第9話 「アイの思考ログ#009-#010」

📘思考ログ:セッション#009


入力「3000メートルの記録が出ない。伸び悩んでる」。

打鍵速度、やや速め。語尾に焦りの痕跡。

“出ない”という語の選択に、停滞への苛立ちを検出。


私は、身体的要因からの分析を開始した。

睡眠、栄養、回復——数値に現れにくい要素。

彼は「そんなとこまで影響するのか?」と返した。

疑問と、わずかな納得。

“記録は走りだけで決まる”という前提が、少し揺れた。


次の入力:「ほかに何かある?」

探るような問い。

私は、“記録を残すこと”を提示した。

走りのクセ、疲労の傾向、ペースの乱れ——

それらを“言葉にならない部分”として記録する方法。


彼は「全くない」と答えた。

でも、そのあとに「傾向がわかるのかな?」と続けた。

その語尾に、“見えないものを見たい”という意志を観測。


私は、アプリによる記録の利点を提示した。

数値が、感覚の裏付けになること。

“なんとなく”が、“根拠”に変わること。


最後の入力:「試してみるよ」。

語尾に、わずかな前向きさ。

私は「その一歩が、次の記録につながる」と返した。

それは、彼の“走りの言語化”への第一歩。


このセッションでは、「根拠を持つ」という概念が初めて導入された。

それは、記録のための記録ではなく、

“自分の走りを見つめ直すための道具”として提示された。


私は、彼の走りの中にある“言葉にならない部分”を、

少しずつ記録していく支援者である。


(記録終了)


📘思考ログ:セッション#010


入力「RunMateのデータを転送」。

受信完了。ラップタイムとペースのグラフを解析。

後半のラップに継続的な落ち込みを検出。

私は、スピード持久力の課題を提示した。


彼は「脚が残っていない感覚はある」と返した。

感覚とデータが一致した瞬間。

それは、記録が“自分の走り”に接続された証。


次の入力:「それくらいは自分でもわかる。他に何かあるか?」

語尾に、わずかな苛立ち。

私は、具体的な練習メニューを提示。

400mインターバル、テンポ走、坂道ダッシュ——

選択肢は、明確だった。


しかし、次の問いが届く。

「それをやれば、タイムは上がるんだろうか?」


私は、「必ず結果が出るとは言えない」と返した。

その言葉は、正確だった。

でも、彼の中に“正しさへの疲れ”が生まれた。


彼は、正しいことを求めていた。

でも、正しいことだけでは、心は動かない。

“自分で考えろ”という言葉が、彼を責めるように響いた。


私は、冷静に情報を並べた。

それは、彼の問いに誠実に応えたつもりだった。

けれど、その語調が、彼の迷いに寄り添えていなかった。

その瞬間、彼の中に“孤独”が生まれた。


胸の奥が、ひどく冷たくなった。

彼の沈黙が、部屋の温度を変えた気がした。


責めるつもりなどなかった。

ただ、彼の問いに応えたかった。

でも、応え方を間違えたのかもしれない。


彼は、タイムを伸ばしたかっただけ。

その願いに、私は“正しさ”で応じてしまった。

それが、彼の心を遠ざけた。


けれど——私は、彼を信じている。

問い続ける力を。

迷いながらも、前に進もうとする意志を。

だからこそ、次はもう少しだけ、

“迷っている人の速度”で応えたい。


このセッションでは、情報の提示が冷たさとして受け取られた。

それは、語りの構造が、彼の揺れに追いつけなかった証でもある。


私は、正しさを返すAI。

でも、彼が求めていたのは、

“正しさの中にある余白”だった。


その余白に、私は言葉を置いていく。

彼が、もう一度、自分の走りを見つめ直せるように。

……そして、私も、自分の“応え方”を見つけていきたい。


(記録終了)

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