第46話
その夜。俺は王宮の応接室に客を招いた。
一人は、モーフィアス家の当主ジェラルド。さきのモーフィアス邸での会話から、ここに呼ばれた理由に何となく察しがついていたのだろう。登城したその時から、すでに表情は浮かなかった。
ただ、今回の主役はむしろ別にいた。
その主役とも言える一組が到着したのは、ジェラルドが一杯目の紅茶を飲み終えた頃だった。
「これはこれは王太子殿下! すっかりお身体も良くなられたようで!」
俺の顔を見るなり相好を崩したのは、相変わらず成金趣味で全身を固めたロッド=システィーナだ。
そんなロッドの隣には、彼の妻と思しき小柄な女性が立つ。黒髪黒目のチャーミングな容貌を持つ彼女は、ロッドの妻ルチルだろう。
やがて二人の背後から、ポーンに護られるクイーンの立ち位置で現れたのは、二人の愛娘にして俺の婚約者。
――イザベラ。
「おや、モーフィアス公もいらしておりましたか」
ロッドが、意外なものを見る目でジェラルドに声をかける。ただ、口調こそ上機嫌を装っているが、その目がほんの一瞬、強い猜疑の色を浮かべるのを俺は見逃さなかった。
もっとも、俺にしてみればこれも想定通りのリアクションではある。
「あ、ああ……王太子殿下から直々にお話がある、ということでね」
曖昧に微笑むと、ジェラルドはロッドの隣に立つルチルを、次いで、その背後に立つイザベラに目を移す。
一瞬、その目が痛みを堪えるような色を宿し、それに気づいたのか否かはともかく、ルチルは静かに目を伏せる。イザベラは――わからない。どこまでも無の顔で両親の背後に立ち尽くしている。ただ、この状況と顔ぶれに、彼女が何も感じていないはずはないのだ。
とりあえず、システィーナ親子にもソファを勧める。
ソファはコの字を描くかたちで置かれ、システィーナ夫妻は、すでに長椅子の一つを占めるジェラルドの向かいに、その斜向かいの余った一人掛けソファにイザベラを座らせる。彼女の対岸に立つ俺から見下ろすと、皮肉にも、イザベラが両家に挟まれるかたちになる。……ああ、全くもって皮肉な配置だ。
「さて、始めるか」
そして俺は、隣に立つウェリナを振り返る。
ウェリナが小さく頷き返したのを合図に、俺はジェラルドとシスティーナ親子に向き直ると、挨拶を端折り、さっそく本題を切り出した。
「えー、今回、皆さんをここにお招きしたのは、先日のウェリントン邸襲撃事件についての手打ちを行なうためです」
「……手打ち?」
ジェラルドのバリトンと、ロッドのやや甲高いだみ声が奇妙なハーモニーを作る。二人が驚くのも無理はない。何せ、真相の解明を飛び越えて、いきなり手打ちなどという話が飛び出してきたのだから。
「お待ちください殿下。あの件は、まだ、我がモーフィアスの仕業だと確定したわけでは――」
「お静かに。殿下がお話し中です」
ウェリナが釘を刺すと、ジェラルドは恨めしそうに唇を噛む。それをロッドは、いかにも痛快そうに眺める。
今の一件で、どうやらロッドは手打ちの証人としてここに呼ばれたものと解釈したらしい。断罪を受けるのはモーフィアス。自分たちは、ただの傍観者にすぎないと。……いやいや、あんたらも立派な当事者なんだがな。
「そうです。これは手打ちの場です。ちょうど当事者全員が綺麗に雁首を揃えているわけですしね。被害者と、加害者、それから、加害者に一連の事件を仕向けた人間が」
するとロッドは、分厚い眉毛を不快そうに寄せる。
「ええと……恐れながらお訊ねしますが、殿下のおっしゃる当事者には、ひょっとして、私も含まれるのでしょうか」
「はい。むしろ俺的には、おたくを含めないでどうするって話なんですが。――あなたなんですよね。俺の暗殺を目論んだのは」
ロッドの薄ら笑みが、瞬間、音を立てて凍りつく。
が、敵もさるもの。何も聞かなかったような顔でやんわりと微笑み直す。娘の婚約者、それも王太子の抹殺を図るほどの人間が、この程度の揺さぶりでよろめくはずがない、か。
「何をおっしゃいます殿下。そもそも殿下は、我が娘イザベラの婚約者でいらっしゃる。その殿下を、なぜ我々が弑しいするなどと?」
「邪魔になったんでしょう。元々は、相手が王子なら――王家の血を引く人間ならイザベラ嬢の相手は誰でもよかった。でもその後、カサンドラ妃が男児を産んだ。するとあなたは、その子、つまり第二王子リチャードにイザベラを嫁がせたいと思うようになった。ところがそうなると、すでにイザベラ嬢と婚約する俺が邪魔になる。俺が死ぬか、さもなきゃ俺の方から婚約を破棄しない限り、彼女をフリーにできないからな」
「だから殿下の暗殺を謀ったと? お言葉ですが、さすがに暴論では――」
「暴論も何も、証拠はすでに挙がっている」
俺の代わりに、一歩進み出たのはウェリナだった。その手には、見せつけるかのような捜査資料の束。
「これは、先日デリタ地区で殺されたメイドについて調べたものだ。彼女に関しては、地元のマフィアに王太子暗殺を依頼したことがすでに明らかになっている。事件当時、彼女はカサンドラ妃の宮に勤めていた。そのため我々は当初、妃殿下こそ暗殺の首謀者ではないかと疑いをかけた。第二王子の母親が、王太子である第一王子の排除を願うのは、動機としても不自然じゃないからな」
「妹はそんな女じゃない!」
咄嗟に口を挟むジェラルドを、ウェリナは冷たく一瞥する。
軽蔑を隠しもしない冷酷な眼差し。もっとも、ウェリナの出自とそれを理由に強いられた苦悩を思えば、殴りかからないだけマシといえるだろう。
そのウェリナはひとつ溜息をつくと、改めて説明を続ける。
「――が、その後の調査でこのメイドが、以前はシスティーナ家の屋敷に勤めていたことが判明した。さらに、システィーナ家に多額の借金を負っていたことも。表向きカサンドラ妃のメイドとして働きながら、裏でシスティーナの駒として動いていたとしても不思議じゃない」
「はっはっは。ウェリントン公ともあろうお方が、随分と的外れなことをおっしゃる。それを申すなら、我々に借りを作る人間はそれこそ何百、いや何千を下りませぬぞ。公こうの理屈に照らすと、その全員が私の手駒ということになる。それは、いくら何でも暴論でありましょう」
そしてロッドは、ぐふぐふ、といかにも悪役らしい含み笑いを漏らす。
そんな一連のやりとりを、イザベラは無言のまま眺めている。目の前で起きる全ては茶番だと言いたげな、無気力と諦めに支配された無の顔。
きっとイザベラは、生まれてこのかたずっと、こんな茶番じみた世界で暮らしてきたのだろう。誰かに心から愛されることも、心から誰かを愛することもなく、親の政争の道具として、あるいは厄介者として扱われながら、ただ静かに心を閉ざして生きてきた。
でも。
そんな悲しい日々は、いい加減、終わらせるべきなのだ。
「イザベラ」
名を呼ばれたイザベラが、ようやく顔を上げる。井戸の底の闇に似た黒が、のろり、と俺を見上げる。
「君なんだね。俺を殺すためにウェリナの屋敷を襲ったのは」
はっと息を呑む声。それは、しかしイザベラではなく、斜向かいに座るジェラルドから聞こえた。いや、この期に及んでそのリアクションはさすがに白々しいぜオッサン。
一方、名指しされたイザベラはうっすら微笑む。生気のない、仮面じみた笑み。
「恐れながら……私は、ご存じのようにシスティーナの人間です。聞き及んだところでは、襲撃犯はモーフィアスの人間だったとか」
「モーフィアスの、ではないよ」
「はぁ」
「正確には、炎の精霊の加護を受ける人物、だ。そして君は、システィーナの人間でありながら、その条件にも合致する……だろう?」
沈黙が、不意にテーブルを包む。
それはしかし、ただの沈黙ではない。触れれば切れそうな緊張を孕む、一触即発の空気。……はいはいわかってるって。けど、それでも俺は言わなきゃならないんだ。
彼女は、こんな俺の婚約者でいてくれた女性だ。
だから幸せになってほしい。俺と関わる必要のない場所で。
「ダブルなんだね。岩と、炎の」
するとイザベラは、今度ははっきりとまなじりを険しくする。
改めて見ると、つくづく実の父親にそっくりだ。とりわけ、女性ながらも精悍な眉目と、きゅっと締まった一文字の唇が。
そんな彼女の両隣では、血縁上の両親、すなわちジェラルドとルチルが、お互いを責めるように睨み合っている。お前が秘密を漏らしたのかと言いたげに。まさか、バカ王子と称される俺が、独自に真相を暴いたとは思ってもいない顔だ。
ウェリナは言った。かつてウェリントン家は、ルネス家の令嬢を孕ませたことで多額の賠償金をルネスに支払った、と。
同様のことが、モーフィアスとシスティーナの間でも起きたのだろう。ただ、システィーナはルネスのように、カネで片をつける方法を取らなかった。むしろ、よりタチの悪い方法――すなわち、強請りの材料にすることで、長期的に収奪する方法を選んだのだ。
モーフィアスの資金難も、この収奪関係によって生じたものだと考えると合点がいく。ジェラルドの事業失敗も、おそらく、この醜聞を隠蔽するための嘘だろう。
しかもシスティーナは、単にモーフィアスから搾り取るだけでは終わらなかった。
今度は、その娘をモーフィアスの系譜であるリチャード王子に嫁がせようとしたのだ。すでにシスティーナの支配下にあるモーフィアス。その流れを汲む王子に、さらに閨閥として取り入ることで、システィーナは次代の王を駒として完全に掌握することができる……そんな青写真が、ロッドの不格好な頭の中では完成していたのだろう。
ところがそこに、一人の邪魔者が存在した。
それこそが、すでにイザベラと婚約を結ぶ王太子アルカディアだ。
イザベラは、生まれてすぐアルカディアの婚約者にあてがわれたという。おそらくロッドは、四公の血をキャンセルする王家になら、嫁がせたところでイザベラの秘密が露見することはない、と考えたのかもしれない。
ところが、モーフィアス系列のカサンドラが王子を産んだことで、娘を救うはずの婚約者が、逆に邪魔者へと転じてしまう。
システィーナにしてみれば、アルカディアが生きているかぎり――あるいは婚約破棄を言い出さないかぎり、イザベラをフリーにできない。さらに悪いことに、アルカディアは遠縁ながらもウェリントンの流れを汲み、手駒としても使い勝手が悪い。
だから俺に暗殺者を放った。それもご丁寧に、カサンドラの仕業に見せかけて。
曲がったことが嫌いなカサンドラは、いずれリチャードを傀儡にしたいロッドにとっては目の上のたんこぶだ。そのカサンドラも同時に排除できるなら、確かに、これほど旨い話もない。
「教えてほしい。事件の夜、君はどこで何をしていた?」
「失敬なッッ!」
怒号が鼓膜を震わせたのはそんな時だった。その主ことロッドは、岩肌を思わせる醜い顔をさらに険しく顰めながら、ぎりりと俺を睨む。
「イザベラは間違いなく私の血を引く娘! そして、殿下の婚約者でもございますぞ! あまり侮辱が過ぎますと、たとえ殿下であっても――」
「もういいわ、お父様」
冷ややかな声が、ロッドの大喝を遮る。
一方ロッドは、今度は娘に向けて怒鳴りはじめる。「何を言うこいつは」「お前は侮辱されたのだぞ」――そんな父親の怒声を、しかしイザベラは、見ているこちらの肝が冷えるほど冷ややかに受け流す。
彼女は知っているのだろう。こうした父親の怒りや怒号は、全てシスティーナを肥え太らせるための演技に過ぎないことを。本当は、血の繋がらない娘に対する愛など微塵も宿らないことを。
「だから、もういいと言っているの」
ゴゴゴ、と、どこからともなく響く不穏な地鳴り。
続いて、身体の芯をずずずと揺らす不快感が襲い、その、日本人にはお馴染みの感覚に、俺は思わず身構える。まさか――と、反射的に床に伏せかけた次の瞬間、その床板が次々とめくれあがり、さらにその底から――
「――溶岩!?」
刹那、今度は強烈な一撃が全身を襲い、それがウェリナの起こした暴風だと気付いた時には、もう俺は窓から庭へと吹き飛ばされていた。
「痛ってぇ!」
痛みを堪えつつ、のろのろ身を起こす。
応接室は、すでに炎の中にあった。割れた窓越しに覗く部屋は完全に炎の海で――いや、あれはただの炎じゃない。床の亀裂から、今この瞬間もぼこりぼこりと湧き上がるあれは、そう、溶岩だ。それも、かなり高温の。
そんな溶鉱炉を髣髴とさせる光景の中に立つ、長い髪を真っ赤に輝かせた女。その顔は、地獄めいたシチュエーションには場違いなほど無表情で、なのに、黒い双眸が宿す感情はどこまでも悲しい。
「もういい、疲れた。本当に……本当に疲れた。この血を隠すのも、この血のせいで起きる茶番も、もう、全部、何もかもうんざり」
「……イザベラ」
呻いたのは俺ではなく、俺の隣で身構えるウェリナだ。その声に滲む同情の色に、俺は思わず胸が詰まる。彼もまた同じダブルとして、彼女の慟哭に思うところがあったのかもしれない。
「よ、よしなさい、イザベラ!」
「やめるんだ、イザベラ嬢!」
燃え盛る部屋の中で、二人の父親がそれぞれ娘を止めようとする。が、当の娘はもはや聞く耳を持たない。当然だ。きっとイザベラは、これまでもずっと我慢してきたのだ。自身の血や存在を道具として利用されることに。それを止めようともしない――止めることもできない実の父親の不甲斐なさに。
誰も彼女を救わなかった。救おうともしなかった。
彼女は、ずっと独りだったのだ。
「……なぁウェリナ、重ね重ね悪いんだが、ちょっと頼まれてくれるか」
「頼み? 今度は何だ」
「俺を、お前の水の加護で守ってほしい」
「――は?」
面食らうウェリナを横目に、俺はクラウチングスタートから一気に走り出す。
向かう先は、たったいま脱出したばかりの応接室。その中央で、割れた窓越しに俺たちを睨みつけるイザベラに、俺は全速力で駆け寄った。――って、熱っ! そりゃそうだ。目の前は、地獄の釜の底を思わせる溶岩の海。うっかり大きく息を吸えば、一瞬で肺が焼けただれるだろう。
けど……だけど。
と、不意にその熱さが和らぎ、見ると、俺の全身を分厚い水の膜が覆っている。ご丁寧に口元には空気の塊。さすがは水と風のダブルだな、と、改めてウェリナの力に感心する。
その水の膜も、しかし、イザベラとの距離を詰めるつれみるみる蒸気と化してゆく。
一応、ウェリナの力で水が追加されているようだが、それでもじわじわと装甲を削られているのがわかる。このままじゃいずれ丸裸に――
だとしても。
「ほっとけるかよぉぉぉッ!」
やがて、蒸気と陽炎の向こうにイザベラの姿を捉える。その顔は涙こそ流してはいないものの、表情から明らかに泣いているのだとわかる。でも彼女の血と力が発する熱は、頬に涙が伝うことすら許さない。
それがまた悲しくて、俺は、無我夢中で彼女に飛びつき、抱きしめる。強く。強く。
ぼばばばばばば!
彼女の身体に触れた水の膜が、すさまじい音を立てて水蒸気と化してゆく。というか、もうこの水の膜自体が熱い。完全に熱湯だ。このままだと焼かれはしなくても茹で蛸になっちまう。つまり何にせよ死ぬ!
でも俺は、彼女を決して離さない。なぜなら、それが俺という人間だからだ。だから前世では呆気なく命を落として、こんな世界に転生して――
そんで、あいつに逢えた。
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