第27話

「そういえば――あの時のセツリって、すっごく走るの速かったよね!」

クララが笑いながら言う“あの時”とは、あの鞄を引ったくられた日のことだ。

あの事件でセツリが傷を負ったことは、彼女にとって大きな衝撃だった。けれど今は、ただ自分のために走ってくれたその事実を素直に受け止められていた。


「夢中だったから、自分が速かったなんて思いもしなかったよ。ただ……あのまま逃がすと、絶対によくないことが起きるって、それだけは分かってた」


「へぇ、コンキーとの追いかけっこで泣かされてたセツリがねぇ」

茶化すようなマーサの言葉に、クララがぱっと顔を輝かせて笑う。


「わぁ……セツリにも、そんな可愛い頃があったんですね」


「“あったんですね”って……幼なじみだろ」

呆れたように言うセツリの横で、魔道具のコップがコトンと小さく揺れた。


『――ゴホン。少し話が逸れたようだが、その“良くないこと”というのは……啓示のようなものかね?』


「いえ、啓示と呼べるのか分かりません。ただ……アルマさんと別れたその夜、夢を見たんです」


『……ふむ、夢か』



「内容はほとんど覚えていません。けれど“幼なじみの危機”という言葉だけが残っていて……胸の奥が冷たくなるほど、嫌な夢でした」


沈黙が落ちた。

皆の脳裏には、あのプロフィッツ商店の店主の顔が浮かんでいた。若い娘を狙い、言葉巧みに依頼を出しては薬を奪い、乱暴を働いた男。

あの時…セツリがついて行かず、鞄を盗られたクララが店の主に脅されればどうなっていたかは想像に難くない。



『私が気になっていた事とは、予知系統のギフトの持ち主はだいたいが夢の中の啓示によるもの。例外的に覚醒時にもあるようだが、それは他国の”聖女”のギフト持ちくらいだろう。

君がそこまで規格外でなくて良かったと思っていたのだが……。

内容を覚えておらず啓示だけが残るとは、珍しい』


クララがぽつりと呟く。

「……なんだか、次回予告みたいですね」


「この子ったら……また変なこと言って」

ハルカが苦笑する横で、アルマの声が小さく響く。


『”次回予告”とは言い得て妙だな。しかし、第6系統のギフト所持者で予知に近い啓示の夢を見るものはいるが、セツリくんの様に身体能力まで上がることはついぞ聞いた事がない』


そして少し声を落とす。

『強盗と対峙した時、"恐怖"は感じなかったのか? 君はどうにも、荒事とは縁遠い印象だったのだが』


セツリは一瞬だけ目を伏せ、あの時の情景を思い返す。

フードを被った男、クララの鞄、胸の奥をざわつかせた怒り。


「……怖くはありませんでした。ナイフを持っていた時、相手がギフト持ちかもしれないと思いましたが……関係なかった。あれはただ、僕の大切な人の鞄を盗った相手でした。それだけです」


『それで敢えてナイフを腹で受け、その後相手の心を折り鞄を取り戻し自白させたのか。

ナイフで刺したはずの純朴そうな少年がなんの躊躇もなく自分に反撃してくる、しかも少年とは思えない力でだ。あの男もさぞ驚いたことだろう』


「その男のこと、知ってるんですか?」


『大した者ではない、それでもプロフィッツ某のような小物でもない。まぁ、女性にとってはクズだったがな。

聖律院は犯罪に手を染めるであろうギフト所持者にも生活に制限なしがルールだが、ギフトを記録した時点で危険性など一定の監視が置かれる。

その男も過去に問題があり、事件の地区を聞いて私も取調べに立ち会った。男の話を聞いて君だと思ったよ』




「凄い……本当に賢者様なんだ……」 

マーサはコップから聞こえてくる声が若い女性ということもあり、今一つピンときてなかった実感が今のアルマからの話でやっと出てきたのだった



『……これで分かったのは、君のギフトは夢の中での”予知”とそれを”改変する力”か。それに伴う精神の強化も見られるな。

ただ、それが本人の意思によるものなのかギフトの影響なのか……強制されての行動ではなさそうだがまだ判断できかねんな。』


少し間を置いて、アルマがクララへと話を向けた。

『ときにクララ。事件のあと、何か困ったことは起きていないかね?』


セツリが自分の知らない所で、強盗とそんな争いになっていたことを改めて知ったクララは、セツリの服の裾をギュッと握りしめ彼のことを見つめていた。


アルマの一言で我に返ると、少し考えてみるが特に思い当たることもなく返事をする。


「……いいえ、特には何も」


『………ふむ』


「賢者様、なにか娘にまだ良くないことが起きるんでしょうか??」


ハルカが少し間のある返事をしたアルマに恐る恐る質問するが、『いや、なにもないならそれに越したことはない。セツリくんが動かない以上問題はないのだろう』と答えるのみだった。



『ただ――セツリ、君はこれから周囲を頼れ。ギフトの力はまだはっきりとしていない。独断は控えることだ』


セツリはコップ越しで決して姿が見えるわけではないがあの時のアルマの姿は目に焼き付いている。恩師の様な存在ですらあった。

「はい」と頷くと隣のクララが「そうそう、報告、連絡、相談よ。」と肘でセツリを小突きながら笑う。


「たまにクララは難しい事を言うよね」


肘で小突かれて嫌そうな顔をしながらセツリはクララの顔を見るが、その笑顔を目にするとそれ以上何も言えなくなるのだった。



そんなやり取りに、家族の間に柔らかな笑いが流れた。


『では、今回の報告はここまでだ。何かあれば、また知らせてほしい』


アルマの声が終話の気配を帯びたとき、マーサが慌てて立ち上がった。

「こっちのコップでいいのよね……? あの、賢者様!」


『……セツリ君の母上ですね』


「本当にありがとうございました。息子のギフトが危険視されるものだとしたら、私たちだけでは理解できなかったでしょう……」



『……』


マーサはコップを持つ手を震わせながら胸の前に抱えると涙声で詰まる喉から押し出すように話す。





「異端者としてお腹を痛めた大事な息子が連れて行かれなくて良かった……。


今日の話を聞いて息子がどんなに立派な事を成し遂げたのかわかりました。あんなに小さくてよく泣いていた子がここまで成長したんだなぁ…と。


それでも、子供は子供なんです。私の中では今でもコンキーに追いかけられ泣きついてきたあの時のセツリが目に浮かびます……。


もし……この先に私達家族全員がなにか罪で裁かれたとしても私達は賢者様に感謝こそすれ恨むようなことはありません。

こうしてまだ息子との時間を…その可愛らしい彼女と居る時間を一緒に過ごさせてもらえたのですから……」



その言葉に、クララは涙を浮かべて鼻を鳴らした。

セツリはそっと母の手を握りしめ、「心配かけてごめんね、母さん」と抱きしめる。


「家族なんだから、気にすることはないさ」

アレンがそう言ってセツリの肩を抱き、隣でバラクも静かに頷いた。


そして、ハッとしたようにマーサが「ハルカさんにも――」と言いかけた時、

「マーサさん!」とハルカが涙の跡を残したまま声を上げた。


「私も同じ気持ちです。夫を亡くして、娘を一人で育ててきました、あの人の忘れ形見……。

そんな娘が今、笑っていられるのは……セツリ君のおかげです。

もしそんなセツリ君が裁かれるのなら、私も一緒です」


「お母さん……っ!」

クララは母に抱きつき、肩を震わせて泣いた。ハルカも黙ってその背を撫でる。


セツリは母の腕の中からそっと身を離し、沈黙するコップを見つめた。

――異端者を匿って処刑された両親。

なのに、娘だけが生き延びた理由。

彼女自身も知らないのかもしれない。けれど、子を想わぬ親などいない。


きっと、あの時のアルマの両親も……娘を生かすために、すべてを差し出したのだろう。

今、彼女はどんな気持ちで聞いているのか。それを思うとセツリは胸が締め付けられた。



「……“理を識るだけでは、何も救えない”――でしたか」


コップがかすかに震えた。


『……そんなことも、言ったかもしれんな』


セツリは深く頭を下げた。

「僕からも改めてお礼を言わせてください。

僕と家族を、クララの家族を”救ってくれて”ありがとうございました」


静かな沈黙のあと、皆が見つめる中で古びたコップがもう一度だけ震えた。


そして、柔らかな声がそこからこぼれる。


『……ふむ。あまり、合理的ではなかったがな』




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