 ドアが一瞬だけ開いて服、それに歯ブラシと水の入ったコップが床に置かれた。ドアが開いたことが見えないほどの早業。

 ……泣いてるの見られた!?






 風呂から上がると、ヨーコが待っていた。

 所在なさそうに、壁に背中をもたせかけている。


「歯を磨いたとき、お水、飲まなかった?」

「めっちゃしょっぱかったから、飲まないように気をつけたよ」


 この砂漠では当然水は貴重品なのだろう。

 買ったばかりの水は恐らく、ろ過していないため飲用には適さないのだ。

 

 ろ過にも電力などを使用する。そのため、飲む分以外の生活用水は原液(原水?)のまま使っているのじゃないかと思う。

 

 そう言えば初日に飲んだ水はろ過が甘かった。

 イェソドのろ過装置が調子悪くなっていたとヨーコが食堂で話していたな。

 

 もしガンマが装置を持ってきてくれなければあの泥臭い水を飲み続けることになったのだと想像すると、あのゴーグルをかけた小柄な少女に改めてお礼を言いたくなった。


「水って、どこで調達してるの?」

「主にトレーダーから買ってるわ。時々教会からも買うけど、高いのよね……質はいいけど」

「水って……川とか海から汲んでるの?」


 全く水源を見たことがないので聞いてみた。

 もし真水でなくとも、海水から水を蒸留したりすることができるのではないか――そう思った俺の予想は裏切られることになる。


「カワ? ウミ? ……なに、それ?」


 ウソだろ、川も海も未来には存在しないのか!?


「きょ、巨大な塩水がたまってる水たまりとか、ない?」

「そんな資源の宝庫、あったらトライブの人間がほっておかないわよ」


 海が消滅しているだと! なんてこった!

 ……最初に想像したのが水着姿のヨーコだってことは墓まで持っていこう。


「じゃあ……水はどこから?」

「南極の氷を溶かして運搬していると聞いたことがあるわ。教会が独占しているからトライブの人間が見たことはないけれど」


 そんな手間かけてんならそりゃ高いよな。

 つかマジ教会の印象最悪!


 俺達は食事にしようと食堂に向かった。

 

 今日の献立はゴキブリ風の虫が3匹。

 カロリーダンゴとビタミンダンゴ、それにミネラルダンゴが各種一つずつ。

 後、肉が1切れ。それと水1杯。


「あ、服洗濯しなきゃ」


 妙な酸味があるビタミンダンゴを頬張りながらひとりごちた。

 新しいスキンスーツ(黒なので見た目全く一緒)を渡してもらって着ているが、物資が不足してるってのに毎回新品を着ることができる訳ないだろう。風呂場に置きっぱなしの脱いだやつ洗わないと。


「あれ、穴空いていたから捨てたら? もう2、3着くらい貰えるわよ。あなた、この3日間で人の10倍くらい活躍しているから申請すれば――」

「やだ。アレは洗ってまた着る」


 初めてヨーコに貰ったプレゼントだ。――ヨーコが用意したわけじゃないかも知れないけど俺の中では。

 絶対捨てねえ。着れなくなってもずっと持ってる。


「物持ちがいいのねえ」


 そんな俺の気持ちは伝わらず、単に貧乏性だと思われたっぽい。

 確かにケチだけど!


「今日、どうする? お休みって言われたけど……」


 ぱりぱりと美味しそうに虫を食べるヨーコに話を振ってみた。すると、


「あ、そうだ。ダイチのお部屋できたわよ。後で行ってみましょう」






 食事を終え、ヨーコについて歩く。


「ここよ」


 ヨーコがドアを開けて電灯のスイッチを入れ、俺を招き入れた。

 中はベッドが一つに棚が一つ。

 まだ物が置かれていないからか、ヨーコの部屋と同じ殺風景な雰囲気だ。


「今まで物置に使われていたんだけど、皆で片付けたの。埃とか残ってたらごめんね」

「いや! そんなん自分で掃除するよ!」


 ランディさんやエイダさん、それにヨーコが甲斐甲斐しく部屋を片付けているのを想像して目頭が熱くなった。今日はもう泣かないぞ。


「それと、これ。お給料をボスから預かってるわ」


 小さな巾着袋を渡された。見た目より重く、中からじゃり、と音がする。


「給料!? やった!」


 バイトもしていなかった俺は初めて自分で金を稼いだことに有頂天になった。

 ……いや、お袋が勉強に集中しろって言ってバイトさせてくれなかったんだけど……。


「開けていい!?」


 勢い込んでそう言うと、ヨーコは口元に手を当てて苦笑。


「あなたのお金なんだから、いいに決まってるでしょ」


 俺は巾着を開いた。

 中には赤や白、黄色の硬貨が入っている。


「これが、ドラクマ?」

「そうよ。……今はイェソドの財政状況があまり良くないから少ないけど。ちょっとした嗜好品くらいなら買えるはずよ」

「へー!」


 それぞれの硬貨の価値を聞いたりしてヨーコと楽しくお喋りしながら、俺は心の中で卑怯にも安堵する。


 ――よかった、ヨーコが俺を許してくれて。本当に……良かった。

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