5-8 間章 美波の矜持

 リビングへ入ると、ダイニングテーブルに純也とその向かい父親と母親が座っていた。

 父親が美波に気が付き、純也の隣に座るよう手で促した。

 美波が腰掛けるなり母親が疑わしげに美波を見つめる。


「純也に何を吹き込んだの美波。純也に何かあったら許さないわよ」

「……何も吹き込んでねぇよ」


 いきなりの嫌疑に美波も苛立ちながら言い返した。

 二人の睨み合いを見兼ねて父親が口を開く。


「反発しあっても埒が明かないからな。とりあえず美波には純也の話が本当なのか、詳しく話してもらいたい」

「あなた、純也は美波に無理やり言わされてるの」


 母親は聞くまでもないという口調で反駁するが、父親は取り合わずに純也に目線を据えた。


「純也、お前の口からもう一度話してくれ」

「わかったよ、父さん」


 純也は頷き、美波が記憶力の大会で賞状を貰ったことと美波の記録の難しさを説明した。

 父親の目は次に美波へ向く。


「美波、純也の言ってることを証明できるものはないのか?」

「証明……賞状を見せれば信じてもらえるのか?」


 美波が尋ねると、母親が大きく溜息を吐いた。

 途端に場が静まる中、母親は煩わしそうに美波を睨んだ。


「記録会だかなんだか知らないけど、あなたが今まで掛けてきた迷惑が清算されるわけじゃないの。警察のご厄介になってお母さんとお父さんと純也がどれほど恥ずかしかったのか、考えたことある?」

「それは言い過ぎだぞ!」


 父親が慌てて母親の言葉を諫めた。

 しかし母親は父親に詰問するような目を向ける。


「あなただって迷惑だったでしょう。あなたの娘が不良だなんて言われたら、屈辱的でしょう?」

「……それは」


 咄嗟に父親が反論できなかった。その実、美波の素行不良で悩んで会社では娘の話題を出さないようにしていたからだ。

 父親が押し黙ってしまい、誰も安易に口を利けなくなってしまった。

 心詰まる静寂に純也がしびれを切らせて、不意に席を立った。

 純也の目は縋るように姉の美波に向けられる。


「姉ちゃん。俺は姉ちゃんが不良だなんて思ってないから、お母さんがなんて言おうと軽蔑なんてしないから……」


 堰を切ったように言い出したが、後が続かずに静々と席に座りなおした。

 感情を剝き出しにした純也を見て母親が不思議そうに眉間に皺を寄せる。


「どうして純也はそこまで美波を信用しているのかしら。純也からしたら見習ってならないところばかりでしょう?」

「姉ちゃんは姉ちゃんだし、家族だよ」


 純也は家族というワードを強調して言った。

 それはそうね、と母親は純也の意見を認めながらも続ける。


「私も美波のことを家族だと思っているわ。でもね、純也は美波よりも出来る子なんだから、外で不良してる美波と仲良くしない方が賢明だわ。純也にまであらぬ疑いを掛けられてほしくないの」

「それじゃ姉ちゃんが悪……」

「わかった」


 否定しようとする純也を遮って、美波が納得の返事をした。

 意外な反応に誰もが目を見張る中、美波は決然と告げる。


「言いたいことはわかった。けどな、あたしは純也の姉だ。本気を出せば純也にだって負けないぞ」

「姉ちゃん……突然何を?」


 戸惑う純也に応えるように美波は言い放つ。


「今からあたしの凄さを証明してやる」

「どういうことだい、美波?」


 闘志のような強い感情を瞳に宿す美波を前に、父親が緊張した面持ちで伺う。

 口で答えるよりも先に美波はテーブルの上にトランプ二組を置いた。

 美波の心積もりに純也だけがいち早く気が付く。


「姉ちゃん、まさかここで記憶してみせるの?」

「できるなら、純也手伝ってくれ」


 美波は告げてトランプの一組を純也の方へ押し滑らせる。

 たじろぎながらも純也は受け取り、姉の顔を覗く。


「俺が答え合わせすればいいんだね?」

「そういうこと。純也ならわかるはず」

「ちょっと待ちなさい!」


 意思疎通して話を進めていく純也と美波を見かねて、母親が制止をかけた。

 神経を尖らせた顔で美波の持つトランプを指差す。


「何をする気なの。きちんと説明して」

「あたしが純也に負けていない証明だ」

「命題はどうでもいいの。純也に手伝わせて何をするのか聞いてるの」

「……純也、説明して」


 美波に指示されて純也は困惑したが、姉の決意を感じ取り引き受ける。


「ええと、お母さん。さっき姉ちゃんが記憶力の大会で賞状貰ったって言ったでしょ。今から姉ちゃん大会の時にやったことを披露してくれるんだよ、そうだよね?」


 説明してから姉に確認を取る。

 美波が頷くと、母親は呆れた顔になる。


「今から、なの。今は話し合ってる最中なのだけど?」

「お父さんは見てみたいな。美波がどんなことをして賞状を貰ったのか」


 母親とは対照的に父親は美波の決意を受け取め、微笑んで目顔で促した。

 頑として反対姿勢の母親は浮いてしまい、渋々という表情で口を噤んだ。

 両親の無言の視線を感じながら美波は黙してトランプをシャッフルする。


「姉ちゃんが今からやることは集中しないといけないから、父さんと母さんも私語は厳禁だよ」


 純也が姉の代わりに注意を伝える。

 両親は黙って美波のやろうとしていることに目を注いだ。

 シャッフルを終えた美波が父親にトランプを差し出す。


「親父、ズルできないように混ぜてくれ」

「わかった」


 父親は引き受けてあまり慣れていない手並みながらトランプの山札をシャッフルした。

 山札を返された美波は意識を脳へ結集させるようにテーブルの天板を眺めた。

 三人の視線が注がれる中、美波は記憶術特有の没入感に陥っていった。

 トランプを捲る手指の感覚だけが現実に取り残された。


 ♢Q、♧3、卓球台からグミが生える。

 ♧5,♡J、救護の男がおはじきを弾き飛ばす。

 ♡2、♧10、埴輪が給湯器を叩き割る――


 序盤六枚をルートに落とし込むと、美波の意識は完全に没入して外界の息遣いさえ耳には入らなくなった。

 二十枚、三十枚、とトランプは捲られていく。

 四十枚、五十枚、と後半になってもスピードは落ちず。

 最後の五十二枚を捲り終えると、素早い手つきでトランプを伏せた。

 

「ふぅ」


 五十二枚脳内に落とし込んだ美波は力を抜くように深い呼吸を吐いた。

 美波のいつになく厳粛な様子に純也と父親だけなく、渋い表情をしていた母親でさえ一言も発せずに見入ってしまっていた。

 美波が純也へ顔を上げる。


「トランプ交換して」

「あ、うん」


 純也が従い答え合わせ用のトランプと差し出す。

 交換してすぐに美波はトランプの並べ替え始め、純也が長らく私語を止めていた両親へ苦笑いを向ける。


「もう少し待ってね。姉ちゃんは今覚えた順番通りに並べてるところだから」

「並べてどうするんだい?」

「合っているか確かめるんだ」 


 父親の質問に純也が答えると、母親が思案するような目を美波に送った。

 何か思いついたことがあるように純也へ視線を移す。


「ずいぶん待たされているけれど、トランプを覚えることがどれほど凄いことなのか、お母さんは理解できないわ」

「三分掛からずにランムなトランプを記憶するんだよ。実際にやってみれば、姉ちゃんの凄さがわかるよ」

「トランプ覚えるだけでしょう。純也なら簡単でしょう?」


 美波が出来るなら、と嘲りを含んだ口調に純也は首を横に振った。


「簡単じゃないよ。時間を掛ければ覚えられるけれど、三分で覚えるなんてとてもじゃないけど出来ない」

「美波を庇う必要ないのよ……」

「純也、終わった」


 言い足りない様子の母親に被せるように美波が配列を終えたことを告げた。

 純也は美波の手から答え合わせ用のトランプも受け取り、両親へ視線を彷徨わせる。


「母さんか父さんのどっちかに答え合わせ手伝ってもらいたいんだけど……」

「私がやるわ」


 純也が尋ねると即座に母親が名乗り上げて掌を出した。

 母親に片方のトランプを渡してから純也は説明をする。


「僕が持ってるのと母さんが持ってるのを同時に捲って重ねていくよ。一致しない札は重ねずに別のところに置いてね」

「詳しいけれど知らないけれど、とりあえず一枚捲ってみましょう」


 メモリースポーツの知識が皆無の母親は純也の説明に首を傾げながらも、引き受けた以上投げ出しはせずに促した。

 純也は母親にも分かりやすいようにタイミングを合わせることにする。


「一枚目……二枚目……三枚目」


 ゆっくりとトランプを捲っていく。

 十五枚まで確認して、未だに不一致は一枚もない。


「何枚まで見ればいいの、これ?」

「全部だよ」

「これを全て確認するの。こんなことして何になるの?」


 意義を問う母親に純也は自信ありげに微笑んだ。


「もしも五十二枚全て一致していたら、姉ちゃんを褒めてあげて欲しいな。おいそれと成功できる芸当じゃないんだよ」

「でも美波がこんな量のトランプ覚えられるとは思えないわ」

「それフラグかもしれない」


 純也はニコニコと母親を見ながら十六枚目を捲った。

 母親も純也に追随するように十六枚目、それ以降の確認していく。

 二十枚目、三十枚目と不一致はなく。

 四十枚目になっても同一のスーツが目に入った。

 そしてついに五十二枚目を捲る。


「おおっ」


 純也が思わず感嘆の声を上げた。

 純也の手にあるトランプと母親の手にあるトランプの絵柄と数字は完全一致していた。

 結果、五十二枚を一切のミスなく美波は記憶したことになる。


「……はあ」


 母親は溜息を吐いて困った視線を美波へ送った。

 確認の間は終始黙っていた美波が言葉を待つように母親を見返す。


「美波、これ凄いことなの?」

「それなりに。もっと早く覚えられる人いるけど」

「ふうん。純也かしら?」

「いや、あたしにこの技を教えてくれた人」

「そう。その人は余程凄い人なのね」

「凄いよ。なんせ……」

「山上涼介っていうんだ。記憶力日本一の称号を持ってるんだよ!」


 微妙な間合いで言葉を交わす美波と母親に割り込んで、純也が嬉々として山上のことを紹介した。

 母親は一瞬きょとんとしてから耳を疑うように目を大きく見開いた。


「えっ、記憶力日本一って言った?」

「うん。テレビとかにも出演してて、姉ちゃんと同じ量のトランプを三十秒掛からずに覚えちゃうんだ。それに……」

「ちょっと待って純也、話についていけない」


 興奮気味に話す純也に母親は口を止めようと手を突き出した。

 傍で聞いていた父親がふと気になったように美波へ振り向く。


「なあ美波。その山上という人は幾つなんだ?」

「あたしと同じ年」

「はぁあ、同い年!」


 美波の平然とした返答に父親は仰天した。

 耳ざとく美波と父親の会話を聞いた母親は気苦労が増えたように前頭部を手で押さえた。


「美波。あなた途轍もない天才と出会ったのじゃないかしら。記憶力日本一って肩書きだけで気後れしそうだわ」

「山上涼介さんはオセロの盤面を覚えた枚数でもギネス記録持ってるんだ」

「はぁあ、ギネス!」


 ギネスの字面の持つ効果は覿面で、母親は椅子に体重を預けて恐れ多い様子で美波を見つめた。

 父親も感心したように口を開けたまま美波に視線を据えていた。

 純也は嬉しそうに美波を振り返る。


「姉ちゃん。ようやく姉ちゃんのやってることの凄さが伝わったらしいよ」

「……記録持ってるの、あたしじゃなくて師匠だぞ」

「でも姉ちゃん、山上涼介さんの弟子なんでしょ。そんなギネス記録保持者の弟子ならもっっと誇っていいよ」

「あたしが凄いわけじゃない」


 謙遜しながらも美波は内心で満足感を覚えていた。

 両親を驚かすことが出来た、それだけでちょっとだけ自信が持てた。

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