呪い合う者たち
夜桜満
第1話 トイレの花子さん
『怪異現象』──
年間数百件に及ぶ原因不明の死亡、失踪、精神崩壊をもたらす現象に、そう名付けられた。
都市伝説。怪談。
それらは単なる噂話ではない。
人の“負の感情”──憎しみ、嫉妬、恨み、恐怖。
それらを糧に“怪異”は生まれ、やがて現実に牙を剥く。
「人ってのは、本当にクズで馬鹿だな」
ソファに寝転がり、顔に本を乗せたまま
「柴間さん!……柴間さん!」
呼び声と共に、その本が取り上げられた。
久々の光に目を細めた柴間は、声の主──助手の
童顔で目が大きく、黒髪のせいで年齢より幼く見える青年だ。
「せっかく学校の先生が資料を持ってきてくれたのに、読まずに寝るってどういうことですか!」
「読む気はあったんだよ、眠気が勝っただけだ」
不満げに本を抱え込む田路をよそに、柴間はあくびを噛み殺す。
「ところで……あなた達、一体何者なんですか?」
目の前に座っていた女性教師が、不安げに問いかけてきた。
柴間は起き上がりながら頭をガシガシとかき、面倒くさそうに答える。
「怪異探偵。怪異現象専門の祓い屋ってやつだ。俺が柴間新」
「助手の田路一輝です」
「怪異現象……幽霊のこと、ですか?」
青ざめる教師に、柴間は平然と告げる。
「ええ。そして──確実にいますよ、この学校に。校門をくぐった時から、臭いが酷い」
「臭い……?」
「一般人には分かりません。僕達みたいな祓い屋か、よほど霊感の強い人にしか」
田路が丁寧に補足する。だが柴間は続けた。
「ただし例外がある。怪異が力を増せば、人間にも“臭い”や“姿”が分かる。……いじめ、自殺。学校は怪異にとって最高の餌場だ」
教師は息を呑み、声を震わせる。
「やっぱり……いじめが原因なんですか」
柴間は大きなあくびをしてから、ぶっきらぼうに答えた。
「ええ、最近は増えてますね。……それより、自殺があった女子トイレはどこです?」
「わ、私は転任したばかりで……!確認してきます!」
教師は逃げるように部屋を飛び出していった。
「幸い、まだ本格的に目覚めてはいないですね」
「眠ってるだけだ。これだけ強烈な臭いなら、目を覚ますのも時間の問題だろ」
田路はバッグから真新しいメモ帳を取り出し、ページを開いた。
「条件……三階の女子トイレで、個室の扉を三回ノックして“花子さん、いらっしゃいますか?”と尋ねる。これを奥まで繰り返すと、三番目の個室から声が返る。……これが、花子さんの降霊術ですよね」
「そうだ。昔の遊びは、言ってしまえば降霊術の簡易版だ。やり方は地方で違っても、怪異を刺激すれば同じ結果になる」
柴間が湯呑みに手を伸ばした、その時。
──地鳴りが走った。
空気が濁り、腐臭が一気に強まる。
「……っ」
田路が鼻を押さえ、意識を飛ばしかけた瞬間、柴間が軽く頭を叩き、彼を現実に引き戻す。
「この臭い……!!どこから来てるんですか!?」
「強烈すぎて俺じゃ分からん。……だが、嗅ぎ分ける奴ならいる」
柴間はコートの内ポケットから古びた手帳を取り出し、一枚の和紙を引きちぎる。
親指を噛み、血をにじませ、呪文を紡いだ。
「汝よ我を守り、我を導け──」
和紙に血を押しつけ、名を呼ぶ。
「犬神、黒炎!」
次の瞬間、黒炎を纏う巨大な犬が二人の前に現れた。
赤い数珠を首に掛け、額には白い勾玉の印。瞳は深紅に光り、獰猛に牙を覗かせる。
「今度はなんじゃ、土の坊」
「今は柴間だ。臭いの元へ案内しろ」
「いいだろう。ただし──対価は高いぞ」
柴間は口の端を吊り上げ、黒炎の背へと跨った。
田路も続き、二人と一匹は、異臭の源へと駆け出していった。
✳︎✳︎✳︎
柴間と田路が異変に気づく三十分ほど前──。
「昨日、佐山先輩に聞いたんだけどさ。やっぱり旧校舎の三階女子トイレなんだって、首吊りがあったの」
「でもそれ、すごい昔の話でしょ?昭和とか」
携帯をいじりながら、四人の女子高生が噂を囁き合っていた。
「ほんとに幽霊とか出たら嫌だよ……」
「バカねー。出るわけないじゃん。心霊番組なんてほとんどヤラセだし」
怖がる一人をよそに、三人は興味本位で旧校舎の中へと足を踏み入れる。
昼間でも薄暗い廊下。カビの臭いが鼻をつき、歩くたびにギィ、と床板が悲鳴をあげる。
夏だというのに、なぜか肌寒い。彼女たちは、今この場に何が起きているのかを知らずに歩みを進める。
「柚、置いてっちゃうよ」
「……っ」
呼ばれた
「ほんと柚葉って怖がりだよね」
「だって旧校舎ってだけでも怖いのに……花子さんを呼ぶなんて」
「だから言ったじゃん。出ないって」
冗談半分に笑い合う声が、余計に不気味な静寂を際立たせる。
やがて三階にたどり着くと、女子トイレの前で足を止めた。
「うわ、和式トイレだ」
「旧校舎も不気味だけど、トイレはもっとやばいね」
三人が好奇心に駆られて中を覗き込む中、柚葉は一人、洗面台の鏡に目を奪われた。
……映っていた。
自分たちと同じ年頃の、青白い顔の少女。
昔のセーラー服を着たその子は、おかっぱ頭で、首にはくっきりと縄の痕が刻まれていた。
「……っ!!」
思わず目を擦る。気のせいかと思い、スマホを向けてシャッターを切った。
──映っていた。鏡の中に、確かに。
「今……誰かいた?」
柚葉は必死で三人に伝えようとするが、彼女たちは面白半分に花子さんの呼び出しを始めていた。
「花子さん、いらっしゃいますか? 花子さん、いらっしゃいますか? 花子さん、いらっしゃいますか?」
返事はなかった。
胸をなで下ろしかけたその時──
「ネットで見たんだけどさ、“かごめかごめ”って降霊術なんだって」
「え、それって……」
「やってみよ!」
「やめようよ!ほんとにやめて!」
柚葉の必死の声は、誰にも届かない。
三人は手を繋ぎ、円を作る。
そしてあの歌を口ずさみ始めた。
「かごめかごめ、籠の中の鳥は──」
──空気が変わった。
トイレの電灯が一瞬、パチパチと明滅する。
背筋を這い上がる寒気。
「いついつ出会う──」
廊下全体が小刻みに震え、窓ガラスがガタガタと鳴る。
柚葉は恐怖に喉が詰まり、声を出せなかった。
「夜明けの晩に──」
冷たい風が吹き抜けた。開いていない窓から、柚葉の髪がざわりと揺れる。
「鶴と亀が滑った──」
柚葉はトイレの壁にしがみつきながら、三人の中央を見た。
そこに──“いるはずのない”人影が立っていた。
「後ろの正面──」
柚葉のすぐ隣に、気配が降りた。
反射的に顔を向けると、そこには──同じ制服の背丈、だが顔色は死人のように蒼白な女子生徒が立っていた。
「だぁれ」
少女は不気味な笑みを浮かべ、柚葉の耳元で囁いた。
「……私と遊びましょ、高橋柚葉ちゃん」
その瞬間、柚葉の視界は暗転した。
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