第3話 呪いの歌

 柴間は、田路の運転する車の助手席に深く腰を沈め、イヤホンから流れるクラシックを気怠そうに聴いていた。

 花子さん事件の処理を終え、事務所へと戻る道すがら、車内はクーラーの涼しさとエンジン音だけが満ちている。


そんな静寂を破るように、田路がふと質問を投げかけた。


「女子生徒の人に聞いたんですけど……って、本当に降霊術になるんですか?」


 ハンドルを握る彼の声は好奇心と不安の入り混じったものだった。

 まだ半人前の田路にとって、この世界の知識は断片的で、噂話の域を出ていない。


 柴間は片耳からイヤホンを外し、眉間に皺を寄せる。


「地方じゃ“呪いの歌”とも言われてるな」

「呪い……!?」


 運転中ということもあり、田路は正面を見据えたまま声を上ずらせる。


「いろんな解釈がある。江戸時代に罪人を捕らえたときの歌だの、いじめの歌だの。いちばん多いのは流産の歌って説だ」

「……流産……」


 田路は思わず声を詰まらせる。

 子供の遊び歌として広まっているものに、そんな残酷な意味が隠されているとは思いもよらなかったのだろう。


って共通性がないじゃないですか。鶴と亀なんて縁起のいい動物なのに」


 柴間は窓の外に流れる夕焼けを眺め、皮肉っぽく口元を歪める。


「言葉面だけ見ればな。けどな、あれは本来こういう意味だ。──“お腹の子はいつ産まれるのか。夜明け近く、母親と赤子は階段から転げ落ちた。背後にいたのは姑だった”」


 田路の手がハンドルの上で固まる。

 柴間は続ける。


「“鶴と亀”は長寿の象徴じゃない。赤子の無念を隠すための皮肉だ。人の遊び歌ってのは、えてしてそういう残酷さを孕んでる」


 田路は無表情のまま前方を見つめ、口を引き結んだ。

 彼の横顔に浮かぶ青ざめた色に、柴間はわざと軽口を叩いた。


「顔色悪いぞ。安全運転な」

「……はい」


 エンジン音だけが再び車内に戻る。

 は降霊術──だがその事実は世間にほとんど知られていない。

 怪異事件に繋がる要素は警察や柴間たちのような祓い屋によって徹底的に隠蔽される。

 それでも、ネットの片隅から漏れ出すように情報は拡散し続けるのだ。


「でも、子供たちがよく遊びますよね。あれ」

「やる場所に怪異の“核”がなければ問題ない。だが今回みたいに、円の中に人を入れずに歌えば──立派な降霊術になる」


 柴間がそう言い終えたタイミングで、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。

 画面を見もせずに通話ボタンを押すと、スピーカーから怒鳴り声が飛び出す。


「毎回毎回お前は! 請求を怪異課に回すなって何度言ったらわかるんだ!」

「……運転中だから切るぞ」

「お前は運転しないだろ」

「で? 何の用だ」


 電話の主は、怪異課の刑事、犬塚剣丞いぬずかけんすけだった。

 柴間はイヤフォンを完全に取り、スマホをダッシュボードに置き、スピーカーに切り替える。田路にも会話が聞こえるように。


「降霊術の件だ。昨夜、不審な心霊サイトが一つあった。すぐに潰したが……何人かは閲覧していたらしい。今回の発生源はその可能性が高い」

「やっぱり……」


 柴間は窓の外に目をやり、低く呟いた。

 田路も口を挟む。


「生徒の一人も言ってました。サイトでが降霊術だと知ったって」

「やはりな」


 犬塚の声は苛立ちを含んでいた。


「怪異を利用する連中がいる。足もつかないし、平気で何十人も殺せるからな」


 車内に重苦しい沈黙が落ちる。

 外の空には夕陽が沈みかけ、オレンジが群青に溶けようとしていた。


 柴間は小さくため息を吐き、窓を開けて煙草の代わりに冷たい空気を肺に流し込む。


「とにかく、次にやらかしたら……お前の依頼料、丸ごと貰うからな」

「おいおい、警察官が泥棒とは。子供が聞いたら泣くぞ」

「元はと言えば、お前が壊した窓ガラス代だ。俺らに払わせるな」

「面倒くせぇ……」


 柴間は一言そう吐き捨て、通話を切った。


 再び静寂が車内に訪れる。

 田路が恐る恐る口を開き、思いを口にする。


「柴間さん……怪異を利用する人間って、本当にいるんですね」

「いるさ。怪異よりよっぽど質が悪い。──人間の負の感情は、怪異を生むより先に、人間を怪物に変える」


 その言葉を残し、車は夕暮れの街を走り抜けていった。

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