第11話 料理人、仲間を守る

「ハルト、逃げろ!」


 俺はゼルフの声に急いでキッチンカーの扉を閉じる。

 あいつは一体何だろうか。

 明らかに大型車並みの体の大きさをしているし、何か禍々しい黒い霧のようなものが見える。

 ゼルフはすぐにイノシシに斬りかかった。


「くっ……」


 だが、イノシシの体が硬いのか弾き返されていた。


『クゥエエエエエ!』


 隣にいたコールダックの全身が輝くと、イノシシから出ている黒い霧のようなものがなくなった。

 それをゼルフは見逃さない。

 再び姿が消えたと思ったら、ゼルフはイノシシの真上にいた。


「おりゃああああああ!」


 勢いよく振り下ろしたゼルフの剣はイノシシに突き刺さる。

 それと同時にイノシシがおたけびを上げた。

 どうやらダメージを与えたのだろう。

 だが、ゼルフは逃げ遅れたのか、暴れるイノシシから振り落とされ地面に叩きつけられていた。


『生きてるか!』

「あぁ……」


 ゼルフは腹を押さえていた。

 じんわりと服に血が滲み出ているのを見ると、傷口が広がったのだろう。


――ブモオオオオオ!


 イノシシは再びおたけびを上げると、足で何度も地面を蹴っている。

 全身の毛が逆立っているところを見ると、相当怒っているのだろう。

 ただ、ゼルフは立ち上がるのも難しいのか、今もうずくまっている。

 俺はすぐに荷台部分から降りて運転席に移動する。

 調理をしていたから、すでにキッチンカーのエンジンはついていた。

 きっとそんなことをしたら、もうキッチンカーの命は終わりだろう。

 だが、今は人の命の方が大事だからな。

 俺はゆっくりとキッチンカーを動かして、イノシシに向きを変える。


『おい、逃げるぞ!』

「お前だけでもハルトと逃げろ……」


 ゼルフもあまりの痛みに動けないのだろう。

 剣を支えて立つのが精一杯のようだ。

 イノシシは体を下げて、強く地面を蹴ると勢いよく走り出した。


「間に合えええええええ!」


 俺は思いっきりアクセルを踏み込む。

 突然かかる重力に俺の体は後ろに引っ張られる。

 幸いなのは運転席部分が広くなったことで、背中に押さえつけられるクッションが柔らかくなっていたことだ。

 俺はイノシシの意識をこっちに向けるためにクラクションを鳴らす。


――ブオオオオォォーーッ!


 俺が知っているクラクションとは全く異なる音が響く。

 まるで何かのおたけびのようだ。

 ただ、それのおかげかイノシシは足を止めた。


――ドンッ!


 鈍い音とともに体が前に放り出された。

 シートベルトが胸に食い込み、肺の空気が一気に押し出される。

 エンジンの音が途切れ、世界が一瞬、音を失ったような気がした。


 俺はシートベルトを外して、すぐにキッチンカーから降りた。


「ゼルフ、大丈夫か!」

「あぁ……」


 ゼルフは俺を見て唖然としていた。

 視線が定まっていないところを見ると、まだ意識が曖昧のようだ。

 そりゃー、車でイノシシを轢いたら、驚いて声も出ないだろう。


『あいつが起き上がるぞ!』


 コールダックの声に俺はイノシシに視線を戻す。

 全速力のキッチンカーにぶつかっても、イノシシはゆっくりと起き上がろうとしていた。

 もう一度轢かないと――。


「てめぇ……蒲焼きと天ぷらが食えなかったらどうするつもりだああああああ!」


 そう思った瞬間には、ゼルフはイノシシの上に乗り、何度も剣を刺していた。

 ゼルフの貪欲な食欲に驚くばかりだ。

 確かにキッチンカーが壊れたら、電気うなぎの蒲焼きとカエルの天ぷらは食べられないからな。

 ただ、幸運なことにすでに作り終えたあとだ。

 調理台の上にラップをかけて置いてある。


「大丈夫……だよな?」


 ぶつかった拍子に……いや、考えるのはやめよう。

 響き渡るイノシシのおたけびが少しずつ小さくなると、次第に体を伏せたまま動かなくなった。


「はぁ……はぁ……、俺は蒲焼――」

「ゼルフ!」


 ゼルフはその場で力尽きて倒れてしまった。

 服のボタンを外すと、明らかに腹部の傷が再び裂けて血が出ている。


「おい、ポーションはないのか!」


 俺はすぐにゼルフのズボンや服のポケットにポーションがないかと探す。

 ただ、服に限っては俺の着ていたものを羽織っているから、ポーションはどこにもない。

 あれが最後の一つだったのだろう。


「どうしよう……」 

『ここはオイラの出番だぞ!』

「えっ?」


 項垂れる俺にコールダックは近づき、羽を大きく広げた。

 キラキラと輝く羽はそのまま羽ばたくと、細かな粒子がゼルフに降り注ぐ。


「傷口が塞がっている……?」


 ポーションの時と比べて治りは遅いが、流れ出ていた血は止まっている。


『クゥエ……さすがにこれが限界だぞ……』


 コールダックはその場で丸くなると、寝てしまった。

 食欲のあとは睡眠欲ってことか。

 ゼルフといい、コールダックも欲望に忠実過ぎる。

 ただ、ゼルフの傷は無事に塞がったようだ。

 一人だけ残された静かな空気に俺も全身の力が抜けていく。


「はぁー、やっちまったな……」


 近くでスヤスヤと寝ているゼルフとコールダックを見て後悔はしていない。

 あの時イノシシにぶつかっていなければ、死んでいたかもしれないからな。

 ただ、キッチンカーにできた大きくへこんだ傷を見て、俺は申し訳ない気持ちになる。

 あれだけキッチンカーの店主が大事にしていたものに意図的に傷を作ってしまったからな。


 俺はゆっくりと立ち上がり、キッチンカーに乗り込む。

 無事にエンジンがついてくれと、期待を込めてキーを回す。


――ブルッ……


「あぁ……やっぱり……」


――ブルルンッ!


「はぁ!? ついた!」


 再びキッチンカーは音を立ててエンジンがついた。

 だが、事故の影響なのかどこかキッチンカーのエンジン音が動物の鳴き声のように聞こえた。

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