20

 ぶちぶち、という音がした。


「あむ……ん、んぐっ。ほれへ、そなふぁの兄弟子はどうなっふぁのかの」


「食ってから喋れ」


「ん」


 おざなりな返事と共に小さな手がテーブルに伸びる。どうやら、話すよりも食うほうが優先と判断したらしい。


 先ほどの音はもちろんパンをちぎって口に運ぶためのもの。


 宿の一室には、食事と薬の類が山と積まれていた。


 黙々と食べ物を口に運び続けるルナを見て、マイルズは一つため息をつく。この分ではおそらく、昼の鐘が鳴るまでは言葉を発することはあるまい。


 仕方がないので、順を追って説明を始める。


「ことの顛末がどうなったのか、ウォーム商会長に教えてもらった」


 ページの力で引き起こされた大爆発によって、レオナルドの個人倉庫はほとんど吹っ飛んでしまった。倒壊した瓦礫の下から本を抱えて這い出したマイルズが、治療を受けて動けるようになるまでに十日。


 マイルズよりもさらに重症のルナは人の姿に戻ってすぐに意識を失い、何日も眠り続けていた。ようやく目を覚ましたのが今朝早くで、開口一番に「腹が減った」と言ってマイルズを安心させた。


 不可思議なことに、あれほどの爆発でマイルズもルナもレオナルドも、ページそのものも無傷だった。あちこちにできた痣や切り傷は、主に崩落してきた柱や梁によるものだ。


 そのことをルナに話したら「わらわは優しい悪魔であろ?」と得意げだった。


 実のところ、落下してきた建材から本をかばったおかげでマイルズのあばらには今もひびが入っているのだが、要らぬ心配をかけることもないので黙っている。


 爆発については、倉庫に密かに蓄えていた密輸品の油と火薬の扱いを誤って大事故になってしまった、ということで参事会を納得させたらしい。


 ラブール商会に厳しい罰が下るものと思われたが、倉庫の名義はレオナルド個人であり、その中身もラブール商会はまったく関知していなかったのが幸いした。


「商会としての責がまったく問われないと言えば嘘になりますが、困ることはありますまい。バシュの思惑に加担していた者たちからはむしろ金を貰いたいくらいですな」とはウォームの言。


 おそらくは町の有力者にもレオナルドの奇跡を売る計画に賛同する者がいたのだろうが、あんな危険な事故を起こすような代物に興味を示していたと知られるくらいならばレオナルド一人に泥を被せたほうがよい、という判断だろう。


 具体的に誰がレオナルドと繋がっていたのかはウォーム商会長が調べるという話だが、さほど深入りするつもりはなさそうだった。


「バシュの家系を遡ると教会に行きつきます。だからこそ、彼はこの計画を立てることができた」


 それ以上は言わなかったが、教会内部にはレオナルドの協力者がいるだろう、ということだ。ラブール商会の今後のためにも、藪を突いて蛇を出すのは避けたいのが本音といったところか。


 問題のレオナルド本人だが、目を覚ましてすぐにマイルズを呼んだ。


 商会のレオナルドの私室に通され、お互いに包帯だらけの身ではあったが、一杯だけ葡萄酒を飲んだ。


 それがかつての兄弟のような関係で酌み交わす酒ではなく、もう二度と戻れない別れの酒であることは明らかだった。


 もちろん、レオナルドのコップにルナの白髪が一本溶けていたことを知る者はいない。


 ラブール商会帳簿係レオナルド・バシュはすべてを語り、その地位を解かれた。


 商会どころか町中の人間を賭け金にした危険な博打を、ウォーム商会長は許さなかった。


 縛り首になるのかそれとも市民権を剥奪されて追放処分となるか、それはわからないし、マイルズも訊かなかった。ただ、表向きは事故の責任を問われるだけなので命までは取られないだろう、と仄めかされて少しほっとした。


 その代わりというわけでもないが、部下の起こした事件のせめてもの詫びにと滞在費の負担を申し出てくれた。


 テーブルに並ぶとりどりのご馳走は、「その怪我では不便でしょう。宿になにかお持ちしましょうか」と気を利かせてくれたウォーム商会長に、ルナが遠慮会釈なく「鶏の丸焼きと最高級の葡萄酒」と答えたため。


 恭しく応じるウォームが部屋を出たところで、マイルズが慌てて追いかけて安いライ麦パンをどっさり食べさせるから鶏は小ぶりなもので充分だと伝えなければ、本当に貴族の食卓に出てくるような食事が届いていたことだろう。


 もちろん、そのことは後でルナにばれていて、かなりきつく怒られた。


「と、まあだいたいこんなところだな」


「ふむ」


 話を聞いているのかいないのか、ルナの視線は飯から動かない。


 たぶん、マイルズが話したそうだったから喋らせた、といったところだろう。ルナからすれば、ページを取り戻した今レオナルドがどうなろうとさしたる興味はなさそうだ。


「ん」


 と、ルナの手がマイルズの方に伸びる。見れば、木の匙にほぐした鶏肉がこんもりと盛られ、脂が滴っている。


「? なんだ、食べたらいいだろ」


「阿呆」


 短い言葉は、相変わらず人を小馬鹿にしたようなあきれ顔で。


 ルナの意図が読めないながらも、突き出されたままの匙を受け取って口に運ぶ。


「んふ」


 途端に漏れ出た満足げなため息に、心当りがあった。


「……ああ、なるほど」


 そういえば、この料理は特別なときに分け合って食べるものだとルナに説明したのはマイルズだ。


「少し、遅くなったがの」


 ルナがそう言うので、思い違いではないだろう。


「ただ、の。わらわがこの様では、本をそなたに渡すまで今少しかかる。儲けを先延ばしにして悪いの」


 減らず口は健在だが、ルナの右肩から左脇腹にかけては、まだ包帯が巻かれて血が滲んでいる。刺された傷は浅いものではなく、治るまでひと月はかかる。


 それはつまり、マイルズが商品を手に入れるのもそれだけ遅れるということ。


 ルナのことだから、口調の軽さとは裏腹に本気で気を揉んでいるに違いないのだが、そこはそれ。きちんと手を打ってある。


「ああ、それなんだが……」


 マイルズは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。普段ならばとても商わない最高級の品質のそれには、そっけなく取引明細とだけ題が付けられ、以下のようなことが書かれている。


 曰く、アルフレッド・マイルズ氏より没食子インク半樽を買い付ける。町におけるインク需要の急騰状況に鑑み、買い取り金額は――


「予定の三分の一しか売れなくとも、売値が三倍になれば損は帳消しにできるからな」


 偽物の奇跡は続き、町はいましばらく投機熱に沸き続ける。


 インクに高値が付くのは、至極当然のことだ。


「だがまあ、これで万事めでたしだな。お前はページを取り戻して自由の身、俺は本の儲けを得て、町からは危険な異端の品が消えた。三方丸く収まったってわけだ。やれやれ」


 やけくそじみた言い方になってしまったのは、一緒に旅をする理由も綺麗さっぱりなくなってしまった、ということでもあるから。


 ルナがこれから先の旅のことを言い渋っていたのは、取引が上手くいっても自分はレオナルドに捕らえられるだろうと予感していたからだが、同時にマイルズの貧弱な懐事情を慮ってのことでもある。


 だが、インクの損を帳消しにして余りある売値に滞在費まで無償となれば、さすがのマイルズも当面の金の心配はない。


 ルナが一緒に行きたいと言うなら、共に旅を続けたい。


 きっと、ルナも同じように思ってくれているはず。


「……」


「……」


 だが、お互いそれをどう切り出したらいいのかわからない。


「これで、お前との旅も終わり――」


 寂しさを気取られまいと、そっと言葉を選んだ、そのときだ。


「欠けたページが一枚だけとは、わらわは一言も言っておらぬがの?」


 拗ねた口調で、窓の外を向いて放たれた一言は、自分の利益を求めるのが下手なルナの精一杯の要求なのだろう。


 かといって、下手に出ないところが最高にルナだった。


 それもそのはず。ページが揃わなければ、マイルズは商品を手に入れられない。稀覯本を扱う大書籍商アルフレッド・マイルズの夢は、こいつの本から欠けたページにかかっている。


 それが本当かどうかなど、どうでもよかった。


 ルナはこう言ってほしいのだ。


「ページを全て集めるまで、俺をこき使うつもりだな?」


 金色の目がマイルズを見て、得意げに細められる。


「互いに利益をもたらすのが商売、であろ?」


 マイルズはゆっくりとため息をつく。まったく仕方ないな、という態度を装って。


 そして、手を伸ばして、ルナの頬に触れる。


「この悪魔め」


「にしし」


 わざとらしくそう呼ぶと、ルナはくすぐったそうに笑い返してくる。


 それはとびっきりに楽しげな、悪魔のような、天使のような笑顔だった。



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月とインクと契約書 内藤遊山 @naito_yusan

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