第36話 辺境伯のお膝元! 大都会ブランダウへ行こう!!

 選挙によって辺境伯への帰順は決まった。だが、それはあくまで「方針」にすぎず、具体的な段取りはまだ何ひとつ固まっていなかった。

 楓はまず、居住地の決定もされないまま拠点を放棄するわけにはいかないと主張した。

楓「せめて、私たちの生活の基盤が整うまではここを離れるべきではありません」

 その言葉に、オルフェリアは涼しい顔で頷いた。

オルフェリア「もちろんだとも。だが、細かな取り決めはブランダウで伯父上と直接交わすのが筋だろう」

蔵人(伯父上、ねぇ……)

 もはや交渉の主導権は、すでに完全にあちら側に握られていたといってよかった。

 結局、学園の代表団は辺境伯領の首都ブランダウへ赴き、伯爵と謁見することになった。

 その一行に、なぜか蔵人の名も加えられていた。

 本人にとっては純粋な不満しかなかった。なぜなら彼には選挙権すら与えられていなかったからだ。もっとも、それは蔵人自身が「部外者だから」と固辞した結果でもあったのだが、その言葉は生徒会の面々にとっても都合のいい免罪符となり、彼を投票から外す口実になっていた。

 その後味の悪さは、今も尾を引いていた。

 役員の三人――透子、レイジ、そして楓――は、どこかバツの悪そうな顔で蔵人に接していた。

 一方で、アレックスだけは平然とした態度を崩さず、むしろ「必要だから同行してもらう」と言わんばかりの眼差しを向けていた。

 そんな彼の苛立ちを見透かしたように、オルフェリアが銀の瞳を細めて笑った。

オルフェリア「君の存在は、伯父上にとっても興味深いはずだ。切り札になるかもしれないよ」

蔵人「なにいってんだこいつ」

 だが、オルフェリアの声音には冗談めいた軽さはなく、むしろ確信めいた響きがあった。

 

 荷馬車に揺られて三日が過ぎた。

 村々を通り抜けるたびに、ここが本当に現代日本ではないのだと痛感させられる。

 アスファルトなど影もなく、ただ人と獣の足で踏み固められたような土の道が、森と畑のあいだを延々と続いていた。村によっては宿と呼べる建物すらなく、夜は野営を余儀なくされることも珍しくなかった。

 そこで歴史好きおじさん蔵人の悪癖が出る。

蔵人「この道はただの土じゃないんだぞお! 層を重ねて固めてあるんだ。現代でも通用する技術で、違いといえばアスファルトの有無くらいだ」

 得意げに語ったが、誰からも相手にされなかった。

 悔しかったので蔵人は続けて話す。

蔵人「証拠に、雨の日にぬかるみなんて出ないから!! 中世ナメんな?」

エルンスト「ぬかるむよ、普通に」

蔵人「……」

 もう蔵人は何も話さなかった。

 この三日間で、蔵人とディートリヒは二十回以上も口論を繰り返した。些細なことで噛みつき合い、互いに譲らず、周囲の者たちからは呆れとため息を買うばかりだった。

 それでも蔵人は、荷台から眺める景色に心を奪われていた。まるで中世ヨーロッパを再現したゲームの画面を現実にしたかのような光景――粗末な茅葺き屋根、石垣に囲まれた小さな教会、畑を耕す農夫たち。首都ブランダウに近づくにつれて道幅は広がり、石畳が敷かれた街道も現れ、文明の匂いが濃くなっていく。その変化に、彼は思わず胸を高鳴らせた。

 だが、同時に目につくものもあった。道端に座り込み、手を差し出す物乞いたち。痩せ細った子供、ぼろ布をまとった老人。数が増えるごとに、蔵人の胸には苦いものが広がっていった。

蔵人(……俺もああなるのかな)

 ワクワクと苦味がごちゃまぜになった感情を抱えながら、蔵人は揺れる荷台の上で黙り込んだ。

オルフェリア「見えてきた! あれがシュヴァンデンベルク辺境伯領の首都、ブランダウだ!!」

 その言葉に、蔵人は荷馬車から身を乗り出して視線を向けた。

 遠くに広がるのは、白鳥の旗を高々と掲げた石造りの城壁だった。はるか遠くからでも、幾重にも立ち昇る黒い煙が視界を覆っていた。

 街道脇の荷馬車には、黒々とした泥炭の山が積み上げられている。城塞都市の周囲には、湿地を干拓して生まれた農地がまだらに広がり、ところどころに水路が縫うように走っていた。

 城塔がまばゆいばかりに輝く純白色をして居るのに、泥炭の黒が同じ景色に並び立つ様は、まるで「高貴さ」と「泥臭さ」が一枚の絵に押し込められたようだった。

 近づくにつれて、鼻をつく甘苦い匂いが漂ってくる。乾燥させた泥炭を燃やす煙が街全体を覆い、湿気と煤が混じり合って喉に絡みついた。旅人にはむせ返るほどの空気だが、街の人々は慣れた様子で行き交い、むしろその匂いを「我が都の証」と誇っているかのようだった。

 水路沿いには黒褐色の泥炭ブロックが山のように積まれ、荷船がひっきりなしに出入りしている。子供たちはその山を遊び場にし、貧しい者はこっそりと泥炭を懐に忍ばせていた。

 蔵人は思わず息を呑んだ。

蔵人「これが……本物の城塞都市。本物の中世の城!!」

 その雄大な都市の姿に、誰もが言葉を失っていた。

 やがて、ブランダウの城門が目前に迫ってくる。白鳥の旗が風にはためき、煤けた空気の中でひときわ鮮やかに翻っていた。

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