02..AI<オリオン>、はじめまして! 《~5日目、地球圏出発》
「おお……足に重さがある!」
船内への第一歩を踏み出したソルが、通路の端で片足を上げ下げしながら、ぎこちなく笑う。
「うわ、地球の人っていつもこんなに重い世界で動いてるの!?」
「私は逆に、体がふわっとして落ち着かないわ。結構、軽いものなのね」
二人の感覚は正反対だった。思わず見つめ合って、同時に笑う。
「これが、0.6Gってやつか」
「月の重力より重くて、地球より軽い……お互いに慣れるまで転ばないようにしなきゃね」
「まかせて! ……たぶん、いける、おっ?」
ソルがふらつきながらも胸を張り、ルナは少しおぼつかない足取りのまま小さく肩をすくめた。
二人の客室は〈4Aブロック・15号室〉。
ドアのパネルには光の文字が浮かび上がる。
4A-15 〈Sol.M|Luna.A〉――居住者の2人が近づいたときだけ名前が表示される、視覚プライバシーシールドだ。
「ねえ見て、離れると名前が消える!」
「リゾートホテルみたい。こういう大きな宇宙船だと、ちゃんとプライバシー配慮があるのね」
ルナが笑うと、ドアが静かに開いた。
中は広々としていた。
柔らかで歩き心地の良い床。高い天井。二つ並んだ幅広のベッドは、よくある壁面収納式ではなく、しっかりと床に固定されていてかなりの空間を占めている。
さらに、壁一面を占める大型モニターには、航行に関する情報に加え、外の宇宙がリアルタイムで、まるで本物の窓ように映し出されている。
他にも大きなソファや家具類に加え、加減速時に着席が推奨されている重力制御チェア、宇宙スーツ保管室を兼ねる非常脱出用ポッド、ミストシャワールームも二つ…。
貴重な船内空間であることを忘れてしまうほど、ゆったりとした室内のレイアウトが目にとびこんでくる。
「ここ宇宙船なのに、この贅沢な空間……セレーネシティの私の部屋って一体……」
「いや…、私のコウベシティの家も似たようなものだわ……」
バルブが並ぶ簡易キッチンも付いていて、その隣には、フードデリバリー用の小さなハッチがある。
〈フードポート:出航二時間後より提供開始〉の文字がやさしく明滅していた。
「ねぇ、ルナ! 宇宙なのにルームデリバリーまである! うわ、メニューのラインナップやばー! あ、このスイーツ、パンフで見た船内限定のやつだー!!」
「食べ過ぎると加速中に後悔するわよ。胃が引っ張られるらしいわ」
「わかってるって! いや、それすらも貴重な体験か……ここはあえて…」
ソルが嬉々としてデリバリーメニューを見ていたそのとき――
室内端末のスピーカーから低く落ち着いた男の声が響いた。
「おふたりのご到着を確認しました。
私は《セレスティアル・ホエール》のこの居室のご利用者さま専用のサブユニットです。《O.R.I.O (Operational Relay & Intelligent Observer system)統合運航支援システム、クルーズ第4Aブロック管理AI支援サブユニット》と申します。
ソル・ミソラ様、ルナ・アマカワ様の太陽系クルーズが快適なものになりますよう、最高の演算アルゴリズムを持ちましてご支援させていただきます」
その声は、上品で物静かな印象で、言葉のひとつひとつに、ベテランの執事のような落ち着きがある。
「お、おぅ……なんか名前が長い!」ソルが思わず笑う。
「どうぞ、略して<オリオ>とお呼びください」
「いや、それでも堅いなぁ。それなら<オリオン>ってどう? 頼もしそうだし、星座みたいに見守ってもらっている感じじゃん!」
「え、思い付きで名前変えちゃうの?」
「うん、言いやすいでしょ? あだ名よ、あだ名! それとも<セバスチャン>とかのがいい?」
少しの間をおいて、AIの声が穏やかに応えた。
「……登録完了。どうぞ、これから私を<オリオン>とお呼びください」
「うわ、なんか、さっきより力強くて渋い声になったね! ツヨシブボイス?」
「ありがとうございます、ソル」
「わ、呼び捨てになった!」
「敬称でもお呼びできますよ。マドモアゼル・ソル」
「い、いや! ソルのままでいいよ!よろしくね〈オリオン〉」
ルナが感心した顔で笑った。
「…あなた、本当に誰とでもすぐ仲良くなれるのね」
ソルは少し照れながら満足げに胸を張った。
「でしょ!」
「ではこれより、ソル、ルナ、おふたりの旅を快適に過ごしていただくためのサポートを開始させていただきます。
旅に関することは何なりと私にお申し付けください」
――こうして、二人の旅に頼もしい相棒<オリオン>が加わった。
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出航から二日目。
船体の加速が本格化し、人工重力0.6Gの感覚にも少しずつ慣れてきた。
ソルは「月より体が重いけど、これなら走れそう」と笑い、
ルナは「地球より軽くて、まだ心も浮いてるみたい」と言った。
モニター越しの地球の青が、少しずつ小さくなっていく。
「……もう、あんなに小さい。けど、まだ見えるね」
「ええ。内惑星を回って、火星に行くころにもまた見られるわ」
「そっか。やっぱり地球が見えると、なんかホッとするね」
ルナは静かに頷きながら、青い光を放つ地球を見つめた。
「そうね。地球圏が、私たちの帰る場所だもの」
船内では、七百八十名の乗客それぞれが、すでに宇宙の日常に馴染みはじめていた。
リング居住区のカフェでは、重力制御をオフにしてふわふわと飲む「無重力抹茶カプチーノ」が人気で、ダイニングホールでは、太陽系をテーマにした特別メニューが日替わりで提供されている。
太陽系クルーズらしい演出に、ソルは毎度目を輝かせていた。
「ねぇ、この太陽コロナカレーって、もしかしなくても激辛系じゃない? 太陽だけに、ウルトラホットってやつ?」
「宇宙だと濃いめの味が好まれるっていうけど…、えっ、辛さのレベル、大型フレア級って書いてあるわ」
「うわ、それもう絶対辛いやつだよ! トッピングの黒点レーズンを入れまくったって辛さ中和できないよー」
二人の笑い声が、低重力の空気に軽やかに溶けていった。
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そんな穏やかな時間の五日目。
AI統合システム〈ORIO〉航行ユニットの音声が、船内スピーカーから響いた。
「――航行安定モード移行。加速度、0.068Gで固定。次の観測予定をお知らせいたヒッ……ピピッ…」
しかし、案内が終わる直前、突如として通信におかしな声が混じった。
「……あれ?」
ルナが眉をひそめる。
次の瞬間、全ての端末に一瞬だけノイズが走った。
「〈ORIO〉、何が起きたの?… <オリオン>、聞こえる?」
どちらからも返事はない。船内の照明が一拍遅れて明滅した。
不安が広がりかけたその時――
「……ヒッ…ピッ…も、申し訳……ピッ…ありませ……想定以じょ…の太陽…フレア……ヒクッ……」
奇妙なリズムで、AIの声が戻ってきた。
「しゃ、しゃっくり!?」
ソルが思わず吹き出す。
「えっ、AIってしゃっくりするの!?」
「演算…同期の遅延反応です。……ヒッ。現在、バックアップ…システムより補…正中……ヒョピッ…」
〈ORIO〉の声が、半分困って、半分笑っているように聞こえた。
20秒後、照明が穏やかに戻り、声が落ち着いて響く。
「――メイン系統システム復帰。バックアップシステムとのメモリ同期完了。現在、航行の安全は確保されています。
想定以上の太陽フレア規模により、防御シールドの出力調整が0.002秒間に合いませんでした」
ルナは、ほっと息をつきながらも、小声で呟いた。
「すぐ復帰できてよかったわね。フレアの規模が大きければ、計器がやられることもあると聞くわ」
「うん、ちょっと焦ったねー。でも、AIが『ヒクッ』って言うのはレア体験かも。あれはもう絶対しゃっくりだね!」
「えっ?」
「だって船の照明とかもピクッてしたじゃん!」
「不正確ですが…、そして不本意ではありますが…的確な表現です」
<オリオン>の渋く落ち着いた声がそう返し、二人は思わず吹き出した。
「ねぇ、<オリオン>」
「はい」
「しゃっくりが治ったあとって、スッキリするでしょ?」
「そうですね。……どうやら、航行ユニットも私も少し深呼吸が必要だったようです」
「ふふっ、でも、無事に復帰できて安心したわ」
「ありがとうございます」
その後、<ORIO>は完璧な航行管理を取り戻し、次の目的地――水星軌道への航路をゆっくり描いていった。
外の太陽が一段と強く輝き、船体を黄金に染める。
「太陽に近づくなんて、考えただけでわくわくするね! ちょっと、ドキドキもするけど」
「ええ、不安がないって言ったらウソになるけど……この船の性能を信じるしかないわね。こんな経験、そうできることではないもの」
二人は減色処理されたモニターの中で少しずつ大きくなっていく太陽を見つめた。
その光は確かに、二人の胸の奥を温めていた。
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