辺境の村へ

 乾いた風が頬をなでた。

 王都から馬車でおよそ十日。

 ようやく俺――レオン・リステリアは、辺境グレイア領に到着した。


 


「……うん。思った以上に、何もないな」


 


 村と呼ぶには寂しすぎる。

 見渡す限り、草原と崩れた柵。

 中央にぽつんと立つ木造の家々。

 そのどれもが傾き、煙突からは煙ひとつ上がっていなかった。


 


 隣でミリアが淡々と記録帳を開く。


「確認します。……人口五十二人、家屋十五棟、井戸一つ。

 農地の半分が荒地、家畜は――ヤギが三匹です」


「うん、聞けば聞くほど、詰んでるね」


「でも、静かですよ。レオン様の望む“スローライフ”には最適かと」


「……皮肉のセンス、上がってない?」


 


 ミリアは小さく微笑むだけだった。

 まったく、こういう時だけ表情が柔らかくなるんだから。


 


 そこへ、遠くの畑から小さな影が駆けてきた。


 


「お、お客さん!? えっ、馬車!? 本物の……!」


 


 髪を風に揺らしながら、ひとりの少女がこちらに駆け寄る。

 年の頃は十歳ほど。

 小麦色の髪に、汚れたエプロン。

 けれど、その瞳だけは澄んだ光を帯びていた。


 


「こんにちは。君はこの村の子かな?」


「はいっ! わたし、リィナって言います!

 あの……あなたたち、旅の人ですか?」


「旅のような、転勤のような……いや、うん、転勤だな」


「てんきん……?」


「つまり、“左遷”されたんだよ」


「させん?」


「偉い人に、『お前、静かな所が似合うね』って言われた結果がこれだ」


 


 少女――リィナは首をかしげた。


 


「じゃあ、王子様は……罰を受けたんですか?」


「ん?」


「だって、王子様ですよね?

 だって、その服、王都の人の……しかも、すっごくきれいな布!」


 


 ……よく見てるな、この子。

 確かにこの服、王宮の予備を持ってきたけど、

 まさかそんなところでバレるとは。


 


「はは……まぁ、そうだ。俺は一応、王族だ」


「お、王子様!? 本物の!?」


「うるさいうるさい! そんなに大声出すと村中に知れ渡る!」


「えっ、でも、王子様がこんな辺境に来るなんて……!」


「だから言っただろ。“左遷”だって」


 


 ミリアが静かにため息をつく。


「レオン様、それを誇らしげに言うのはどうかと」


「誇ってない。自虐だ」


 


 リィナは、ぽかんと口を開けたまま俺を見つめていた。

 どうやら本気で信じられないらしい。


 


「……じゃあ、王子様は、この村に何をしに?」


「引き篭もりに」


「え?」


「――いや、再建に。再建に来たんだ」


 


 ミリアが無言で肘を突いてくる。

 痛い。地味に痛い。


 


「再建……この村を、ですか?」


「そう。たぶん、国としては見捨てきれないんだろうな。

 俺はその“とりあえず置かれた人材”ってやつだ」


 


 リィナの瞳が少しだけ陰った。

 それでも、彼女はすぐに顔を上げて言った。


「でも、来てくれてうれしいです。

 誰ももう、助けてくれないと思ってたから……!」


 


 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。

 なんだろうな、この感覚。

 王都では味わったことのない種類の「期待」だった。


 


「……まぁ、期待するなよ。俺は引き篭もりだからな」


「じゃあ、村の仕事はわたしが手伝います!」


「えっ」


「わたし、数字も数えられますし、畑の管理もしてます!」


「……思ったより優秀だな」


「お褒めにあずかります!」


「いや、褒めては――」


「レオン様、即戦力ですね」


「お前まで認めるのかミリア!」


 


 二人の視線が同時に俺へ向けられる。

 なんだこの圧。

 いや、確かに書類仕事は得意じゃないけど……。


 


「じゃ、決まりですね!」

 リィナは満面の笑みを浮かべた。

 まだ幼いその笑顔は、どこか懐かしく、まっすぐだった。


 


「これから、よろしくお願いしますっ、レオン様!」


「……うん。まぁ、よろしく。

 俺は“なるべく静かに過ごす”のが目標だから」


「わたし、“なるべく賑やかにする”のが目標です!」


「意見、真逆じゃん!」


 


 ミリアが小さく笑う。

 その音を聞いたのは、王都を離れてから初めてだった。


 


 ――こうして、俺の“引き篭もり領地経営”は、

 予定通り(?)波乱の幕開けを迎えることになった。


 


「平穏に暮らしたいだけなのに……やっぱり、引き篭もれそうにないな。」

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