第35話 自由の軽さと重さ

 次の日、配られた投票用紙を手に持った四九九人の生徒たちはまたも校庭に集まる。雲一つない晴天の空は異世界に転移させられた日を思い起こさせた。

 一人ひとりが投票箱に票を入れた。それぞれが胸に思いを抱いて、投票をしている。

 全ての票が収められた投票箱は、すぐさま開票作業のために開けられた。

 しかし思ったよりも白票が多かった。全体の約40%に及んだ。

 開票を担当する生徒会役員たちの手が止まった。

「……白票、多すぎないか?」

 小声で漏らした言葉が、周囲の緊張をさらに高める。

 集まった生徒たちもざわめき始めた。

「なんで白票なんか……」「決められないってことか?」

 賛成派は「逃げだ」と嘲り、反対派は「意思表示を恐れた臆病者だ」と憤る。

 壇上の楓は唇を噛みしめた。

楓(……これでは、多数決の意味が揺らいでしまう。私たちは本当に“公平に決める”ことができるのかしら)

 アレックスは冷静を装いながらも、眉間にシワを寄せる。

アレックス「……白票は無効票として扱うしかない。だが、これほど多いとなると……」

蔵人「まあ白票ってことは、多数派に対しての無言の賛成ってことだろ。それが票を入れない人間の責任ってやつだ」

 蔵人の言葉に、校庭の空気がざわめいた。

「無言の賛成だと?」「勝手に決めるな!」

 反対派の一人が声を荒げる。

「白票は“どちらにも従いたくない”って意思表示だろ! それを賛成に数えるなんて横暴だ!」

蔵人「馬鹿を言うなよ、どちらが決めなくぢゃならねーのが今なんだよ。それとも、白票がなくなるまで続けろってか? そういうのを小田原評定って言うんだよ」

 賛成派の生徒がすぐさま反論する。

「そうだ! 現実に決めなきゃ進めないんだ! 今、ここで!! 何も書かないってことは、結局“決める責任から逃げた”ってことだろ! そんな奴にとやかく言われる筋合いはない!!」

 怒号が飛び交い、再び校庭は混乱に包まれる。

 壇上の楓は必死に声を張り上げた。

楓「静粛に! ……白票は確かに問題です。ですが、私たちは結論を出さなければならないのです!」

 アレックスが続ける。

アレックス「白票は無効票として扱う。賛成か反対か、明確に意思を示した票だけで結果を出す。それが民主主義の原則だ」

 やがて、開票作業は続けられ、賛成と反対の票が一枚ずつ読み上げられていった。

校庭に集まった四九九人の視線は、投票箱の中に吸い込まれるように注がれていた。

読み上げられるたびに、校庭のあちこちからため息や歓声が漏れる。

「賛成――」

「反対――」

 その声が積み重なるごとに、空気はさらに張り詰めていった。

 やがて最後の一枚が読み上げられ、投票箱は空になった。

 アレックスが票を数え、透子とレイジが確認すると、四人の顔に緊張が走る。

 楓は震える手で紙束を持ち、深呼吸をひとつしてから声を張った。

「……結果を発表します。賛成――百八十七票。反対――百十二票。白票――二百票」

 校庭にざわめきが広がった。

「……賛成が多いのか」「でも白票がこんなに……」「白票のほうが賛成よりも多いじゃないか……!」

 賛成派は安堵の声を上げ、互いに抱き合う者もいた。

 一方、反対派は唇を噛み、拳を握りしめ、悔しさを隠そうともしなかった。

 壇上の楓は必死に声を張る。

楓「よって、我々は――オルフェリア殿の庇護を受けることを決定します」

 その瞬間、賛成派から拍手と歓声が湧き起こった。

 だが反対派の一角からは「ふざけるな!」「こんなの認められるか!」と怒号が飛ぶ。

 空気は祝祭と憤怒が入り混じり、二つに裂けた。

 そこに、オルフェリアはこれでもかというほど大きな拍手をした。

オルフェリア「見事だ! いやあ見事見事。自らの進むべき道を自分たちで決めるとは!! 我が領民たちにも見習ってもらいたいものだ! なあ!! ヴィルヘルム?」

ヴィルヘルム「はい。貴族の仕事は戦争だけではございませぬからな。平民どもの仲裁のほうが多い始末で……」

オルフェリア「全くだ!! あの忌々しい――ではなくて、平民たちで物事を決めることなど、自由都市の商家くらいなものだよ!! ソレをこの若年のみぎりで行うとは実に立派だ!!」

 その物言いはどこか小馬鹿にしていたようにも感じた。

 オルフェリアの声に、賛成派の生徒たちは誇らしげに胸を張った。だが反対派の顔は怒りと屈辱に歪み、拳を握りしめる者もいた。

「……バカにしてるのか」「やっぱり、最初から見下してるんだ」

 そんな囁きが、群衆の中で燻る火種のように広がっていく。

弦音「ねえねえオタクくん……」

蔵人「なに?」

弦音「自由都市ってなに?」

蔵人「王様から自治権を買って、貴族の支配を受け付けない特権をもらった都市のことだよ」

弦音「ふーん……むかしの平民ってみんな貴族の手下だと思ってた」

蔵人「戦馬鹿な王様が、戦費を調達するために自分の領地の都市にそういう特権を乱発したんだよな。貴族にも平民にも特権を与えまくって、自分の首を締めるって、うけるw」

弦音「その都市だったら、あてしたちも、普通に暮らせる?」

蔵人「多分無理だ。市民権は誰にでも与えられるわけじゃないんだよなあ。その市民権がめっちゃ馬鹿高いらしいからな」

弦音「じゃあ、あてしたちはやっぱり根無し草なんだね……」

 弦音の言葉を、蔵人は考えた。

 帰る場所のない俺達は、この先どこへ向かっていけばいいのだろうか。あるいはジプシーのように、差別されながらも流されながら生きて行くことになるのだろうか。

 弦音は小さく肩をすくめ、足元の土をつま先でいじった。

弦音「……根無し草って、風が吹いたらどこへでも飛んでっちゃうんだよね。誰も止めてくれないし、誰も待っててくれない」

 蔵人は答えず、ただその横顔を見つめた。彼女の声には軽さを装った響きがあったが、その奥に沈む不安は隠しきれていなかった。

蔵人「自由ってのは、軽くて重い、か」

 彼はふと、空を仰いだ。雲ひとつない青空は、異世界に来たあの日と同じだった。

だが、あの日の、何もなかった自分とは違う。今は隣に弦音がいる。

蔵人「……根無し草でも、生きてりゃ根は張れるかもしれない。どこかに腰を下ろして、時間をかけりゃ、草だって根を張るだろ。そんな場所を、行商しながら探していけばいいさ! 俺たちは、――自由なんだからな」

 弦音は目を瞬かせ、やがて小さく笑った。

弦音「……オタクくんにしては、いいこと言うじゃん」

 その笑みはほんの一瞬のものだったが、蔵人の胸に妙な温かさを残した。

 根無し草の未来は不安定で、差別や孤立が待っているかもしれない。風に吹かれてもなお、根を張ろうとする草のように――彼らは進み続けるしかない。

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