04..水星、熱いっ!寒いっ!でも行くっ!《11日目、水星表面》
《セレスティアル・ホエール》は、太陽を間近にした水星周回軌道をゆるやかに進んでいた。
眼下にあるのは、灰銀色の地表面。光と影のコントラストが印象的であった。
その赤道付近の低緯度地帯に、今日の目的地〈モーツァルト・クレーター〉が存在している。
《セレスティアル・ホエール》の下部、ちょうどクジラのお腹にあたる後部デッキ——<ピノッキオ・デッキ>では、四機の搭載艇が水星地表面に向かって順番に離床し始めていた。
〈オルカM型〉――水星のような温度差の著しい過酷な環境でも安全に活動ができるように調整された機体である。
カラーリング塗装も特殊で、通常のオルカ艇は黒と白に塗り分けられたシャチのイメージであるが、この特殊型は太陽光を反射しやすいよう白銀に統一されている。整備スタッフからは、白シャチと呼ばれている。
母船の外では、白シャチの滑らかな外殻が太陽の光をまぶしいほど反射していた。
船内で、水星用に調整された宇宙服に身を包んだソルが口を開く。
「ねえルナ、もう乗っちゃってからで、あれなんだけどさ。
こんな小さな船で、水星表面に行って大丈夫なのかな?」
隣でルナが微笑む。
「小さくても性能は最高クラスよ。〈オルカM〉型、私たちが月から最初に乗ったやつの水星モデルね。
もともと信頼性の高い船を、水星に特化して強化しているそうよ」
「ルナがそう言うなら……ま、大丈夫か」
そのとき、<オリオン>の力強くて渋い声が、ヘルメット内の骨伝導スピーカーから伝わる。
「どうぞご安心ください、ソル、ルナ。
この八十人乗りのオルカ級宇宙船は、ホエールシリーズの開発ベースとなった信頼性のある機体です。
加えて、このオルカM級の外殻は600度以上の局所的な温度差にも充分に対応できる設計であり、強力な太陽風に対しても安全性を確保しています」
「出たよ、シブツヨドヤ声」
「はい、では、もう少し機体の性能を自慢いたしましょう。
この機体は、水星表面の強力な太陽照射でも、船内の温度変化を0.5℃以内で安定させる能力を有しています。
液体金属が船体外殻層を巡って熱を運び、全体温度を平準化させる設計です」
ルナが頷く。
「熱を液体で運ぶ……まるでこの船が生きていて、血液を巡らせているみたいね」
そのとき、オルカ艇の航行支援AIの柔らかい声が響いた。
「これより水星地表面の歩行体験ツアーについて、最終確認を行います。
本ツアーの総参加者は二百九十六名。四機の船で降下中です」
AIの案内にあわせて、ヘルメット内の調光シールドに水星の全景が映し出され、中央部分に赤い光点が示されたクレーター内に向かって画像が拡大していく。
「皆さまがいま向かっているのは、水星の低緯度地帯、北緯7度付近にあるモーツァルト・クレーターです。この中央にある平地部に着陸する予定です。
地表重力は約0.4G。温度は光の部分でプラス430℃、影の部分でマイナス180℃ほどです。その温度差は600度ほどになります。
着陸後、光と影の境界線に沿った、影またぎ歩行をお楽しみいただけます。
行動時間は、必ず、三十分以内としてください。
また、影またぎ歩行は、本船から二百メートル以内の範囲でお楽しみください。
行動できる残り時間および本船からの距離は、シールド内の表示でご確認いただけます。
なお、三十分間を超えた行動は、宇宙服運用の安全規則にかかり、危険状態とみなされます。
ツアースタッフ及び私の判断により、強制的に降下艇の座標地点まで低空飛行形態で帰還させていただきます。
この場合、以後のツアー参加権の停止やペナルティクレジットが発生する場合がございます。どうぞご注意ください」
「強制帰還って、なんかものものしいね」とソル。
<オリオン>が補足する。
「はい。じつは初期のテストクルーズの際に、行動ルールを破り永久影の窪みに入りこんだ参加者がおり、一時行方不明になったことがありました。
そのため現行の宇宙服は、船から半径十キロメートル以内であれば強制的に自動帰還する仕様に変更されています」
「つまり、自動リールのヒモ付きお散歩ってことね」とソルが笑う。
<オリオン>が説明を続ける。
「なお、水星の大気はほぼ真空ですが、地表のナトリウム原子が強力な太陽光によって励起して金色の霧のようにただよう現象が発生いたします」
「それ、水星が息をしている、ってこと?」
「生命体の呼吸とはメカニズムが異なります。
しかし、金色の霧の濃度変化には弱い規則性が認められますので、そういうイメージで解釈することも可能です」
着地の軽い衝撃。
「着陸姿勢安定。座標誤差0.7メートル許容範囲内。太陽風強度許容範囲内。歩行体験ツアー実施承認されました」のアナウンス。
少し間をおいて、宇宙船の外部ハッチが開き、眩しい光が一気に流れ込む。
「太陽光照射強度9.1キロワット毎平方メートル。
外殻表面温度+421.2℃、宇宙服の内部温度+20.5℃で安定」
シールドに表示される温度が小数点1桁で細かく揺れ動くたびに、ソルとルナの心拍も高まっていった。
太陽が斜め上に大きく輝き、地球圏では考えられないほどの強烈な光を放っている。
左手に比高十メートル程度で、地面から斜めに突き出したような崖があり、その影が目の前に線状に長く伸びている。
ソルとルナが、ツアースタッフの先導で光と影の境界線に一歩ずつ踏み出した。
「――半分、太陽。半分、影。…これが、灼熱と極寒が隣り合う境界線…」
光と影の境界は、刃のように鋭かった。
太陽光が地表を強烈に照らし、岩肌から金色の霧が立ち上っている。
真空のはずなのに、光が空気のように揺らいでいる。
それがさきほど聞いた、水星の呼吸だった。
シールドに温度が表示される。
日光直射面+423.5℃、影域−179.8℃、温度差603.3℃。
この温度を反映して、スーツの安全機構が脚部に約40℃の温度差を再現していた。
ソルは足を交互に踏み出して笑った。
「右足あっつい! 左足めっちゃつめたい! あはは、これヘンな感じ!
両足で影に入ると、両足ともつめたくなるし、日なたにでると両足あつい!!
感覚がおかしくて笑っちゃう!」
<オリオン>が返す。
「実際の温度差を1/15スケールに緩和した疑似体感モードです。これ以上のスケールは人体にとって危険になります」
ルナも笑いながら呟く。
「でも、このモードでもリアルな温度差をイメージできるわ。灼熱の昼と極寒の夜を一緒に踏んでるみたいで変な感じね、ふふ」
はしゃぎながら光と影の間をいったりきたりする二人の周りで、金色の霧がゆるやかに巻き立つ。
「これが、金色の霧です。ナトリウムが励起して光を放つ――水星の呼吸です」
ソルがふとつぶやく。
「…なんだか、この星と会話しているみたい。この不思議な感覚は実際に来てみたからこそ、だよね!」
ルナが、岩陰の奥をじっと見ている。
「ねえ<オリオン>、あの影のところは永久影なの?」
「はい。この岩陰の奥側は、太陽の光が一度も届かない場所です。わずかですが貴重な水星の氷が存在していて、宇宙条約で保護されています。絶対に近づかないようにしてください」
「分かっているわ。もう、すぐそこが、永遠に朝が来ない夜なのね……」
足元から、金色の霧が巻き上がる。それは水星の呼吸そのもののように、
ふたりの足元から、水星の上空へとゆらゆらと昇っていった。
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