第4話 最後の家族写真



## 一


雨が降っていた。


葬儀場から出ると、黒い傘の列が静かに駐車場へ向かっていく。


大学生の健太は、祖父の棺を見送った。享年89歳。大往生だった。


「健太、お疲れ様」


父が肩に手を置く。


「疲れてないよ」


「そうか……じいちゃん、穏やかな顔してたな」


「うん」


二人は車に乗り込んだ。


実家に戻ると、親戚が集まっていた。祖母、叔父夫婦、従兄弟たち。


「健太、大きくなったわねえ」


叔母が声をかけてくる。


「お久しぶりです」


「大学、順調?」


「はい、なんとか」


社交辞令の会話。健太は苦手だった。


父が言った。


「健太、悪いけど蔵の整理、手伝ってくれるか?」


「蔵?」


「じいちゃんの遺品がたくさんあるんだ。処分するものを選別したい」


「分かった」


健太は父と共に、家の裏にある蔵へ向かった。


---


## 二


蔵の扉を開けると、埃の匂いが鼻をついた。


薄暗い室内には、古い家具や段ボール箱が積まれている。


「かなり古いものもあるから、慎重にな」


父はそう言って、奥の箱を開け始めた。


健太は手前の棚を調べる。


古い食器、錆びた工具、色褪せた衣類――


そして、革製のアルバム。


「これ……」


健太はアルバムを取り出した。


表紙には金文字で「家族の記録」と書かれている。


ページを開く。


白黒写真。昭和40年代のものだろう。


写っているのは――祖父、祖母、幼い父、そして叔父。


四人家族。


健太は次のページをめくる。


同じく家族写真。庭での集合写真。


祖父、祖母、父、叔父――


そして、見知らぬ少女。


「ん?」


健太は目を凝らした。


少女は10歳くらい。白いワンピースを着て、家族の中央に立っている。


笑顔でカメラを見ている。


「誰だ、この子……」


父に声をかけようとして、やめた。


もう少し確認してからにしよう。


次のページ。


また家族写真。今度は海での一枚。


同じ少女が、祖母の隣に立っている。


さらに次のページ。


正月の写真。着物姿の家族。


やはり少女がいる。


健太はアルバムを最後まで見た。


すべての写真に、少女が写っている。


家族の一員として。


---


## 三


「父さん、これ」


健太はアルバムを父に見せた。


「ああ、古い写真だな。懐かしい」


「この子、誰?」


健太が少女を指差す。


父は眉をひそめた。


「子?」


「ほら、ここに写ってる女の子」


父はじっと写真を見た。


「……誰だ?」


「分からないの?」


「いや、こんな子いたかな……」


父は首を傾げる。


「親戚の子じゃないか?」


「でも、全部の写真に写ってるんだ」


健太はページをめくって見せる。


「ほら、これも、これも」


父は困惑した表情で写真を見つめた。


「おかしいな……俺の記憶にはないぞ」


「じゃあ、おばあちゃんに聞いてみよう」


二人は蔵を出て、祖母のところへ向かった。


---


## 四


祖母は居間でお茶を飲んでいた。


「おばあちゃん、これ見て」


健太はアルバムを広げる。


「この女の子、誰?」


祖母は眼鏡をかけて写真を見た。


そして――顔色が変わった。


「これ……どこから出てきたの?」


「蔵にあったんだ」


「蔵に……」


祖母は震える手で写真に触れた。


「おばあちゃん、知ってるの?」


「……知らない」


「でも――」


「知らないわ。そんな子、いなかった」


祖母は強い口調で言った。


「写真の汚れじゃないかしら」


「汚れじゃないよ。ちゃんと写ってる」


健太は他のページも見せた。


「ほら、これも、これも。全部の写真に――」


「もういい!」


祖母が声を荒げた。


「そんな子は、いなかったのよ!」


居間が静まり返る。


祖母は立ち上がり、奥の部屋へ入っていった。


---


## 五


その夜、健太は自分の部屋でアルバムを見返していた。


少女は確かに存在している。


鮮明に写っている。


しかも――家族の中心に。


まるで、大切な存在であるかのように。


ノックの音。


「健太、入るよ」


妹の美月が部屋に入ってきた。


「何見てるの?」


「じいちゃんのアルバム」


美月が覗き込む。


「わあ、懐かしい……じゃなくて、古い写真だね」


「この子、見て」


健太は少女を指差した。


「この子、誰だか分かる?」


美月はじっと写真を見た。


「……知らない。でも」


「でも?」


「この子、私に似てない?」


健太は妹と写真を見比べた。


確かに――似ている。


顔の輪郭。目の形。鼻筋。


「本当だ……」


「親戚?」


「誰も知らないって言うんだ。父さんも、おばあちゃんも」


「変なの」


美月は首を傾げた。


「でも、確かにいるよね、この子」


「ああ」


二人はしばらく写真を見つめていた。


---


## 六


翌日、健太は再び蔵に入った。


他に何か手がかりがないか探すために。


奥の棚を調べていると、古い木箱を見つけた。


開けると――日記帳。


表紙には「昭和50年」と書かれている。


祖母の字だ。


健太はページを開いた。


```

4月3日

今日も、あの子が見える。

台所に立つ私の横に、いつもいる。

誰も信じてくれないけれど。

```


健太は息を呑んだ。


次のページ。


```

4月15日

夫に話したけれど、また「気のせいだ」と言われた。

でも、写真にも写ってる。

なのに、誰も見えないと言う。

```


さらにページをめくる。


```

5月2日

息子たち(健太の父と叔父)も、あの子を認識していない。

私だけが見えている。

なぜ?

```


健太の手が震えた。


最後のページまで読み進める。


```

12月24日

もう諦めた。

あの子は、私たちが忘れた誰か。

だから、写真にしか写らない。

記憶から消えた存在。

でも――確かにいたのに。

```


日記はそこで終わっていた。


---


## 七


健太は父に日記を見せた。


「これ……おばあちゃんの日記」


父はページをめくり、顔を曇らせた。


「母さん、こんなこと書いてたのか……」


「この『あの子』って、写真の少女だと思う」


「でも、俺には全く記憶がない」


父は困惑している。


「叔父さんに聞いてみようか」


「そうだな」


二人は叔父を訪ねた。


---


## 八


叔父は自宅のリビングで、同じアルバムを見せられた。


「この子、覚えてる?」


叔父は長い間、写真を見つめていた。


「……いや、覚えてない」


「でも、全部の写真に写ってるんだ」


「そうだな。確かに写ってる」


叔父は額に手を当てた。


「でも……思い出せないんだ。なぜか」


「おばあちゃんの日記にも、この子のことが書いてあった」


健太は日記を見せる。


叔父は読み進め、最後に深いため息をついた。


「母さん、こんなに苦しんでたのか……」


「この子、本当に家族だったんじゃないの?」


「かもしれない。でも――」


叔父は苦しそうに言った。


「記憶がないんだ。どうしても、思い出せない」


---


## 九


その夜、健太は一人で写真を見続けた。


少女の顔。


笑顔で、カメラを見ている。


幸せそうに。


家族の一員として。


健太はふと、自分の記憶を探った。


幼い頃の記憶。


保育園。小学校。


そして――


ぼんやりとした記憶。


誰かと遊んだ記憶。


女の子。


名前が思い出せない。


顔も思い出せない。


でも――


確かに一緒にいた。


「誰だ……」


健太は頭を抱えた。


その時、美月が部屋に入ってきた。


「健太、まだ起きてたの?」


「ああ……美月、ちょっと聞きたいんだけど」


「なに?」


「お前、小さい頃、誰かと遊んだ記憶ない? 家族以外の子と」


美月は首を傾げた。


「うーん……あるような、ないような」


「曖昧な記憶?」


「そう。女の子と遊んだような気がするけど、思い出せないの」


健太は立ち上がった。


「やっぱり……」


「どうしたの?」


「この少女、俺たちも知ってるんだ。でも、忘れてる」


---


## 十


翌朝、健太は家族全員を集めた。


父、叔父、祖母、そして美月。


「みんなに見てもらいたいものがある」


健太はアルバムを開いた。


「この少女、誰も覚えてないって言う。でも――」


健太は一枚の写真を取り出した。


最新の家族写真。


去年の正月に撮ったもの。


「この写真を見て」


全員が顔を寄せる。


そして――


凍りついた。


写真には、家族全員が写っている。


祖父、祖母、父、母、叔父、叔母、健太、美月――


そして、その中心に。


少女が写っていた。


いや――少女ではない。


大人の女性。


30代くらいの、女性。


白いワンピースを着て、笑顔で立っている。


「嘘だろ……」


父が呟く。


「こんな人、いなかった……」


叔父も震えている。


祖母は泣いていた。


「思い出した……思い出したわ……」


「おばあちゃん?」


「あの子は……私たちの家族だった」


「家族?」


「でも……でも……」


祖母は言葉を続けられない。


ただ泣き続けた。


---


## 十一


その日の午後、祖母が語り始めた。


「あの子の名前は、千尋」


居間に集まった家族が、静かに聞いている。


「私の長女だった」


「長女……?」


父が驚く。


「俺に姉がいた?」


「そう……お前が5歳、弟(叔父)が3歳の時に、千尋は10歳だった」


祖母は遠い目をした。


「でも、ある日――事故で亡くなった」


「事故……」


「川で溺れて。助けられなかった」


祖母の涙が止まらない。


「それから、私たちは彼女を忘れることにした」


「忘れる……って」


「辛すぎたのよ。毎日思い出すのが」


祖母は震える声で続けた。


「だから、みんなで決めたの。千尋のことは忘れようって」


「そんな……」


「子供たち(父と叔父)には、催眠療法を受けさせた」


「催眠療法?」


「記憶を消すために。辛い記憶を封じるために」


父と叔父は顔を見合わせた。


「写真も、全部仕舞った。アルバムも蔵の奥に」


「でも……」


健太が言った。


「千尋さんは、写真の中にずっといた」


「ええ。だから私だけは、見えていたのよ」


祖母は健太を見た。


「あなたにも、見えたのね」


「はい」


「血が呼ぶのかもしれない。千尋の血が、あなたたちにも流れてるから」


---


## 十二


その夜、健太は一人で古い写真を見返していた。


千尋。


10歳の彼女が、家族と笑っている。


幸せそうに。


健太はふと、自分の記憶を辿った。


幼い頃――


誰かが、自分を見守っていた記憶。


優しい声。


温かい手。


「お姉ちゃん……」


健太は呟いた。


記憶の中に、彼女がいる。


名前も顔もぼんやりしているが、確かに存在していた。


一緒に遊んだ。


一緒に笑った。


でも――


いつの間にか、忘れていた。


涙が溢れた。


「ごめん……忘れてた」


---


## 十三


翌日、健太は美月と二人で、川へ向かった。


祖母が言っていた、千尋が亡くなった場所。


川は穏やかに流れていた。


「ここで……」


美月が呟く。


「お姉ちゃんが、亡くなったんだね」


「ああ」


二人は川を見つめた。


「私も、少し思い出した」


美月が言った。


「幼い頃、誰かが私の髪を結んでくれた記憶」


「お姉ちゃん?」


「たぶん。優しい人だった」


健太は頷いた。


「俺も思い出した。一緒に遊んでくれた人」


二人は黙って、川に向かって手を合わせた。


---


## 十四


数日後、家族全員で千尋の墓参りをした。


祖父の墓の隣に、小さな墓石があった。


「川野千尋」


健太は花を供えた。


「初めまして、お姉ちゃん」


不思議なことに、そう呼ぶのが自然だった。


父も、叔父も、それぞれ花を供える。


「ごめんな、千尋。忘れてて」


父が言った。


「でも、もう忘れない」


叔父も頷く。


「ずっと覚えてる」


祖母は墓前で長い時間、手を合わせていた。


帰り道、祖母が健太に言った。


「ありがとう、健太」


「何が?」


「千尋を、思い出させてくれて」


「俺、何もしてないよ」


「いいえ。あなたが写真を見つけてくれなかったら、私たちはずっと忘れたままだった」


祖母は微笑んだ。


「千尋も、喜んでると思う」


---


## 十五


その夜、健太は最後にもう一度、アルバムを開いた。


千尋の写真。


10歳の笑顔。


「おやすみ、お姉ちゃん」


健太はアルバムを閉じた。


そして――


ふと、自分のスマホを開く。


去年の正月の写真。


家族全員が写っている。


そして、その中心に――


千尋が写っている。


大人になった彼女が。


白いワンピースを着て、笑顔で。


健太は画面に触れた。


「ずっと、見守ってくれてたんだね」


その時――


スマホの画面が一瞬、明るく光った。


そして、千尋の姿が消えた。


いや――消えたのではない。


薄く、透けている。


まるで――


役目を終えたかのように。


---


## 終章


翌朝、健太は祖母に報告した。


「おばあちゃん、写真の千尋さんが消えたんだ」


「消えた?」


「薄くなって、ほとんど見えなくなった」


祖母は微笑んだ。


「そう……じゃあ、安心したのね」


「安心?」


「私たちが思い出してくれたから。もう写真の中にいる必要がなくなったのよ」


「そうなのかな」


「ええ。きっと」


祖母は窓の外を見た。


「千尋は、ずっと待ってたのよ。私たちが思い出すのを」


「そっか……」


健太も窓の外を見た。


青空が広がっている。


どこかで、千尋が笑っている気がした。


***


その日の午後、健太は美月と公園を歩いていた。


「ねえ、健太」


「ん?」


「千尋お姉ちゃん、本当にいなくなったのかな」


「どうだろう」


「私は――まだいると思う」


美月は空を見上げた。


「写真の中じゃなくて、私たちの記憶の中に」


「そうだな」


健太も空を見た。


雲が流れている。


その形が、一瞬――


女性の横顔に見えた。


笑っている。


「おやすみ、お姉ちゃん」


健太は心の中で呟いた。


風が吹いて、桜の花びらが舞った。


***


**了**


---


## あとがき


家族写真を見てください。


そこに写っている人、全員覚えていますか?


それとも――


忘れた誰かが、写っているかもしれません。


記憶から消えた存在。


でも、写真の中には残っている。


あなたの家族写真、大丈夫ですか?

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