敗戦

秋月ひろ

敗戦

 ひときわ巨大な轟音が海原に響き、硝煙を濃密に含んだ大気を震わせた。

 敬礼しつつ見送っていた巨艦が、海面下へ完全に姿を消す直前に、弾薬庫の誘爆を起こしたらしかった。浮かべる鋼の城と讃えられた数万トンの大戦艦が、木っ端微塵に吹き飛び、辺り一帯に雨霰と鉄片を降らせている。

「結局、敵艦に向けては一発も放てないまま、か」

 弾薬庫に残っていたのは、“目的地まで辿り着き”“敵戦艦ないしは空母を射程に捉えた際”に備えた対艦用の徹甲弾、あるいは“敵上陸部隊を掃討すべし”対地榴弾ばかりのはずだ。対空用砲弾はこの海域へ至る過程で、敵機に向け盛大にばら撒いていた。ろくに残っちゃいなかっただろう。

 人も物も枯渇した昨今じゃ、砲弾も貴重品だ。それなのに、最後の花道だからと洗い浚い掻き集めておいて、延焼ないしは転覆時の衝撃で炸裂……自分たちの艦体を打ち砕くってオチにしかならなかった。

「もったいねえ……」

 元は貧農の次男坊としては、正直な感想を口にもしたくなる。

(ましてやその爆発で、味方の将兵を道連れにしたとあっては、な……)

 脱出の遅れた乗員たちがどれほど巻き込まれたか。助けにも行けなかった身が悔やまれる。

 軍ってのは本当に、金と命を無駄遣いする仕事場だと、改めて思わざるを得なかった。


「……今さらだな。今さらだ」

 こっちだって他所ひとのことは言えねえ。まだ辛うじて浮かんじゃいるが、部下に犠牲が出ていないわけがない。

 建前としては御国のため、誰もが決死の覚悟で臨んだ作戦だ。が、乗員のなかにひとりやふたり、死にたくねえって叫びたかった奴がいてもおかしくねえ。どんなに統率がとれた艦だって、人間が百人千人って集まりゃ意見を違える奴は出る。そしてそれを口に出せない空気も。

 間もなく降伏を余儀なくされ、自分たちは存在意義も行き場も失うだろう。それならいっそ――という気分は、わからんじゃないが、なあ……。

「遅かれ早かれ、か」

 旗艦の惨状をただ見守ることしかできなかったのだって、こっちの行き足がとうに止まっているからだ。巨艦が沈んだことで発生したうねりが、十分の一以下の排水量しかない小舟を不安定に揺らす。

 愛すべき我等がしろは、すでに満身創痍。浮いているのがやっという有様になるまで……戦って、戦って、戦い尽くした。

 艦橋から前甲板を見下ろせば、第一砲塔は明後日の方向を向いたまま、砲身もへし折れている。魚雷発射管は、基部の穴だけ残して跡形もなく消え失せた。敵艦載機の爆撃を受けたのが中身――魚雷を投棄した後でなかったら、旗艦同様、あるいはこれまで多くの僚艦がそうなってきたように、誘爆でとっくにあの世行きだったろう。

 自分の仕事道具だってのに苦渋の表情で「捨てるべき」だと進言してくれた水雷長も、今や姿が見えないが……。

「まさに刀折れ矢尽き……か」

 そう呟く俺自身、乾き切った唇を動かすのに苦労してもいる。

 今いる艦橋だって、健在なのは俺ひとりって有り様なんだ。元より風通しの良い安普請だったっていうのに、屋根も壁も銃撃と至近弾でぼろぼろ。際どい所で躱した爆撃が太い水柱を上げてくれたおかげで、見張り員も何人かもっていかれた。あとに残っているのは……床に伏せ、ピクリとも動かなくなった“元”乗員ばかり。

「……終わったな」

 このフネだけじゃない。艦隊が、軍が、国そのものが、とっくに敗北の坂を転がり落ちていやがる。

 国土を守るという名目で鍛え上げられたはずの艦が、飛行機が、将兵が、郷里から遙か彼方の水の底、だ。あるいは見知らぬ土地おかで野垂れ死。海軍だってのに、陸戦に駆り出された連中が少なくないなんて、なんとも浮かばれねえ。

 そこまで踏ん張っても、制空権も制海権も奪われたきり。本土は軍事拠点だけでなく、市街地まで焼き払われている有り様。

「……救えなかったな」

 目の前で沈み逝く味方も、祖国も。

「どだい、無茶な戦争だったというわけだ」

 国力差がありすぎた。戦略も、戦術も、向こうが一枚上手だった。

 途中で気づきもした。ヤバいんじゃないかと感じてもいた。

 が、一介の駆逐艦艦長に、何ができる? 職業軍人として本分を尽くすのが精一杯だろうが。戦況が好転することを祈って、微力な自分はその他大勢と一緒になって、力を合わせて、できることをするしかなかったじゃねえか。

 ――そう自分に言い聞かせて、目を背けていたんだ。最悪の現実から。

 挙げ句がこの、惨たらしい有り様と、何も成し得なかったという徒労感というわけだ。

 自問自答したところで、戦争を止める権限なんざ端から持ち合わせちゃいねえんだ、という自棄糞な気分が浮かぶ。上が――軍の指導部や政府が阿呆だったからだと、他人のせいにもしたくなる。

 いや、わかるぜ? 自分が大人になり、責任を負う立場になり、小なりとはいえ一艦の頭にまで上り詰めた今なら。

 ――誰だって、そんな巧くできやしないってことは。

 娑婆以上に戦場での“仕事”は、初めて経験することの連続だ。開戦以来まともに訓練の時間もとれないまま、即興で組まれた穴だらけの作戦に放り込まれ、想定外の事態が連発して悪戦苦闘。何も状況が掴めないまま、混乱のなかで手当たり次第に攻撃しては無我夢中で逃げ出すから、その海域で何が起きていたなんてろくに理解できちゃいない。

 果ては惨敗、一手間違えただけであの世行き……。経験を次に活かすなんて贅沢な真似ができた奴は、一握りだ。

 結局、誰も彼もが未経験の破局が連鎖するのを前に、雁首揃えて“新人”のまま終わりを迎えた。大人にできることなんざもう、責任とって腹を切るぐらいしか思いつかねえ。少なくとも周りの同格連中は、その覚悟でこの海へ来ていた。


 と、辛うじて残っているラッタルのほうから、ギシギシと軋む音が聞こえてきた。どうやら誰かが、恐る恐る上がってこようとしているらしい。

 普段なら「さっさと上がってこんか!」と怒鳴りつけたくなるペースだが、ただでさえ安普請の艦橋が崩れかかっている現状じゃ、無理は言えねえか。そもそも、散々若造たちを竦み上がらせてきた怒声を放つ喉が、やけにひりついて動かしがたい。

 やがて、姿を現すなり、煤け、歪み、血肉のこびりついた室内の惨状を見て「ひっ……」と情けねえ声をあげたのは――出撃前に着任したばかりの、下士官のひとりだった。

 子供のあどけなさが抜け切れていない顔はすっかり青ざめ、怯えが貼り付いている。床一面に血と内蔵がぶちまけられていちゃ、まあ、無理もないが。必要最低限の教育を速成で受けただけのはずだから、海軍軍人としての心構えなんざ身についているわけもねえ。

 一方、こっちにとっちゃ嗅ぎ慣れた匂いで、見飽きた光景だ。たとえこの空気に、見知った部下の肉が焦げ、血が沸騰する匂いが混じっていても、だ。

「……あっ!? かっ、艦長!」

 だから、そんな上擦った声をあげなくても聞こえてるっての。

「坊主。お前さんには、後部機銃座の指揮を任せていたはずだが?」

 勝手に持ち場を離れるなと怒鳴りつけたいところだが、疲れからかどうにも力が入らん。さっきから妙な眠気にも襲われていていけねえ。

 だからこっちが言葉を続ける前に、もたもたしつつも坊主が近づいてくるほうが早かった。

 ったく、改めて見ても、軍服にいるとしか言い様がねえなあ。戦塵に薄汚れてはいても、この場に似つかわしいとは思えねえ風体だ。

「申し訳ありません、その……指示も途絶えたまま、艦が停止したもので。状況の確認に」

 ふん……そういや、艦内への対処指示を最後に出したのがいつだったか、思い出せねえな。旗艦を見送るのに意識を奪われていたとしたら、坊主をどうこう責められる立場じゃねえか。

「……ま、見ての通りだ。そっちは?」

「あ、はい。軽傷3名。他は健在です。ただ……」

「どうした早く言え」

「あっ、はい! 機関部から、兵が上甲板にまで上がってきています。機関停止、復旧の見込み無し――そう伝えるように、その……機関長が、最期に言い残したそうで……」

「……ふん。そうか」

 あいつも逝ったか。確か、孫が生まれたばかりだったはずだが……。


(いや……今はそれよりも、か)

 いよいよもって幹部乗組員は全滅、坊主と後部機銃座の連中だけがほぼ無事ってのは、奇跡に近いな。

「……少尉、新たな任務を与える」

「は、はい」

 状況を確認、即座に判断を下す――自分が指揮を執る立場になってから強く戒めてきた行為が、やけに億劫になってきやがった。

「生存者を上甲板に集めろ。総員退艦だ」

 微かに、息を呑む音だけが聞こえる。

「復唱はどうした、少尉」

「は……はいっ。生存者を上甲板に集めて、総員退艦……ですね」

「不服か?」

「…………」

 ふん。一丁前に不満そうな面しやがって。何ひとつまともに仕事をこなせていねえのに、上官への不服従な態度だけは身につけたか? まったく、誰を見倣ったんだか。

「……特別に教えてやる。さっきの轟音は、旗艦が爆沈した音だ」

 今度こそ本当に絶句しやがった。このフネで一番見晴らしの良い所に立っているんだから、周辺状況ぐらい即座に見て取れや。

 ……ま、見たところで、名残の黒煙しか残っちゃいないがなあ。

「故に作戦の目的は達成不可能だ。何より本艦はもう戦えない」

 坊主がキッと俺を睨みつけ、ムキになって何かを口にしかけ……唇を噛み締める。

 愛国心と軍の無敵神話を吹き込まれてきた世代だろうから、「まだ戦えます!」ぐらい言いかけたんだろう。が、現実問題として不可能だ。

「仲間が数ハイ生き残っているはずだ。そいつに拾ってもらうまで、おめえが生存者の指揮を執れ。責任をもってな」

 右舷に一艘だけまだ残っている短艇カッターのほうを顎で示す。無事に友軍と合流できるか、本土まで戻れるのか、甚だ心許ないが……このフネに居残り続けるよりはマシだろう。

「……艦長は」

 絞り出すような声が、坊主の俯いた顔の下から漏れ聞こえた。

「艦長は、どうなさるのですか」

 ……そんなところだけ敏いのかよ。

 下っ端士官に指揮を執らせるってことは、その上位者――すなわち俺は退艦する生存者に含まれない。部隊の指揮は最上位者が執るのが基本であり当然ってか。

「最後に退艦する」

 素っ気なく答え、続ける。俺にしては饒舌だ。

「艦長たる者、部下全員の退去を見届けてから艦を離れるべし――とな。損な役回りを押し付けられているんだ」

 敵機の群れはとうに去っている。ひょっとしたら代わりに向こうの水上部隊が追い討ちとばかりに接近しているかもしれないが、連中が貼り付いていた島からは遠い。こちらの狙いを察知してすぐ動いたとしても、まだまだ時間はかかるだろう。

 ……要するにこっちが、目的地の遙か手前で阻止された、ってだけなんだがな。

「はあ……」

 深い溜め息が出ちまった。柄じゃねえなあと感じつつ、言葉を続ける。

「俺だって別に、責任を感じて艦と運命を共にする、なんて真似をしたいわけじゃねえ。給料分は働いたんだ。あとは恩給でのらりくらり余生を過ごしたい」

「…………」

 おい、今にも泣き出しそうな面で睨んでくるな。さっきからイチイチどれもこれも、軍人のとる態度じゃねえぞ。

(こいつは本当に、着任した時期が悪かったなあ……)

 もうちょい遅ければ「技量未熟のため」とかなんとか理由を付けて、旗艦に乗り組むはずだった見習い連中同様、出港前にフネから降ろせたんだが。ま、何千人も乗り組んでいる大船と違って、こっちは文字通り猫の手も借りたい車曳きなんで、そんな余裕を示してやるのも難しかった。

「……やっぱり、おめえには娑婆が似合いだな」

 そもそも、こいつは本来まだ学生の身分だ。学のない俺じゃ逆立ちしたって入れない学校へ通う立場であって、大海原のど真ん中でどやされる必要なんかなかったはずだ。

 つまりはただの、ガキ。負けが込み、人も物も足りなくなった海軍が、形振り構わず掻き集めただけの人材。

 そんな奴を鉄の棺桶で沈めるのは、俺たちの仕事じゃねえんだよ。逆だろ、逆。

「反抗的な態度の抜けないガキに、軍人の名誉なんざやれねえよ。ガキはガキらしく、早くお家に帰りな」

 そう吐き捨てて、顔を背ける。

 ――こいつは、この若者は、俺たち大人の不始末を象徴する代物なんだ。俺たちの罪が形をとっているだけの、ここにいてはいけない存在だ。これ以上向き合っていられるか。

 なのに、まだ動き出さない。逡巡と葛藤に身体を震わせている気配だけを感じる。

「さっさと行け。敵の空襲だってまだ続くかもしれんぞ」

 雑に促すと、深く息を吐いた音が聞こえた。そして……踵を打ち合わせる音。

「命令に従います。……艦長、ありがとうございました。お世話になりました!」

 それまでの、震えを帯びた声じゃない。これ以上ないほど明瞭で、張りのある声。

 そして……くるりと背を向け、ラッタルを降りる足音も高く、しっかりしたもの。

「……ったく。もっと早くそういう態度を身につけてくれればよ」

 楽ができたのに――と呟いたつもりだったが、声はもう喉から出なかった。


 妙だな? と感じた次の瞬間には、全身から力が抜けていく。

 ああ……どうもいけねえ。腰から下の感覚がすうーっとなくなりやがった。無様に床へ頽れる身体が、自分のものとは思えねえ。

 小僧にも、この様がバレていたんだろうか? だから妙な態度や挨拶を……。

(様ぁねえな……)

 この俺も、この戦も。最期まで、情けねえ……。

 幸か不幸か、姿勢がごろんと仰向けに崩れた。が、打ち付けたはずの背中に、痛みも感じない。せめて大きく息を吸おうとすれば、失われつつあった身体の感覚に酷い痛みが奔った。

「っ……」

 あとはただ、頭上の空を仰ぎ見るだけ。いや、気のせいか、小僧が生き残りの兵どもにかける号令が、微かに聞こえた気もするが……。

 霞み、ぼやけ、閉ざされていく視界の端に……敵機も砲煙もない、蒼い空が僅かに見えた。


 了

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敗戦 秋月ひろ @hiromisoso

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