5-7 間章 美波と純也

 上機嫌で涼介と有紗二人と別れた美波だったが、いざ自宅の前まで来ると緊張で足取りは重くなった。

 

 記憶会のこと、親父と母親は聞いてくれるかな?

 散々いがみ合った関係だ。もしかしたら話す前に突き放されるかもしれない。

 邪険に扱われる様子が脳裏に過り、ドアノブを握る手が震えた。

 腕っぷしが強いと噂された不良を相手にした時よりも美波は恐れていた。

 それでもドアノブを捻り、自宅へ足を踏み入れる。


「ただい、ま……」


 気配を窺うような小声で帰宅を告げるも、気づいていないのか無視されているのか返事はなかった。

 リビングからは片づけの最中らしい物音が聞こえ、母親が仕事から帰ってきているのがわかった。

 母親と二人きりだと大喧嘩に勃発してしまいそうな予感がして、本能的に美波はリビングを避けて二階へと上がった。


 親父も揃ってから話そう。


 そう決めて、それまで部屋で閉じこもろうと自室の前まで来た。

 偶然その時、弟の部屋のドアが開いて空のグラスを手に持った純也が廊下まで出てきた。

 純也は姉を見るなり驚いた様子で口を開く。


「おかえり姉ちゃん。今日は早いね、まだ五時半前だよ?」

「……ただいま。こういう時だってある」


 美波は短く答えて入れ違いに自室へ入ろうとする。

 しかし純也は姉のハンドバッグから覗く見慣れない紙に興味を抱き、姉ちゃんと呼び止めた。


「バッグの中にある紙、なに? 賞状みたいに見えるけど」


 純也の問いかけに美波は慌てて脇を畳んでハンドバッグの開き口を押えた。

 だが閉じてもなお純也がバッグの口を見つめられ、無理して隠すことでもないと思い直して脇を緩めた。


「姉ちゃん、何か貰ってきたの?」

「……そんなに知りたいか?」

「姉ちゃんが話してもいいなら」

「そうか」


 純也の嫌味のない視線に、美波は記録会のことを打ち明ける決意を固めた。

 自分の方が学業成績が優等であることを笠に着ない純也なら、下らないと一蹴しないだろうという信頼にも後押しされて、美波は記録会の賞状をバッグから取り出す。


「これ、なんだけど」

「何の賞状?」


 純也は姉に尋ねながら賞状に書かれた文言を素早く読んだ。

 賞状を読み終えると、美波へと視線を戻して呆気に取られてぱちくりと目を瞬かせた。


「この記録会ってメモリースポーツの一種目だよね?」

「……へ?」


 驚いた目をして純也の言葉に、美波の方もきょとんと見抜けた声を出した。

 なんで純也はメモリースポーツを知ってるんだ?

 そんな疑問を返す前に純也が賞状の計測タイムの表記を指差す。


「姉ちゃん、二分十秒で成功させたのか。すげえな」

「純也、メモリースポーツ知ってるのか?」

「知ってるよ。それよりも姉ちゃんがメモリースポーツの記録会に出てたことの方が僕は驚きだよ」


 美波の質問に、純也は驚愕で昂ったような声を返した。

 弟の予想とは違う驚き方に、美波は言葉を失くして頭が混乱してきてしまった。

 何も言えずにいる姉を見て純也が困ったような顔になる。


「まさかの偶然にびっくりしちゃって、なんかごめん姉ちゃん」

「ど、どういうことだ偶然って?」


 頑張って状況を理解しようと美波は問いかける。

 純也は照れたような苦笑交じりに答える。


「俺も最近始めたんだよねメモリースポーツ。まだトランプ五十二枚覚えるので精いっぱいだけど」

「純也がメモリースポーツ。ははっ、そうか」


 まさかの共通点に美波は喜びを抑えきれず口角を緩めた。

 正反対だと思っていた弟とこうして心の底から笑い合ったのは何時ぶりだろうか。

 思い出せないぐらいに長いあいだ姉弟なのに気持ちが通じていなかった。


「姉ちゃんもメモリースポーツをやってたとは、ほんとに驚いたな。姉ちゃんどうしてメモリースポーツ知ったの?」

「たまたまテレビで観た。日本一の人が出てた」

「番組友達から聞いたよ。記憶力日本一の山上涼介っていう人でしょ。姉ちゃんと同い年なのにあの人凄いよね」


 純也と話す間に美波は段々と緊張していた心が解れていくのを感じた。

 気分が良くなってきた美波は誇らしげな笑みを浮かべて告げる。


「実は、山上はあたしの師匠だ」


 美波の予想通り純也は目を丸くする。


「姉ちゃん、あの人と知り合いなの?」

「たまたま同じクラスだった。お願いしたら、いろいろ教えてくれた」

「日本一の人から直接指導か。記録会に出て成功できるわけだ」

「あたしの記録は師匠のおかげだ」

「羨ましいな姉ちゃん。俺も日本一の指導受けたいな」


 姉弟でメモリースポーツの話で盛り上がる。


「二人で何を話してるの!」


 その時、突然階段の下から咎める声が響いた。

 どきりとして美波と純也が振り向くと、会話がリビングまで聞こえていたのか母親が階段の下から気掛かりそうな視線を投げかけていた。


「母さん、姉ちゃんが……」

「美波、あなたに純也に変なこと吹き込んだんじゃないでしょうね?」


 純也の声を遮って母親は剣幕で美波へ詰め寄った。

 弟との会話を邪魔され、さらには根も葉もない疑いを掛けられた美波は笑みを消して母親を睨みつけた。

 ひどく恐い顔つきで睨み合う母親と姉を見て、純也は戸惑い両方に視線を行き来させる。

 純也のあたふたとした様子に母親が美波から目を移して手招きした。


「純也、こっちおいで」

「う、うん」


 不用意な言葉を慎んで純也は母親のもとまで階段を下りた。

 純也が傍まで来ると、母親は急に美波から視線を外して純也を連れてリビングまで引き返していった。


「なんだよ、クソッ」


 弟と引き離された腹立ちに美波はドアを壊れそうな勢いで開けて部屋に籠った。



 一時間ほどして父親が帰宅して東家は夕食の時間となった。

 母親と顔を合わせたくない美波は夕食になっても部屋に籠っていたが、優しい手つきのノックが突然耳朶を打った。


「美波、お父さんだ」


 ドアの外から名乗る声が聞こえ、美波は机の上でふて寝から顔を上げた。父親の声に振り向き、次の言葉を待つ。

 気配を窺うような間の後、父親は続ける。


「純也から話を聞いたよ。美波、記憶力の大会で賞状貰ったんだってな」

「……だから?」


 今まで悉く馬鹿にされるあたしを見過ごして、純也の話でようやく関心を持ち始めやがった。

 都合が良過ぎるんだよ。


「お父さんは美波の口から直接話を聞きたい。純也の言ってることは本当なのか?」

「……本当だけど、それでどうするの?」


 憤懣は収まらないが、話を信じようとしているだけ母親よりは取り合う気になれた。

 そうだなぁ、と考える合いの手を返してから父親は告げる。


「美波がよければ、大会でやったことを父さんと母さんの前でも見せてくないか。実際に目にすれば母さんも美波に対しての見方が変わると思うんだ」

「……どっちの味方なの?」


 母親と自分の不仲を改善しようとする父親に、美波は信じるべきか計るように疑問を投げかけた。

 どっちの味方か、と戸惑ったように父親は反芻してから答える。


「お父さんは純也の味方だ。純也が美波と母さんの仲を戻したいなら、お父さんはそうなるように尽力する」

「……純也はあたしに母親と仲直りして欲しいのか?」

「純也は前々から美波と母さんの仲が悪いのが嫌だったらしい。母さんは純也にとって美波は悪影響になると考えているようだが、そんなことはないと思う。美波は純也の姉なんだから」

「……長ったらしいな」


 自分のことを悪くないと言われて、美波は照れ臭くなって軽口を返した。

 父親は再度告げる。


「美波から直接話を聞きたい。よかったらリビングまで降りてきてくれないか、純也も待ってるから」

「考えとく」


 美波が返事をすると、父親は静かに一階へ下りていった。

 父親の気配が感じなくなってから美波は立ち上がり、ベッドの壁際に置いていたハンドバッグを開いた。

 記録会で使ったトランプを取り出し、意味もなく扇のように広げてみた。

 この量をあたしは覚えていたのか。

 改めてトランプ五十二枚を眺めていると、目に入るスーツから様々なイメージが湧き出てきた。

 頭から離れない五十二のイメージに美波は親しみさえ感じる。

 覚えるところ見せたら、褒めてもらえるかな。

 鬱々としていた気持ちが段々と前向きになっていく。


「行ってみるか」


 父親の頼みに従うわけではなく、美波は自分の意思で母親にトランプ記憶を披露しようと思った。

 成功できなかったら、という恐れは今の美波の頭にはない。

 トランプを二組手にして美波は部屋から出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る