第2話 怪異探偵

 旧校舎に足を踏み入れると、空気そのものが淀んでいた。怪異のせいか、廃墟以上の不気味さが漂っている。


「時間がない。黒炎、三階まで飛べるか」


「おやすい御用じゃ」


「田路、旧校舎全体を結界で覆え」


「了解です!」


 黒炎の背から田路を下ろすと、彼は印を結び呪を唱えた。


「汝よ我を守り、何人たりとも此処を通さん──黒式結界!」


 黒い幕が旧校舎全体を覆い、その場に田路を残し、柴間は黒炎を駆って三階へと突き進む。


 ──バリンッ。

 窓ガラスを割って飛び込んだ瞬間、強烈な悪臭が二人と一匹を襲った。


「くそ……鼻がひん曲がりそうだ」


「黒炎、大丈夫か」


「平気じゃが、土の坊。一人で祓うのは無理じゃろ」


「だから柴間だって言ってるだろ」


 毒づきながら黒炎の背を降り、女子トイレへと足を踏み入れる。

はそこには四人の女子生徒が倒れていた。息はあるが、このままでは危うい。

 そして三番目の個室の前に、怪異花子さんが立ち、ブツブツと独り言を呟いていた。


「黒炎、時間を稼げ。……白澪はくれいを呼ぶ」


「彼奴を呼ぶか。……まあ、状況が状況じゃからの」


 黒炎が花子を威嚇する間に、柴間は和紙を取り出し血を滲ませ、呪を唱える。


「汝よ我を守り、我を導け──犬神、白澪!」


 蒼白の狼が姿を現した。首に青い数珠を掛け、額には黒い勾玉の印が光る。


「久しぶりね、新。今日はどんな用事?」


「そこに倒れている女子生徒たちを田路のところへ。戻ったら手伝え」


「ふうん、四人も?……まあご褒美があるならいいわ」


「用意する」


「ならいいわ」


 白澪は少女たちを背に乗せ、駆け出していった。


 柴間は祓いの呪を紡ぎ始める。


「青龍、白虎、朱雀──」


 印を結ぶごとに霊気が膨れあがる。

 花子が悲鳴を上げ、黒炎に掴みかかる。


「私は……ただ、悲しかっただけ……!」


 その声に一瞬、柴間の集中が揺らぐ。


「土の坊!!」


 その隙を突き、花子は窓を蹴破り、逃げ出した。


「白澪、戻れ!」


 呼び声に応じ、白澪が瞬時に現れる。


「逃げたわね」


「ああ……黒炎、白澪──強制祓いだ!」


「最初からそうすればよかったんじゃ!」


「汝よ冷気を制し、動きを止めよ──氷冷結界!」


 白澪の術が放たれ、花子の足が瞬時に凍りつく。

 その身体を黒炎の炎が呑み込んだ。


「いやぁぁ!! 私は……私はただ……友達と笑って、楽しい学校生活を送りたかっただけなのに──!」


 悲鳴はやがて掻き消え、少女の姿は灰となって散った。

 残されたのは、一枚の名札だけ。そこには──『影山花子』と記されていた。


 柴間はそれを拾い、静かに目を閉じて合掌する。


 ほんの一瞬、哀れみが彼の横顔に浮かんだ。

 だが、次に吐き出した言葉は冷たく、皮肉に満ちていた。


「だから人間は……愚かで、くだらない生き物なんだ」


 二匹の式神を従え、柴間は田路の元へ戻った。

気を失っていた四人の女子生徒はすでに目を覚まし、田路を質問攻めにしていた。


 童顔で人当たりのいい田路は、こういう場面では女子に好かれやすい。

 ただし本人は痛いことや怖いことが大の苦手。

戦闘員というより、結界を張って現場を守る“サポート役”だった。


「あ、柴間さん!お疲れさまです。黒炎様、白澪様も」


「うむ、全く骨の折れる仕事じゃった」


「クロは祓いなんて面倒で嫌いだからね。私は好きよ、新の祓い」


 黒炎は白澪の言葉に鼻を鳴らした。


「……お主は優しすぎるからの」


 そのやりとりを、じっと見ている女子生徒が一人いた。


「柚葉?どうしたの? まさか柴間さんのこと……」


「え?違うよ。……ねえ、見えないの?あそこに、大きな黒と白の犬がいる」


 柚葉が指差した先には、黒炎と白澪が並んで立っていた。

 しかし他の女子生徒には見えていないらしい。


「え、犬? いないよそんなの」


 その会話を耳にした柴間は、生徒たちをかき分けて柚葉の前に立った。

 見下ろす視線が鋭い。


「お前……こいつらが見えるのか?」


 黒炎と白澪を撫でながら問う。二匹は満更でもなさそうに鼻を鳴らした。


「見えますけど……幽霊?」


 柚葉は戸惑いながらも、恐怖よりも不思議そうに式神を見つめていた。


「幽霊とは違う。こいつらは犬神、俺の古くからの式神だ。普通の人間には認識できない。……おそらくさっきの件で、お前の霊感が一時的に覚醒したんだろう」


「霊感……つまり、幽霊が見えるってことですか?」


「怪異が弱かったおかげでな。長くは続かん。二、三日でまた見えなくなる」


 柴間の言葉に、柚葉は胸をなで下ろした。


「それより柴間さん、今回の被害……窓ガラス二枚分ですね」


「俺は修理代なんざ払わんぞ」


 そう言いながら、ポケットから犬用ビーフジャーキーを取り出し、黒炎と白澪に与える。二匹は嬉しそうに尻尾を揺らした。


(……なんだかんだ言って、犬だよな。対価も安く済むし)


 そこへ、新校舎の方から先ほどの女教師が駆けてきた。


「高橋さん! 木村さん! 大隅さん! 前田さん! ……無事でよかった!」


「栗山先生!」


 女子生徒たちは安堵の表情を浮かべ、教師に抱きついた。


 教師は柴間と田路に深々と頭を下げる。


「本当にありがとうございました……大切な教え子たちを救ってくださって……!」


「顔を上げてくれ。……それより」


 柴間は懐から一枚のメモを取り出し、教師に手渡す。


「後で来る刑事、源雪子か犬塚剣丞に渡してくれ。そいつらが処理する」


「え……」


「学園長には“振込は早めに”って伝えとけ」


 ひらひらと手を振ると、柴間と田路は式神を連れて校舎を後にした。

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