第18話


 ズキズキと痛む頭を押さえながら、上半身をゆるりと起こした。

 眩暈もする。地面はグニャリと波打ち、身体も大きく揺れた。酷い脱力感と吐き気。

 これでは立つこともままならない。

「おはよう、橋本鶴子さん」

 薄暗い空間の中、背後から聞こえた男の声に驚いて橋本鶴子は急ぎ振り返った。が、不調を訴える身体は思考に追いついて行けず、折角持ち上げた上半身は大きく崩してしまった。

 自分では転倒した際小さな悲鳴を上げたつもりだったが、本当につもりだったようで小さな悲鳴は身体の中で消化された。

「そんなに慌てなくとも、もう何もしないよ」

 嘲笑めいた声に、背筋がゾワゾワと震える。

 この声は――。

 嵐橘和人の家の付近で会った紳士然とした男の声だ。

 頭が混乱している。

 逃げたはずだ。

 ――おかしい。

 あの不気味な墓場から出たはずだ。

 ――どこだ、ここは?

 背後で男が嘲笑う。

「逃げてもらっては困るからね。ほんの少しだが、薬を飲んでもらったよ」

 ならば、なぜ手足を縛らないのか。鶴子は手足首を動かして自由なのを確認した。

 男――高木誠は嘲笑う。

「身体を縛らないのは、私が好きではないからだよ。ただそれだけだ」

 鶴子はどうにか身体を高木に向けた。まるで岩のように重い。

 それでも顔の筋肉は手足よりも動きがとれる。鶴子は全神経を顔に集中させ、精一杯睨んだ。

「気丈な女だな。和人が気に入るわけだ」

 再び嘲笑う。

「申し訳ないが、暫くここにいてもらうよ」

 二本の蝋燭だけで灯された空間に二人はいた。

 高木は鶴子の細い顎を掴み、物珍しそうにしげしげと見た。 

「苛立たしい。虫唾が走る。こんな状況下にあっても、負けず嫌いで睨み付けてきて」

 顎を投げ捨てるように放つと、肘掛け椅子から立ち上がった。

「さて、和人は我々のいる場所に気付けるかな?」

「ここは――どこなんですか?」 

 かろうじて声が出たが、それだけで息が上がる。この場所がどこだか分からない以上、無理に声を張り上げても声は届かない上に体力だけが持って行かれて、逆に身を危険に晒してしまうだろう。

 鶴子は唇を噛んだ。

 高木は暫く鶴子の様子を見てから口を開いた。

「賢明な判断だ」

 上を見上げる男につられ、鶴子も周辺を見回した。

 天井も四方の壁も茶色い土壁に覆われている。どうやら洞窟のようだ。明かりもわずかな蝋燭だけ。

 二人の影が大きく壁に揺らいだ。

 出口が見当たらない。足元の方にあるのだろうか。

 頭痛を振り払い、重い頭を持ち上げた。

 すると足元に全く気配が無かった、もう一人の人間が立っていて鶴子の心臓が激しく高鳴り響いた。

 見覚えのある人物。墓場で見た老人だ。ボロボロの黒い着物に袈裟を着た禿頭の老人。

 一切、鶴子に視線をやること無く――まるで存在していないかのように――正面に立つ高木を見ている。

「次は誰をやればいい?」

 高木は答えることなく、胸の前で腕を組んだ。

「すこぶる優越感だ。この老体に新たな楽しみができた」

「それは良かったな」

 呆れた高木に老人は、きひひひ――と薄気味悪く笑った。







 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る