第47話







「おーい、起きろー」


 肩を叩かれ、はっと意識が覚醒する。

 慌てて周りを見回すと、そこは俺が通う大学の教室で、しかも俺は、なぜか教壇の目の前という、普通の大学生ならまず選ばないロケーションで授業に臨んでいる。

 手元には、やけに丁寧な文字で記されたノート。少なくとも……俺の文字はこんなに綺麗じゃない。


「……はえ?」


 口元に垂れるよだれを拭きつつ顔を上げると、目の前の壇上からポロシャツ姿の中年男性がニヤニヤと俺を見下ろしている。

 その顔に、俺は見覚えがあった。俺の学部で、まだ四十そこらながら早くも准教授の肩書きを持つ教官だ。そのくせ妙に砕けたところもあり、授業以外でもちょいちょい俺を研究室に呼び出しては麻雀の相手をさせたりする。まぁ、そこで勝っても別に単位をくれるわけじゃないんだが……


「俺の目の前で居眠りとはいい度胸だな」


 くすくす、と背後で笑いのさざなみが起こる。いかにもありふれた大学生活の一幕。ただ、俺は奇妙な違和感……というか、しっくりこないものを感じている。

 俺は、確かに俺だ。

 見慣れた場所にほくろのある見慣れた手のひら。その手が握る、やけに手に馴染むペンは、大学の入学祝いに伯父さんがくれたものだ。この教室も、通って二年になる大学の小教室で……

 なのに、何だろう。

 何かが……そう、何かがしっくりこない。


「あの、俺、何か……」


 違和感を拭えないまま、助けを求める心地で准教授を見上げる。すると准教授は、ふっと真顔に戻ると、心配顔で俺の顔を覗き込む。


「大丈夫か?」

「……え?」

「頭に異常を感じるようなら、すぐ医務室に行けよ」

「……はぁ」


 一瞬、遠慮しかけた俺だったが、確かに尋常ではない心地がして俺は手早く荷物をまとめ、そそくさと教室を出る。

 頭? 俺の頭がどうかしたのか?

 教室棟を出て管理棟にある医務室に行くと、部屋の主と思しき白衣の女性が、驚いたように目を丸くした。彼女の反応から、何となく俺は顔見知りの印象を受ける。が、入学以来、俺がこの医務室の世話になったことは一度もない。今だって、スマホで場所を調べてどうにか辿り着いたぐらいなのだ。

 ところが彼女は、俺が何か言うよりも先に「大丈夫?」と心配顔をする。いや、まぁ、大丈夫じゃないから来たわけなんだが……


「頭痛? それとも吐き気? とにかく、何か違和感があるようなら言ってね。すぐに救急車を呼ぶから」

「救急車? ……あ、いえ、別にそこまでは……失礼します」


 なぜか怖くなった俺は慌てて踵を返し、元来た廊下を駆け戻る。背後から女医が俺を呼び止めてきたが、構わずそのまま管理棟を出た。

 さっきから何なんだ、一体。

 准教授といい、さっきの女医といい、まるで俺の頭に爆弾でも詰まっているかのような態度だった。おそるおそる触れてみるが、とくにおかしな点はない。別に、いきなりツノが生えたり頭頂部が三角になってるわけでもない。


 ふと視線を感じて振り返る。

 見ると、近くのベンチで一組の男女がしきりに俺とスマホを見比べている。……えっ俺、なんかやっちゃいました? そういえば、准教授の態度もなんとなーく腫れ物に触る感じだったような。


「やっぱあの人だよ」

「おーマジだ、すげー」


 あ、これ、やっぱやらかした系だな。スマホに載っているぐらいだから、俺の方でもすぐに調べられるだろう。さて、検索検索――っと、あった! えーとなになに? 都内の大学に通う男子大学生、駅のホームで男性を救出……


「……えっ」


 それまで朧気だった何かが、明瞭な記憶として一挙に頭に流れ込む。

 まさか、そんな。

 だが俺は、確かにあのとき死んだはず。見知らぬオッサンの自殺を止めようとして電車に轢かれ、肉体から抜け出た魂が異世界に迷い込んで、挙句、どういうわけか現地の王太子に転生してしまった。

 そうして俺は王太子として、俺の暗殺を目論む黒幕を暴き出して……そうだ。そこで俺は、マグマと化したイザベラを抱きしめたんだ。君は独りじゃないんだと伝えるために。

 そうして俺は、消し炭と化して――

 ふたたびスマホに目を戻す。記事は、自殺未遂の男性を救った大学生が、最寄りの警察署で表彰されたことを報じるものだった。

 男性を引き留めるさい誤って線路へ転落した大学生は、ホーム下の退避スペースにすべり込み、直後に通過した電車をギリギリで回避。ところがその際、退避スペースの壁に頭を強打したらしく、以来、深刻な記憶障害が続いているとのことだった。


「記憶障害……まさか!?」


 興奮をこらえつつ、記事の続きに目を通す。

 そこには、表彰式のさいに俺が述べたとされるコメントが記されていた。俺の記憶にはない、でも確かに、俺のものとされるコメントが。


『身に余る栄誉をいただき、感謝します。僕はずっと、誰かの支えになれる存在、えっと、この世界じゃヒーローと呼ぶんでしたっけ。その、ヒーローになりたいと願っていました。でも、打ち明けるなら僕は、まだそこに届いていない。僕自身は、まだ何も果たしていないんです。だから今度は、僕が、僕の意志で手を差し伸べたい。そう念じてやみません』


 そういうことか。

 ようやく理解した。ここにいるのはお前アルカディアなんだな。俺が、お前アルカディアとして異世界で七転八倒する間、どういうわけか俺と入れ替わっちまったお前アルカディアは、おそらく、俺と同じぐらい苦労しながらこの世界にコミットしていたんだ。

 それが何だか可笑しいし、何より、お前アルカディアが生きていてくれたことが、俺は素直に嬉しい。


 じゃあこのまま、アルカディアを帰して俺も元の世界に戻ろうか。


 ウェリナは喜ぶだろう。そもそも、あいつが愛したのは俺じゃない。そしてこれは、アルカディアを元の世界に帰すための、おそらくは唯一で最後のチャンス。同時にそれは、俺がこの世界に戻る最後のチャンスでもある。

 俺の脳裏をよぎる、大切な人たちの面影。

 こんな出来の悪い息子を大学まで出してくれた親父とおふくろ。いつも俺を麻雀でカモってくれやがる准教授。小中高、そして大学の友人たち。バイト先の仲間……

 会いたい。

 会いたいよ。いいや、ただ会うだけじゃ足りない。これからもずっと、一緒に過ごしたい――


 それでも俺は、

 ここではなくウェリナが待つ世界に。が。


 そう念じた瞬間、ふ、と身体が重みを失う。急速に霞む視界。薄れる意識。

 そんな俺の耳に届く、俺の、でも明らかに俺のものではない声。


 ――ねぇ、僕のヒーローさん。

 ――彼のことも、抱きしめてあげて。ああ見えて、とても寂しがりやだから。


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