Birthday

 空気が冷たく、乾いている。

 待ち合わせの時間より三十分も早く着いてしまった。どこか店に入って待つ気にもなれず、目についた移動販売のカフェでホットコーヒーを買った。それに口をつけたり、カップの側面をカイロ代わりに冷えた手をあたためたりしながら、駅前のベンチに座ってただぼんやりと時間をつぶした。

 ふと、前方から歩いてくる姿を見つけた。

 細い足が迷いなく、まっすぐこちらへ歩いてくる。


「怜ちゃん、久しぶり」


 あたしの前に立った来栖が無邪気に、待った? と言う。カップルかよ、と思い、自然としかめっ面になるのが自分でわかった。


「……来栖」

「ん?」

「今日めっちゃ寒い」

「ははっ」


 ただ思ったことをしかめっ面でそのまま口にしただけなのに、なにが可笑しいのかさっぱりわからない。


「寒いね。それじゃ、いこっか」


 十二月末。世間は年末で、あたしたちは冬休みだ。どちらにせよ繁華街は人で溢れている。

 お互いに私服で、来栖と並んで街中を歩いていることに現実味がない。踵の高いブーツを履いてきたせいかあまり身長差がなくて、それもまた変な感じがする。


「なんかこれってもん決めてきた?」


 歩きながら、来栖があたしを見てくる。


「……実用的なものがいいかなって……」

「たとえば?」

「……ラ、ライターとか……?」

「もっと高校生らしいもんにしない?」

「じゃあ、あんたはなんか考えてきたわけ?」

「俺はケーキ作るもん、愛を込めて」

「来栖って料理できんの?」

「できるよ~。お兄ちゃん、弟のために朝夕頑張って飯作ってるもん。お菓子系は作るの初だけど、愛があればなんでもできるよ。たぶん」

「恐怖でしかない……」


 思いっきり顔をしかめて言うけれど、来栖は楽しそうに声をあげて笑うだけだ。本心から笑っているのがなんとなくわかって、なんだろう、むかつく。

 来月、年が明けたらすぐに優の誕生日がやってくる。一月五日、優は十八歳のあたしたちより一つ年上になる。


【買い物に付き合ってほしい】


 と、来栖に頼んだのはあたしだった。

 そういえば来栖宛にはじめてあたしからメールを送った。まあそんなことはどうだっていいのだけど、すぐに返ってきたメールは、


【デート?】


 という一言にハートマーク付きだったので、あたしは斜め後ろの席を思いきり睨みつけた。

 数週間前に席替えがあり、来栖と席が離れた。優とは相変わらず遠いままだった(身長がデカすぎるから、優は絶対後ろの席にさせられるのかも)。

 その日は、終業式だった。担任の長いホームルームと、ゆるい暖房が効いた教室には気だるい空気が漂っていた。


【デートじゃねえ!】


 怒りの返信をし、確認がてら再び斜め後ろを覗き見る。

 来栖は、笑いを噛み殺すような表情をしながら、ケータイで口元を隠してこっちを見ていた。



 すっかり忘れていた昼食を、適当にファーストフード店で済ませることにした。混み合う店内の二階で、ガラス張りの窓に面したカウンター席にあたしたちは並んで座った。

 来栖は、あたしが注文した店で一番大きなサイズのハンバーガーを一瞥して、


「残しても、お兄ちゃん食ってあげられないよ?」


 などと、戯言をぬかした。


「あんたに食ってもらうぐらいだったら吐いてでも自分で食うし」

「怜ちゃんって痩せの大食いだよね、実は」

「あんたが食わなすぎなんだよ。ていうかお腹すいてたの、純粋に。歩きすぎて……」


 言いながら、ついさっきまで繁華街を二人でひたすら歩き回ったことを改めて思い返すと、無性に恥ずかしくなった。足元に置いた紙袋の存在さえなんだか気恥ずかしい。誤魔化すように、巨大なハンバーガーを頬張った。パンズに挟まれた中身がこぼれ落ちそうになるのを、形を崩さないように、慎重に。

 隣からはコーヒーの香りがしている。来栖はホットコーヒーに砂糖もミルクも入れなかった。甘党のくせに、へんなやつ。


「なんか、初デート思い出すね?」


 唐突に、妙に穏やかな声で来栖が言う。

 あたしはハンバーガーをきれいに完食した後だったので、包み紙を折りたたみながら怪訝な視線を送った。


「……なんの話?」


 片手で頬杖をついたまま、来栖がこっちを向いてにっこりと笑った。


「サーティワン」

「は?」

「ほら、怜ちゃんとはじめてデートしたじゃん。夏休み明け。アイス交換こ」


 折りたたんだ包み紙を手の中でぐしゃっと握りつぶす。それを来栖に投げつけた。来栖はやっぱり笑いながら、あたしが投げつけた包み紙を拾い、丁寧にひらいて、折り紙をはじめた。

 指先が器用に折り目をつけていく。来栖の指は、あたしとも優とも全然細さやかたちが違っていて、現実味がない。


「……ねえ」

「なに? ……あ、やべ、ちょっと曲がった」

「来栖、地元出るの?」


 終業式の数日前のことだった。

 通りがかった進路指導室で、教師と向かい合って話す来栖の姿を見た。そんなつもりはなかったのに、引き戸が半端に開けっ放しだったのだ──なんて、言い訳にしか聞こえない。

 指導室の前で教師のやたら熱のこもった明るい声に、あたしは思わず足を止めていた。そうして聞こえてきたのは、地元から離れた有名な国立大学の名前だった。

 やけに大人びた顔で、教師の声に対してときどき頷いて、いつものピアスすらしていない来栖の横顔が見えたのだ。

 来栖は指先の動きを止めて、目を上げた。薄いブラウンの瞳はゆれることもなくあたしを見据える。


「うん」


 そうだよ、と来栖は笑った。

 そのままどこかへ飛んでいってしまいそうに軽く、音もなく。


 高校を卒業したら地元を出るなんて、めずらしいことではない。

 いつもへらへらしていて、茶髪でピアスで、あたしのいないところできっと優といっしょに喫煙していて、それから屋上の鍵を盗んで複製して、あまつさえあたしと優を共犯にするようなやつで、それでも、来栖が相当成績がいいことぐらい知っている。ほんとうはこんな偏差値が並み程度の学校に通っていることが間違っていると思えるぐらい。

 だから、なんにもおかしいことはない。むしろ彼が正しい場所に戻るぐらいに、自然なことで。


「K大に行くの?」

「うん。先生から聞いた?」

「国立ならうちの県内でもいいんじゃないの。べつに、わざわざ出てかなくったって」

「ちょっと勉強したいことがあって」

「うそくさ」

「はは、うん、うそ。ほんとは、K大に甘味サークルがあるから」

「……どうせ出てくなら東京行けばいいのに。有名なお菓子いっぱいありそうじゃん」

「東京はちょっとこわいじゃん」


 こんな会話、くだらないな、と思う。何を言ったところで伝わらないし、気持ちが晴れるような答えは返ってこない気がした。


「……ねえ」


 ガラス張りの窓から外を見下ろす。止まることなく、忙しなく流れる人の往来が見える。まるで濁った水流でも眺めるように、無感情だった。この場所にいるあたしたち以外はみんな、すべて同じに見える。

 でも、違う。

 ほんとうはひとつも同じなんてない。

 あたしたちは何ひとつ同じじゃないし、何ひとつも伝わらないことが当たり前で、それなのに、それがひどくもどかしくて、嫌になる。


「あんた、弟とあえなくなってもいいの?」

「あえなくないよ」


 心のどこかでわかっていた気がする。あたしの気持ちが晴れようが晴れまいが「今日はいい天気だね」と、見える景色をそのまま口にするように、来栖は答えるのだと。


「ずっと単身赴任してた父親が帰ってくるんだ。それに、週一で実家帰るもん、俺」

「……うざい兄貴」


 卒業したら、来栖は地元を出ていく。優は、地元で就職すると言っていた。今もバイトで働いているバイクの整備会社に、そのまま社員として採用してもらえるのだそうだ。あたしも、地元に残る。実家から通える距離の短期大学に推薦が決まっている。

 でも、もうきっと優とだって、今までみたいには会えなくなる。学校に来れば会える、みたいな、そういう気軽な状態ではなくなる。漠然と、けれどそれだけは、あたしにだってはっきりとわかる。


「優、喜ぶと思う?」


 これ、と片手に提げた紙袋をゆらした。

 散々歩き回って散々迷って決めた、レザープレートが付いたキーチェーン。誕生日当日に優に渡しに行く。


「喜ぶよ。泣いちゃうんじゃない?」

「それはないと思う」

「なくはないと思う~」

「真似すんなバカ」

「あははっ」


 楽しそうに笑いやがって。


「──怜ちゃん」


 最初の待ち合わせ場所の駅前広場に着いた。あたしたちの別れ道。

 唐突に来栖から、手ぇ出して、と言われ、考えるより先に手のひらを差し出していた。


「あげる」


 どこか秘密めいた声で、来栖はあたしの手のひらに小さな鶴をのせた。ハンバーガーの包み紙でできた赤い折り鶴。あたしが一度握りつぶしたせいで紙はシワだらけで、不格好なのに、どうしてかきれいなものに見える。

 ていうか、なんで折り鶴……。


「じゃ、よいお年を」


 そんな言葉に顔を上げれば、今まで目の前にいたはずの男はすでに後ろ姿だった。

 来栖は、いつも別れ際があっさりしている。今までのことなんてまるでなかったように、そのまま消えても全然不思議じゃないくらいに。

 実際そうなのだ。明日になったらあたしたちが当たり前のように会える保証なんて、どこにもない。だからこの別れ方は正しい。来栖は、正しい。いつだって。

 でも、だけど──。

 あたしは、あんたのそういうところがむかつくんだよ!


「──来栖!」


 振り返った来栖に向かって、あたしは言う。


「初詣いこうよ」


 三人で、と付け足す。


「あんたの合格祈願してあげる。優といっしょに」

「……え~」

「なんだよ」

「だって、なんかそれってさあ、二人して俺のこと追い出すみたいじゃん」


 めずらしくふてくされたように言うので、思わず笑った。可笑しくてたまらなくなった。

 ああ、くだらないな、あたし。くだらないな、あたしたち。

 来栖が、あ、と思いついたように声をあげた。


「初詣、四人でもいい?」

「四人? 誰?」

「弟~」


 弟、と思う。

 子どものくせに、大人みたいな言葉づかいで「兄ちゃんの友だちですか?」とあたしに訊いた、あの小さな弟。

 そういえば、元気かな。あの子、あたしのことを覚えているだろうか。


「いいよ」


 つれてきてよ、とあたしは言った。優もきっと喜ぶだろう。中学の頃のように、嬉々としてあの子に甘酒でも買ってやるかもしれない。

 優といっしょになって楽しそうに笑う来栖。それを呆れるように見ているあたし。そんなあたしたちの姿を想像できる。少しだけ、未来が保証されたような気持ちになる。

 あたしたちはもうすぐ、今みたいに気軽にあえなくなる。来月、優があたしたちより年上になるように。あたしたちより一つ大人になるように。

 漠然と、でもそれだけは、わかる。

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