第37話 シュヴァンデンベルク辺境伯

 まるで巨大なテーマパークに迷い込んだかのようで、生徒会の面々は目に映るすべてに圧倒されていた。

 だが、それは決して娯楽施設のような作り物ではない。絢爛豪華というよりは、むしろ人々の暮らしと歴史が積み重なった「本物」だった。

 外壁の塗装はところどころ薄れ、手で触れればざらつきが残る。だがその痕跡こそが、現代のテーマパークにありがちな、のっぺりとした塗料の安っぽさとは決定的に違っていた。そこには人々が暮らし、修繕し、また使い古してきた時間の重みが刻まれていた。

 城へと案内されると、さらに圧倒された。

 広間に並ぶ調度品は豪奢でありながら、どこか実用の匂いを残している。壁を飾る布地は仕立ての良さが際立ち、手触りの柔らかさが目に浮かぶようだった。だが同時に、内壁の漆喰はところどころムラがあり、現代人の目には「不均一で安っぽい」と映るかもしれない。

 それでも――その不均一さすらも、ここでは本物の輝きを放っていた。

 均質で整えられた現代の建築にはない、時代と人の手が刻んだ揺らぎが、かえって城の威厳を際立たせていたのだ。

 一行は辺境伯の鎮座する玉座の間に通された。

 これでもかと金銀を散りばめた玉座は、辺境伯の威厳を示すものだった。生徒会の面々は圧倒されていたが、ひとり蔵人だけは苦い顔をしている。

 それは、とある歴史漫画の影響だった。

蔵人(これは……ないな、下品だ)

 そう思ったが、さすがに口には出さず、心の中にとどめておくことにした。

辺境伯「おお、彼が異界の族長か?」

 堂々とした声でそう言い、玉座の上から蔵人を指差した。

蔵人「違います。僕はただのニートです」

 その言葉に、辺境伯は眉をひそめ、首をかしげた。「ニート」という単語を理解できる者は、この場にはひとりもいなかった。オルフェリアですら、銀の瞳を瞬かせて小首を傾げている。

 沈黙に耐えかねた楓が、どこか恥ずかしさと焦りを滲ませて口を開いた。

楓「ハハハ……その、なんというか……その……」

 だが、言い訳の言葉は喉の奥で途切れ、結局何も出てこなかった。

 代わりにアレックスが冷静に口を挟む。

アレックス「つまり、穀潰しとか親の脛齧りと言うやつですよ」

 蔵人はむっとした。自分が自嘲するのと他人にけなされるのは話が違うのだ。

 場の空気は一瞬、微妙な緊張を孕んだ。辺境伯は意味を測りかねたまま、興味深そうに蔵人を見下ろしていた。

辺境伯「まあその話はおいておこう。此度は災難だったな。それで、あの森に城があるという話は本当なのか?」

 楓が前に出て、控えめに答える。

楓「城……と呼べるほどのものでは……」

蔵人「いえ、それはもう立派な城でござーますですよ!!」

 辺境伯は相反する物言いに判断を鈍らせた。視線をオルフェリアに向けて真実を間うのだった。

オルフェリア「建物は、確かに威丈夫でした。高さはこの城のものよりも高いかも知れません」

 ほう、と辺境伯の口元に笑みが浮かぶ。

蔵人「それだけじゃああーりませんよ! 立地は高台! だから建物はより高く! より大きく見えるし、簡素な丸太の壁や堀を掘るだけでも城塞としてつかえるでしょうな! 流石にここの荘厳な城塞都市には劣るでしょうが」

 蔵人は興奮気味にまくし立てた。歴史オタク特有の熱弁だったが、辺境伯の耳には「軍事的価値のある報告」として響いていた。

辺境伯「ふむ……」

 その低い唸り声には、単なる興味以上のものが滲んでいた。

 生徒会の面々は顔を見合わせ、蔵人の不用意な言葉が、思わぬ政治的な火種になりかねないことを直感していた。

楓「ちょ、ちょっと!!」

 声を荒げた楓の顔は真っ赤に染まっていた。

蔵人「あんだよ」

楓「あまり余計なことをいわないでくださる!!」

蔵人「余計って……学園を高値で売りつけなきゃいけないんだぞ!! なーにいってんだ?」

 辺境伯は二人のやり取りを面白そうに眺めていた。玉座の上から響く低い笑い声が、広間の空気をさらに重くする。

辺境伯「はは……なるほど。余計かどうかは、わしが決めることだろう」

蔵人「それはそう」

 蔵人はその時初めてしっかりと辺境伯と相対した。その瞳には、ただの好奇心ではない光が宿っていた。

蔵人(怖い……これが本物の宮廷闘争を繰り広げている人間の目なのか)

 しかし、ここで臆するわけにはいかなかった。大切な者たちの今後のためにも――

 だが、まだまだ蔵人には情報は少ない。少しでも交渉の材料がほしかった。そして時間も欲しかった。

 蔵人はわざとらしく咳払いをして、辺境伯の視線を正面から受け止めた。

蔵人「……まあ、詳しいことは実際に見ていただくのが一番でしょうな。ただ、あの森は危険が多い。わたくしめも盗賊に危うく殺されかけ申しまして、道も整備されていないし、やんごとなきお方に足を運ばせるにはあまりに忍びない場所で御座候」

 御座候という言葉に辺境伯の眉がわずかに動いた。

辺境伯「そのためにオルフェリアたちを行かせたのだ。あやつらが我が耳であり両眼である」

 広間の空気がぴんと張り詰める。楓は慌てて口を開いた。

楓「い、いえ! 我々はあくまで庇護を求める立場でありその――」

 だが辺境伯は楓の言葉を手で制し、なおも蔵人を見据えていた。

 その瞳は、もはや「異界の客人」を見るものではなかった。

蔵人「なればこそ、そちらの姪御様と、じっくりとお話になることこそ今は重要ではありませぬか? その方が双方ともに話がまとまりやすいと思うのです。それに、長旅で腰が痛くて……少し休みたいのです」

 蔵人の言葉に、広間の空気がわずかに揺らいだ。

 辺境伯は玉座の上で身じろぎし、重々しい沈黙を落とす。

辺境伯「……ほう。姪御、とな」

 その声音には、愉快とも不快ともつかぬ響きが混じっていた。

 オルフェリアは涼しい顔を崩さず、銀の瞳を細めて辺境伯を見返す。

オルフェリア「伯父上。わたくしは彼らと共に森を見て参りました。彼の言うことは、あながち誇張でもございません」

 辺境伯の視線が、再び蔵人へと戻る。

 楓は唇を噛みしめ、必死に場を取り繕おうとした。

楓「わ、我々はあくまで庇護を求め……!」

 だが辺境伯は再び手を上げ、楓の言葉を遮った。

辺境伯「よい。庇護を求めるならば、こちらも相応の見返りを求める。それが世の理ぞ、小娘」

 その言葉に、広間の空気はさらに重く沈んだ。

 蔵人は内心で冷や汗をかきながらも、表情だけは崩さずにいた。

辺境伯「名を聞いておこうか、年長者君?」

蔵人(こいつ、なんで……オルフェリアが手紙でも書いていたのか!?)

蔵人「愛宕蔵人おたぎくらんどです」

辺境伯「ウォタルギィ・クラウド?」

蔵人「お! た! ぎ! 愛宕が名字でクラウドじゃなくてくらんど!!」

辺境伯「部屋を用意させよう。今夜はゆるりと休むと良い! クラウドくん」

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