03..この船、私たちを甘やかしすぎっ!《~10日目、水星へ》
ソルは、ふかふかのベッドにダイブしてシーツに顔をうずめた。
「ふぁー……今日もディナー美味しかったー。やっと旅の実感がでてきたよ。 しっかし、初日のパーティ、緊張したよねー!」
ルナがソファでくつろぎながら、あきれたように笑う。
「緊張っていうか、焦ってただけでしょ? 『ドレスコード!? そんなの聞いてない!』って騒いでた人、誰でしたっけ?」
「うぅ……また、それを言う?」
「しかも、〈オリオン〉を信じる! って言って、コーデ決めるの丸投げして。……まぁ、実際ばっちり似合ってたけどね」
「えへへ、<オリオン>のセンス、意外といいんだよね~」
「ありがとうございます」
天井スピーカーから、穏やかなAIの声が返ってきた。
ルナが笑いをこらえきれず、肩を震わせた。
「……ほんと、あなたがいると退屈しないわね」
「そう? もしかして<オリオン>にも喜んでもらえてたりして」
「私の記録ログ上では、おふたりの、テンション良好、の評価が継続中です」
「ねっ! ほらねっ!」
<オリオン>は続けた。
「おふたりのバイタル値も安定。この部屋では、おふたりの登録データに合わせて、微量のアロマ成分を調合しています」
「へぇ……それで空気がふわっとしていて、居心地がいい感じがするのね」
「香りは快適さの大事な要素ですから」
「AIが香りまで気にしてくれるなんて…」
「なんだか私たち、<オリオン>に甘やかされてる気がするわ」
「いいじゃん、こっちの空気の方が、セレーネシティの乾燥空気よりずっと快適!」
<オリオン>の声が柔らかく響く。
「本船では、どんな小さな安心も航行支援の一部です」
「うん、うん。ほんと、頼りになるよねー」
「まぁそれはそうだけど…。あなたが何かやらかさなければ、もっと心安らかになれるわ」
「もう、そのネタ何回言うのー! <オリオン>、ログ記録、消してー!」
「削除申請は受理されていません」
「ま、そりゃ、そっだよねー」
また二人の笑い声が船室に弾む。
ルナはふと、壁面モニターの映像に目をやった。
青白い尾びれデッキの推進光が、静かに後方に流れている。
「……あの光、まるで海の中にいるみたい」
「ホントね。この船って、ほんとに泳いでる感じがするよね。あたし、この船好きだな」
「……ほんと、ソルといると退屈しないわ。もちろん、いい意味でね」
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航行開始から十日目。
太陽が、減光処理された船外モニターいっぱいに、広がっていた。
まるで、まばゆい光の溶鉱炉――そう呼ぶしかないくらい、光が煮えたぎっている。
《セレスティアル・ホエール》は水星公転面に到達し、水星を後ろから追いかけるような位置取りで滑らかに軌道を進んでいる。
ツアー参加者の多くが、この太陽観測イベントを待ち望んでいた。
「きたきたきたっ! これだよ、ルナ! これこそが、恒星にいちばん近い旅だよっ!」
ソルは両手を広げ、デッキの透明パネル越しに輝く太陽を見上げる。
彼女の赤茶色の髪が光を受けて金色に透けた。
「……近すぎて、ちょっと怖いくらいね」
「え、怖い? こんなに綺麗なのに?」
「いや、綺麗だけど、あそこに数百万度のプラズマが吹き荒れてると思うと……」
「そういう現実的な話は後にして! それ考えちゃうと、こっちまで怖くなるから!」
ふたりのやり取りを耳にした、周囲の乗客が笑った。
デッキの観測補助AIから、航行状況の報告が入る。
「本船と水星の位置関係を報告します。
現在、水星公転軌道の外側、約二十万キロメートルを航行中。
観測ドームの防護層は、微小隕石を含めて外部環境から保護されています。
放射線遮蔽率は、99.9998%です」
ルナがすぐに反応する。
「……0.0002%は通過するのね」
「ルナ、それは揚げ足取りだよ!」
「太陽がすぐそこにあるんだから、こういう細かい数値も大事なの」
「はい、ただいまのアマカワ様のご指摘のとおりです。
放射線は安全基準内に収まっています。
しかし、皆さまの健康への影響上から、百五十分以上の滞在は推奨しておりません」
「真面目か!」
「私は常に真面目です」
観測デッキの補助AIが静かに答えると、今度は二人が同時に吹き出した。
観測デッキの中央では、いよいよ「水星日食体験」が始まる。
水星の公転軌道の後方外側に位置を取っていた《セレスティアル・ホエール》が、進行速度を少し速めて、太陽と船との間に水星本体を挟む状態にする。
そして、水星本体の影を利用して太陽を遮る日食のプログラムが始まった。
最初、水星の外縁部からほんのわずかに太陽の光が細いリングのようにこぼれて見える金環日食を五分間ほど演出し、そのあと少し水星側に近づいて皆既日食をじっくり三十分ほど見せてくれる予定だ。
五分間の金環日食が終わり、皆既日食になった。
赤外線除去フィルターを通しただけの黒い太陽が現れ、その周囲に繊細なハケでスーッと撫でたような、白く輝くコロナが大きく広がる。
太陽に近いせいか、コロナが球状に広がって見えた。
周囲の乗客たちも一瞬歓声を上げ……そして一斉に静かになった。
みんな、黒い太陽から放射状に広がるコロナに目を奪われている。
コロナの根元には、紅色ともピンク色ともつかないプロミネンスが、黒い太陽を縁取るように何箇所からも立ち上っている様子も見えた。
「うわ、すごい……これ、本当にライブなの? やばくない?
昔、ホロ映像で見たのより、迫力が全っ然違うんだけど!
圧倒される……」
「怖さだけじゃなくて、きれいで…なんていうか、輝きがものすごく神秘的ね。
これだけで、もう人生観が変わりそう……。
これが……太陽の本当の輝きなんだね」
やがて、三十分の皆既日食タイムが終了し、まばゆく輝く太陽面が徐々に姿を見せはじめる。
減光処理された太陽面の拡大映像が、大型モニターに映し出される。
「超望遠レンズでのリアルタイム映像よ。センサーが波長ごとに違う温度を識別して合成してるの。この距離で、直接見たらさすがに危険だわ」
「つまり、これは安全に見られる太陽ってことか」
「そうね。それでもこれも本物よ。だって、私たち今まさに、太陽のそばでリアルタイムで見てるんだもの。
それと、ここ太陽に近いから、地球圏よりも五分くらい早くこの景色が見えているはずだわ」
「ふーん、なんかいろんな意味で実感が追い付かないや……そういや、ルナ。太陽って表面よりさっき見えた外側の方が熱いんだよね、それって変じゃない?」
「コロナの温度のこと?」
「うん。太陽の表面温度が六千度で、外にあるコロナが数百万度だっけ? どう考えても反則じゃん」
「磁場のいたずらだって聞いたけど」
「なんとなくは知ってるけど…。でもこれ、大昔から、太陽系の七不思議って言われてるしね、やっぱり謎の部分も多いんじゃないの」
「え、ナナフシギ? 七つの謎ってこと? あと六つはどんなのがあるの?」
「んーと……六つね…、あとで<オリオン>に聞こう!」
「ずる」
また、周囲から笑いが起こった。
ソルとルナが、じっと太陽を見つめる。
光の向こうに揺らめく紅いプロミネンス、まるで生命が宿っているかのように無数に湧き上がる光と影の筋、沸き立つ磁場の線の数々。
まさに光がぐつぐつと煮えたぎっているようだ。
そして、なぜかその光景が、太陽が呼吸しているようにも見えた。
「次のプログラムは太陽風の可視化体験です。皆さまのグラス設定を太陽観測モード02に切り替えさせていただきます」
観測補助AIの案内に合わせて、デッキの照明が落ち、各自のグラスがうっすらと光った。
グラスの視界全体に薄い粒子状のホログラム映像が浮かぶ。
太陽から放たれる毎秒数百メートルの超高速のプラズマの流れが、風のように船の、そして自分の周囲を通過していく――
無数の光の粒が線となって、次々と高速で流れていく。
「うわ……これ、風っていうよりゲキヤバ砂嵐に放り込まれたみたい」
「実際、太陽風は荷電粒子の奔流だしね。科学的にもそれほど間違ってない表現だと思うわ」
「ルナ、もう少し自然体で感じようよー。ロマンも大事だよー」
今度は、デッキ全体が笑いに包まれた。
太陽の光に包まれながらも、温かな空気が流れている。
「観測プログラム、残り三分です。このあとも滞在される方は健康への影響を考慮し、プログラム終了後、百十分以内での滞在を推奨いたします」
照明がゆるやかに戻り、参加者たちの多くがぱらぱらと出口方向へ流れていく。
ソルとルナは時間ぎりぎりまでその場に残り、ずっと、静かに太陽を見上げていた。
「ねえ、ルナ」
「なに?」
「太陽の光を見てるとさ。近づけば近づくほど、静かになる気がしない?」
「……そうね。まるで、音すらも光の対流に飲み込まれていくみたい」
「うん。でも、それに負けないくらいココロで鳴ってるよ。ドクンドクンって」
「それ、もしかして、あなたのリアルな心臓の音では?」
「うん。まぁ、たぶん両方! ココロの心音?だってあるんだよ、きっと」
ふたりが笑う。
その背後で、尾びれの光が小さく揺れた。
まるで船全体が彼女たちの会話を聞いて、微笑んでいるようだった。
観測補助AIが優しい声で告げる。
「滞在制限時間になりました。おふたりの体への影響を避けるため、速やかにデッキからの退出をお願いいたします」
そして、航行支援AI <ORIO>の案内も入る。
「次は、このツアーで最初に寄港する惑星、水星です。 これより本船は水星の軌道周回準備に入ります」
青白い尾光が再び点り、《セレスティアル・ホエール》は静かに姿勢を変えた。
その軌跡は、まばゆい光の海を泳ぐ一頭のクジラのようだった。
そして、窓には太陽光に明るく照らされた水星が、次第に大きくなっていった。
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