第26話
夏の日差しが強く照りつける時間帯だったが、郊外の大きな木の下にはやわらかな木陰が落ちており、風が通るたびに葉の影が揺れていた。
セツリとその家族、そしてクララとその母ハルカは、木陰の中でそれぞれの家から持ち寄った食事を広げ、静かに腰を下ろしていた。
「もう、“風邪”は大丈夫なの? セツリ」
クララの声には、どこか棘のようなものが混じっていた。
それは、いつも元気だった幼なじみが一週間も姿を見せなかったことへの、不安と寂しさが滲んだ響きだった。
その声を聞いたセツリは、母マーサの顔を見る。
「正直に話したほうが良いと思うわよ」と話す母マーサの顔を見ると観念したように小さな声でクララに鞄を取り返す時には酷いケガを負っていた事、この一週間ベッドに寝たきりだったことを話し出す。
「……ごめんなさい……私が、お遣いに一緒に行こうなんて言ったから……セツリがそんな危険な目にあってたなんて……」
クララは一週間ぶりに会える幼なじみのために、お気に入りのワンピースを選んできた。
けれど、セツリの声を聞いた途端、その胸の奥がぎゅっと痛んだ。
ただの風邪じゃないことを、本当はずっと前からわかっていたのに――。
嬉しさに紛れて、おめかししてしまった自分が、急に悲しくてたまらなくなる。
ワンピースの裾を握りしめる指先から、ぽたり、ぽたりと涙が落ちて、淡い布地の色をゆっくり変えていった。
「クララちゃんは悪くないわ! 悪いのはあのプロフィッツの店主よ。あの人、同じようなことを何度もしていたらしいじゃない」
「そうだな。クララちゃんにそんな顔をしてほしくなくて、セツリは“黙っていてくれ”って僕たちに頼んだんだ。ショックなのは分かる。でも、息子の気持ちも汲んでやってほしい」
マーサとアレンの言葉に、ハルカも優しく頷きながらクララの髪を撫でる。
「私ね、あの日セツリ君がうちに来たとき、何かあるって感じたの。言葉にはできないけど、あの子の目には強い決意の光があったわ。……亡くなったあの人も、たまにそんな目をしていたもの」
「ちょ、ちょっとハルカさん! 今はその話……」
マーサが慌てて言葉を止めようとする間にも、「亡くなったお父さんも……」と呟いたクララの瞳から、また涙が零れ落ちた。
見かねたセツリが、ようやく口を開く。
「――ギフトなんだ」
その言葉に、皆の視線が一斉に彼へ向く。
クララも涙に濡れた目を上げ、じっと見つめていた。
「僕のギフトが、クララの危機を教えてくれたんだ。ただ内容までは分からなかった。だから……ずっとそばにいようと思ったんだ。結果はこうなったけど、後悔はしてない。クララを守れてよかった」
「でも……そのせいで、セツリが死んじゃうところだったのに!」
「そうしなきゃ、クララがひどい目にあってたかもしれないだろ!」
「でも……セツリがいなくなっちゃったら……私……ひとりぼっちになっちゃうよ……」
クララの小さな声が、木陰の中に落ちた。
返す言葉を見つけられず、セツリは唇を噛む。
そのとき――ふいに、風の音にまじって声がした。
『――だいたい理解はできたよ、セツリ』
「えっ……今、誰か言った?」
マーサが辺りを見回す。だが、誰も口を開いていなかった。
『お姫様の気持ちを汲んであげられないようでは、王子様失格だね』
シートの上に置かれた古びたコップが、カタリと震えた。
そこから、澄んだ女性の声が響く。
『はじめまして。私はアルマ・ヴェルディア。聖律院第三階位の賢者としてギフトを授かっている者です』
「ひ、ひぇっ!?」
マーサは仰け反って尻もちをつき、ハルカも「きゃっ」と声を上げて口を押さえた。
「ハハハ……マーサ、驚きすぎだよ。ハルカさんなんて……いや、何でもない。
でも、聖律院の賢者様って、王家にも通じるほどの方でしょう? どうしてうちの息子のことを……」
『お父上の心配はもっともです。けれど、まずは言わせてください。
……セツリ、私は君にその力と運命を変えてほしいとは言ったが、生命を軽々しく投げ出すような真似はいただけないな。君はもっと賢い少年だと思っていたが口が達者なだけの只の子供だったようだ』
その声に、セツリは俯いてしまう。
見かねたクララが、もう一つのコップを手に取った。
「そんなことないです! セツリは……本当に頑張って、私のことを――」
けれど、言葉の勢いは途中でしぼみ、声が震えた。
それは自分が否定していた彼の行動を肯定するようなもの。本当は自分でもわかっていた事だった。
アルマの声が、少しやわらかくなり
『クララ、きみもきみだな。セツリのその力のことを知ったとき言ったはずだな。ヴモーフでもコンキーの様に生きていきます!だったか?
随分威勢の良い言葉を発する少女だと感心したものだが、所詮は只の村娘。セツリ君がこれからそのギフトの力と向き合っていく度に君は泣いて困らせるだけなら…』
「そんなこと、ないです!」
セツリがクララの傍に寄り、強い声で遮った。
「どんなに泣き虫でも、クララは僕にとって……大事な…大事な人なんです!」
俯いたその声に、風がそっと重なった。
しばらく沈黙のあと、アルマは静かに言う。
『……ふむ、要するに何方もお互いを思い合っての事。君たちに必要なのは話し合いであって、先程の様な言い争いではないはずだね?そうは思わないか?』
セツリとクララは目を合わせた。
セツリが息を整えて言う。
「今度からは、クララに相談してから行動するよ」
「うん。私も……ちゃんと支える。無茶する幼なじみを止められるようにね」
クララが少し笑うと、アルマの声も柔らかに響いた。
『……よろしい。ひとまず第一の問題は解決だね。さて、もうひとつ――セツリ、ご家族にはギフトのことを話したかい?』
「あ……それが、説明する前にケガをしてしまって……」
『なら今からでも、きちんと伝えなさい。隠し通せるものではないだろう?』
促され、セツリは息を吸って顔を上げた。
そして、ギフトを授かった日のことから、すべてを語り始めた。
説明に詰まるたび、アルマが少し助け舟を出す。
そして、「夜の底に知路告ぎ」というギフトが、今は「畜産」として扱われていることを話し終えると、沈黙が落ちた。
「分からないことがあったら、俺に聞けばいい」
静かに口を開いたのは兄のバラクだった。
「うん……。本当のギフトじゃないって言われたとき、どう答えたらいいか、教えてくれると助かるな」
「兄弟で同じギフト持ちってのも珍しいけど、あり得ないわけじゃない」
そう言うアレンに、マーサが思い出したように口を開く。
「それよりセツリ。あのお腹の傷はどういう事だったの? アシュリーさんが言ってたわ。
家の前で刺されでもしないと、あんな出血じゃ済まないって」
クララが心配そうにセツリを見つめる。
言葉を探す彼のかわりに、アルマの声がふたたび響いた。
『セツリ……君は“理”を、自分の意志で曲げられるようだね。刃物で刺されても、“運命を変えるまでは傷の影響が出ない”――そんな状態だったのだろう』
「でも……あの時、セツリの腕から血が出てたよ」
「軽い傷までは無効にならなかったんだ。動けなくなるような致命傷だけ……。アルマさんの言う通りだと思う」
『ふむ。そしてクララが無事に帰ったことで運命は変わり、力は解けた……。だがもう一つ気になる。
――その時、君は“普通”だったかい? 心も、体も。』
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