ハルヒと真夜中の観覧車
森崇寿乃
真夜中の観覧車
我々の王国は、海からの湿った風が、錆びた鉄骨の
涼宮ハルヒは、ある嵐の夜、砕け散る波頭のように、我々の前に現れた。ずぶ濡れのまま、闇よりなお暗い瞳で我々を見据えるその少女の姿は、この世のあらゆる美と、あらゆる悪意とを凝縮してかたどられた、瀆神の偶像であった。我々の中で最も腕自慢の男が、下卑た笑いを浮かべて彼女に近づいた。次の瞬間、男は砂の上に崩れ落ち、その喉笛には、彼女がどこからか抜き放った錆びたナイフの切っ先が、まるで聖なる接吻のように触れていた。彼女は何も言わなかった。だが、その行為は、玉座の主が交代したことを告げる、荘厳な戴冠式であった。
その日から、ハルヒは我々の女王となった。彼女は廃墟となった観覧車の、最も高いゴンドラを自らの玉座と定めた。我々はその下に集い、彼女が地上に降りてくるのを、あるいは天啓が下されるのを、ただひたすらに待ち焦がれる犬となった。彼女は我々に、奇妙な命令を下すことを唯一の愉しみとした。それは、退屈という名の神が、自らの被造物にもてあそびを求める、気まぐれな神託であった。
「あの岬の灯台から、一番美しいものを持ってこい」
ある時、彼女はそう命じた。我々は夜の闇を駆け、互いを蹴落とし、裏切り、灯台守の老人を縛り上げて、その内部を略奪した。ある者はレンズの破片を、ある者は老人の古びた妻の写真を、そしておれは、恐怖に歪む老人の義眼を抉り出し、彼女の御前に捧げた。ハルヒは、血と涙に汚れたそれらの戦利品をひとつひとつ手に取り、まるで出来の悪い玩具を眺めるように眉をひそめ、そしてすべてを足元の海へと投げ捨てた。「どれも醜い」と、ただそれだけを呟いて。我々は打ちのめされた。だが、その屈辱のうちにこそ、彼女に仕えることの、身を焦がすような恍惚があったのだ。我々の捧げものが醜ければ醜いほど、彼女の美は絶対的なものとして輝く。おお、我らの行為は、彼女の栄光を讃えるための、なんと完璧な儀式であったことか。
おれは、彼女に選ばれたかった。他の屑鉄どもではなく、このおれだけが、彼女の孤独に触れることを許されたかった。その欲望は、おれの内で、祈りとも呪いともつかぬ熱を帯びて渦巻いていた。ある夜、おれは皆が寝静まった後、ひとり観覧車の鉄骨をよじ登り、彼女の玉座へと忍び寄った。ゴンドラの中で、彼女は月光を浴びながら眠っていた。その無防備な寝顔は、この世のものとは思えぬほど神々しく、同時におれの内に、おぞましい冒涜の念を掻き立てた。この喉を掻き切り、その聖なる血をおれの身体に塗りたくり、彼女とひとつになりたい。この肉体を犯し、その神性を地に引きずり下ろし、おれだけのものとしたい。
おれが手を伸ばしかけた、その時だった。彼女の目が、ゆっくりと開かれた。その瞳には、月も、星も、おれの醜い欲望さえも映ってはいなかった。ただ、底知れぬ虚無が、宇宙の深淵のように広がっているだけだった。
「お前も、退屈か」
その声は、囁きであったが、おれの魂を根こそぎ震わせる神の雷鳴であった。そうだ、おれも退屈なのだ。この女もまた、その全能の力を持て余し、永遠の退屈に苛まれているのだ。おれと彼女は、同じ牢獄に繋がれた囚人なのだ。その発見は、おれに絶望と、そして至上の喜びとを与えた。おれは彼女の共犯者なのだ。
次の日、ハルヒは我々全員を集め、最後の命令を下した。「この遊園地を燃やせ」と。狂喜の叫びが上がった。我々は、自らの王国であり、牢獄であったこの場所へ、躊躇なく火を放った。炎は夜空を焦がし、我々の過去と未来のすべてを飲み込んでいった。燃え盛るメリーゴーランドの木馬が、断末魔の叫びをあげながら崩れ落ちる。その劫火を背に、ハルヒは恍惚として笑っていた。その姿こそ、破壊の女神であり、創造主であった。
炎がすべてを焼き尽くし、灰色の朝が訪れた時、そこにハルヒの姿はなかった。彼女は、自らが創り出した地獄の美をその目に焼き付けると、まるで蜃気楼のように消え失せていたのだ。我々は残された。すべてを失った広大な焼野原に、ただ呆然と立ち尽くす屑鉄ども。仲間たちは、やがて一人、また一人と、当てもなく去っていった。
だが、おれだけは、この場所に留まっている。この灰と瓦礫こそが、彼女が存在したことを証明する、唯一無二の聖遺物だからだ。風が灰を巻き上げるたび、おれは彼女の気配を感じる。海鳴りは、おれの耳に、彼女のあの最後の言葉を囁き続けるのだ。「お前も、退屈か」と。
ああ、涼宮ハルヒ。お前という名の嵐が通り過ぎたこの魂の廃墟で、おれは今日も、お前の再臨を待ち望んでいる。次にお前が現れる時、この世界は、今度こそどのような美しい終焉を迎えるのだろうか。おれは、その日を夢想する。それだけが、この終わりのない退屈の中で、おれを生かし続ける、唯一の祈りなのだ。
(了)
ハルヒと真夜中の観覧車 森崇寿乃 @mon-zoo
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