第5話 映らない人
## 一
「はい、チーズ!」
俊介はシャッターを切った。
レンズ越しに見える新郎新婦。二人とも幸せそうに笑っている。
フリーカメラマンとして10年。様々な結婚式を撮影してきたが、これほど幸福そうなカップルは久しぶりだ。
式場は地方の小さなチャペル。参列者は30人ほど。親族と親しい友人だけの、こじんまりとした式。
「もう一枚いいですか?」
「はい」
新郎がさわやかに笑う。30代半ば。黒のタキシード。端正な顔立ち。
新婦は20代後半。純白のドレス。透き通るような笑顔。
俊介は何枚も撮影した。
式は滞りなく進行した。誓いの言葉、指輪の交換、誓いのキス。
すべてが完璧だった。
披露宴でも俊介はカメラを回し続けた。
新郎のスピーチ。「彼女と出会えて、本当に幸せです」
新婦の父の祝辞。「二人の門出を心から祝福します」
ケーキ入刀。キャンドルサービス。
俊介は満足していた。
良い写真が撮れた。クライアントも喜ぶだろう。
---
## 二
三日後。
俊介は自宅の作業部屋で、写真データを確認していた。
モニターに映し出される結婚式の写真。
チャペルでの一枚。
新婦が一人で立っている。
「……ん?」
俊介は画面を見つめた。
新郎がいない。
新婦だけが、虚空を見つめて微笑んでいる。
「設定ミスか?」
俊介は次の写真を開く。
誓いのキスのシーン。
新婦が一人で、目を閉じている。
相手がいない。
「何だこれ……」
俊介は冷や汗をかいた。
次々と写真を確認する。
披露宴の写真。
新婦が一人でケーキにナイフを入れている。
スピーチの写真。
新婦が一人でマイクを持っている。
全カット――
新郎が写っていない。
「嘘だろ……」
俊介は震える手で、RAWデータを開いた。
未加工の写真。
やはり同じ。
新郎が、写っていない。
「機材の故障か?」
俊介は別のカメラで撮影したデータも確認した。
サブカメラ。予備機。
すべて同じ。
新郎が――映っていない。
---
## 三
俊介は慌てて式場に電話をかけた。
「もしもし、先日の結婚式の件で――」
『はい、どうされました?』
「写真に新郎様が写っていないんです。何かトラブルが……」
電話の向こうが静かになった。
『……新郎様?』
「はい。新婦様は写ってるんですが、新郎様だけが――」
『あの……』
担当者の声が震えている。
『新郎様は、三年前に交通事故で亡くなられています』
俊介の思考が停止した。
「は?」
『ですから、あの式は……新婦様の希望で、思い出の式を再現したものでして』
「再現……?」
『新郎様の代役は立てておりません。新婦様お一人での式でした』
「でも、俺は確かに新郎を見ました! 話もしました!」
『それは……』
担当者は言葉を濁した。
『お気持ちは分かりますが、新郎様は三年前に――』
俊介は電話を切った。
---
## 四
その夜、俊介は当日の記憶を辿った。
確かに新郎がいた。
握手もした。「よろしくお願いします」と言われた。
スピーチも聞いた。「彼女と出会えて幸せです」と。
ケーキも一緒に切った。
実在していた。
幻覚じゃない。
俊介は当日、一緒に撮影していたアシスタントの田村に電話をかけた。
「田村、あの時の動画、まだ持ってる?」
『ああ、持ってますよ』
「送ってくれ。今すぐ」
『分かりました』
数分後、動画データが届いた。
俊介は再生する。
式場の映像。
チャペルの中。
新婦が一人で立っている――
いや。
新郎がいる。
動画には、新郎が映っている。
タキシード姿で、新婦の隣に立っている。
「やっぱりいるじゃないか!」
俊介は安堵した。
自分は正常だ。新郎は確かにいた。
では――なぜ写真には写らない?
---
## 五
翌日、俊介は新婦に直接会いに行った。
新婦の自宅を訪ねる。
玄関のチャイムを押すと、新婦が出てきた。
まだ結婚式の余韻が残る、穏やかな表情。
「カメラマンの田所です。写真のことで――」
「ああ、どうぞ」
新婦は俊介を招き入れた。
リビングに通される。
「実は、写真に新郎様が写っていないんです」
俊介は正直に伝えた。
新婦は微笑んだ。
「ええ、知っています」
「え?」
「彼は、写真には写らないんです」
新婦は窓の外を見た。
「三年前に亡くなってから、ずっと」
「でも――」
「でも、確かにいたでしょう?」
新婦は俊介を見た。
「あなたも見たはずです。彼が、そこにいたのを」
俊介は頷いた。
「はい……確かに」
「彼は来てくれたんです。私たちの式に」
新婦の目に涙が浮かぶ。
「だから、写真に写らなくても構いません」
「でも……」
俊介は混乱していた。
「動画には写ってるんです」
新婦が驚いた表情を見せた。
「動画に?」
「はい」
俊介はタブレットを取り出し、動画を再生した。
新郎が映っている。確かに。
新婦は画面を見つめ――泣き始めた。
「彼……本当に来てくれたのね」
---
## 六
その日の午後、俊介は式場の担当者と再度会った。
「もう一度確認したいんですが、新郎は三年前に亡くなった?」
「はい。交通事故で」
「では、式の当日、新郎は――」
担当者は首を横に振った。
「いませんでした。新婦様お一人でした」
「でも俺は見た。話もした」
「それは……」
担当者は困ったように言った。
「新婦様が強く願っていたんです。彼と式を挙げたいと」
「それで?」
「その思いが、私たち全員に見せたのかもしれません」
「集団幻覚?」
「分かりません。でも、当日は確かに……新郎様がいたような気がしました」
担当者も混乱している。
「ただ……」
「ただ?」
「写真には写らない。それが真実なのかもしれません」
---
## 七
その夜、俊介は写真と動画を見比べた。
写真――新郎が写っていない。
動画――新郎が写っている。
なぜ?
俊介は考えた。
写真と動画の違い。
写真は「瞬間」を切り取る。
動画は「時間」を記録する。
もしかして――
新郎は「瞬間」には存在できない?
いや、違う。
俊介はふと、別の可能性に思い至った。
写真は「真実」を映す。
動画は「記憶」を映す。
だとしたら――
新郎は「記憶の中」にしか存在しなかった?
---
## 八
数日後、式場から連絡があった。
「田所様、お話があります」
俊介は式場へ向かった。
担当者が深刻な顔で待っていた。
「実は……お伝えしなければならないことが」
「何ですか?」
「新郎様のことです」
「三年前に亡くなった、という話ですよね」
「いえ……それが」
担当者は震える声で言った。
「新郎様は、三年前ではなく――」
「ではなく?」
「式の当日、式の直前に……事故で亡くなられました」
俊介の血の気が引いた。
「当日……?」
「はい。式場に向かう途中、交通事故に遭われて」
「では、式は――」
「本来、中止されるはずでした。しかし新婦様が……」
担当者は続けた。
「『彼は来る』と言って、式を強行されたんです」
---
## 九
俊介は新婦の元へ走った。
真実を確かめるために。
インターホンを鳴らす。
新婦が出てきた。
「あの……」
俊介は息を整えた。
「本当のことを教えてください。新郎は、いつ亡くなったんですか?」
新婦は静かに微笑んだ。
「式の三時間前です」
俊介は言葉を失った。
「でも――」
「でも、彼は来てくれました」
新婦は確信を持って言った。
「あなたも見たでしょう? 彼が、そこにいたのを」
「はい……」
「写真には写らなかった。でも、確かにいた」
新婦は涙を流した。
「それが、彼の最後のプレゼントだったんです」
---
## 十
その夜、俊介は再び写真を見た。
新婦が一人で微笑んでいる。
でも――よく見ると。
新婦の視線の先。
そこに、確かに「誰か」がいる気配がある。
光の加減。
影の形。
空気の歪み。
新郎は――写っていないけれど。
そこに、いる。
---
## 十一
一週間後、俊介は新婦に写真を渡した。
「これが、式の写真です」
新婦はアルバムを開く。
一人で立つ自分の写真。
一人で微笑む写真。
一人でケーキを切る写真。
そして――涙を流した。
「ありがとうございます」
「でも、新郎様は写っていません。申し訳――」
「いいえ」
新婦は首を横に振った。
「彼は、ここにいます」
新婦は自分の胸に手を当てた。
「写真に写らなくても、私には見える」
「そうですか……」
俊介は頷いた。
「動画もあります。そちらには――」
「結構です」
新婦は微笑んだ。
「動画は見ません。写真だけで十分です」
「なぜ?」
「だって――」
新婦は写真を見つめた。
「写真が真実だから」
---
## 十二
それから一ヶ月。
俊介は別の結婚式を撮影していた。
いつも通りの仕事。
いつも通りの笑顔。
シャッターを切る。
後で確認すると――
全員、ちゃんと写っている。
「当たり前だ」
俊介は呟いた。
でも――
あの式のことは、忘れられない。
新郎が写らなかった写真。
でも確かにいた、新郎。
写真と現実。
どちらが真実なのか。
俊介には、もう分からない。
---
## 終章
半年後。
俊介の元に一通の手紙が届いた。
新婦からだった。
```
田所様
先日は素敵な写真をありがとうございました。
毎日、アルバムを見ています。
写真の中の私は、一人で立っています。
でも、私には見えるんです。
隣に、彼がいるのが。
人は言います。
「彼はもういない」と。
でも、写真を見るたびに思います。
本当にいないのは、
写真に写っている人なのか、
写っていない人なのか。
私は信じています。
彼が、今もそばにいることを。
写真に写らなくても。
誰にも見えなくても。
確かに、そこにいる。
ありがとうございました。
田所様も、いつか分かる日が来ると思います。
大切な人は、写真に写らなくても、
心には残るのだということが。
```
俊介は手紙を読み終え、あの日の写真を開いた。
新婦が一人で微笑んでいる。
でも――
俊介の目には、今は見える。
新郎が、そこにいる。
写真には写っていない。
でも、確かにいる。
「そうか……」
俊介は微笑んだ。
「写真が映すのは、姿じゃない」
「存在だ」
そして――
存在は、写らなくても。
そこに、ある。
***
それから、俊介は結婚式を撮影するたび、思う。
この写真に、写っていない人はいないか。
誰にも見えないけれど、そこにいる人は。
そして時々――
本当に見える。
写真には写らない、誰かが。
幸せそうに、微笑んでいる姿が。
***
**了**
---
## あとがき
大切な人の写真を見てください。
その人は、写っていますか?
それとも――
写っていないけれど、そこにいますか?
写真が映すのは、姿だけではありません。
存在そのものです。
そして存在は――
時に、写真には写らない。
でも、確かにそこにある。
あなたの大切な人は、今も――
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