5-2

ちょうど良くシルヴィアからの呼び出し。だが、いつものオフィスではない。つまり、異常事態。

車で砂漠に差し掛かる前、太陽も沈み切ってから目的地の前に着いた。見えるのは広大なトウモロコシ畑。

連絡で来た地図を元に、畑の内部に車を進める。迷路のような道、その中を数キロ進んでようやく開けた場所に着いた。

夜の闇に沈む一面トウモロコシ畑の中に車を止める。ヘッドライトを落とすと、完全な闇に包まれる。

湿気を帯びた風が背丈の倍ほどの茎を揺らし、葉が擦れる音がまるで囁きのように四方から響いてくる。

車のドアにもたれかかり、背中に感じる金属の冷たさで意識を保つ。

――いい場所だ。

それは皮肉でも本音でもない。ただの確認。これから何が起こるか、そして何を知るか。それに、ふさわしい場所だ。

メモリーを見せるには格好の場所だ。ポケットの中、硬さを確かめる。これを彼女に見せれば、何かが動く――そう信じるしかない。

ふと、遠くでエンジン音がしたような気がしたが、すぐに葉音に吸い込まれた。土の匂いと若いトウモロコシの青臭い香りが鼻腔を刺激する。

足元のぬかるみが靴底を舐め、反射的に足を振って払い落とした。

不意に、光が差し込んだ。不規則に揺れるヘッドライトが茎の海を切り裂きながら近づく。 重厚なエンジン音が腹に響きはじめ、闇を割って現れた車が畑の縁に停まった。

ドアが開き、背の高い影が降り立つ。スーツの襟を整え、無言でこちらを見た。――シルヴィア。

呼吸を整える。一瞬、殺気を感じた。

「シルヴィア」

声をかけ、一歩を踏み出す。メモリーを見せて、エルの居場所を、探さなきゃいけない。

「待ちなさい、ミア。話はまだよ」

冷たい声が、刃のように貫いた。風が、トウモロコシの葉をざわめかせる。

「エルは待ってないんだよ!」

苛立ちが口を突いて出た。彼女の暗い目とぶつかる、その瞬間。

もう一台の車がやってきた。重い唸り声をあげて向かってくる年季の入ったSUV。

二人で目で追っていた。泥をかき分けて停車し、そこから現れたのは

泥を蹴って降りてきたのは――ダリア。制服の裾に泥をつけたまま、こちらへ急いで歩いてきた。

「大佐、ミア。お待たせして申し訳ございません」

いつもの堅い表情が、今日は一層重い。

「話って何なの、ダリア?私も忙しいの」

シルヴィアの声は淡々としていたが、その下に刃が潜んでいた。 状況は掴めない。

けれど、好都合だ。ポケットの中のメモリーを握る手に、じっとりと汗が滲んでいた。

「大佐。単刀直入に伺います。エルヴィラが、今どこにいるかご存知ですか?」

彼女の声で一瞬何も聞こえなかった。口が開かない。息だけが震える。

――沈黙。

「なんでお前が」

自然とダリアに詰め寄るがシルヴィアの手が遮る。

「黙りなさい、ミア」

その声色は、普段よりも低く冷たかった。シルヴィアの手が私の肩を掴む。肩が熱い。トウモロコシ畑を一陣の緊張が走る。

葉擦れの音がざわざわと強くなる――この場の空気を嗤っているかのように。

「ダリア、理由を言いなさい。こんな場所に呼び出すってことは、身内にも言えない話でしょう?」

シルヴィアの言葉に、ダリアの表情がわずかに歪んだ。

「では質問を変えます。彼女の最近の行動を教えてください。エルヴィラはテロリストの一員だと聞いていますが」

ダリアを殴りつけようとした。だが、その腕はシルヴィアに掴まれる。痛い。

「ねぇ、教科書通りの尋問は辞めてくれる?エルがテロリスト?あなた、何が聞きたいの?」

シルヴィアの冷たい目がダリアを射抜く。 見たことない。シルヴィアもキレている。

「申し訳ありません。ですが、これを見ればそうは言えません、大佐」

ダリアはタブレットを取り出し、こちらに向けた。そこに映るのは廃墟と化した街の中の荒い映像。

その中を二つの影が進み、段々とそれにズームする。体格から一人は男、一人は女だ。だが、その一つの影に見覚えがあった。その姿、エル。少しやつれているが、長い金髪に、あの身体、確実にエルだ。

そして、その隣の男――白髪の男。老人のようにも見えるし、中年のようにも見える。どこか見覚えがあるが、何か靄が掛かったように思い出せない。

「一人はエルで、もう一人は男はこの国有数の巨大財団の会長のカリム。NOVAとは公式な協力者よね」

間髪入れずに話す、シルヴィアの声には嫌悪が滲んでいた。

ダリアが頷いたのを見て思い出した。テレビの経済ニュースや科学番組で何度も見た人物。カリム財団会長。遺伝子研究の第一人者、NOVAの公式相談役。

全く理解ができない。なぜ、エルがなぜカリムと、それとそこはどこなんだ。胸の奥で何かがざらつく。

「どこだ?エルがなぜそんな奴といる?教えろ、ダリア!」

気が付けばダリアに飛び掛かり、シャツの胸倉を掴んでいた。灰色の瞳が睨むも何も帰ってこない。

突如、肩を掴まれて後ろに投げ飛ばされて地面に叩きつけられた。ぬかるんだ土の味。シルヴィアが私を一瞥して言った。

「じゃあダリア、次は私達の情報を教えてあげる。エルは行方不明なの。もちろん私達でもう数週間も探してるの。でも車が郊外の埠頭で見つかった以外なにもわからないの」

シルヴィアの目つきは変わらない。だが、彼女なりにエルの情報を引き出そうとしていることだけはわかった。

「そこにあなたが呼び出したの。しかも、エルが有名人と歩いているところの映像を持ってね。さて、今度は何の情報をくれるの?ダリア?それとも私にこれ以上何か聞きたいの?」

今度はシルヴィアによる尋問。最後だけ苛立ちを抑えられていなかった。

「大佐、まずこちらをご覧ください」

ダリアが次の映像を再生する。壇上に立つカリムが映る。

『我々は、この星で唯一“自然を超えた存在”である――』

胸を張り、誇らしげに語る。声は滑らかで、どこか陶酔している。

『火を扱い、森を切り開き、文明を創り、自然の摂理すら理解した。だが現代ではどうだ?国家や民族だの、くだらない主張で争いが絶えず、貧困や病が蔓延している』

語気が荒ぶる。

『これは自然でも起きない低次元の問題だ』

拳を握り、観客を睨みつける。

『自然界では、増えすぎた種は自発的に減るようプログラムされている。我々も例外ではない。それに抗うには、進化するしかない。我々は“自発的に”進化しなければならない』

ざわつく観客の拍手。空気に戸惑いが混じっている。

『進化に必要なのは交配。優秀な遺伝子を未来へと繋ぐために。……だが、人間同士の繁殖では限界がある。むしろ、劣化している。だが、解決方法はある。あらゆる生物と交配できる能力を持つもの……そう、ウイルスとの交配だ』

映像が切れる。空気が重い。葉擦れの音だけが遠くで聞こえる錯覚。

ダリアは無言で別のファイルを開いた。

「何が言いたいかはっきり言ってもらえるかしら?」

シルヴィアが舌打ち混じりに言う。目にはダリアへの苛立ちが突き刺さっている。彼女自身、エルの捜索でろくに眠れていないはずだ。

「……この人物の声紋、指紋、DNAはとある人物と一致しました」

次に映った映像――その顔に、息が止まる。映っていたのは、故郷の街で母の傍らにいた男。

遠い昔の日の惨劇。炎の匂い。焼けただれた街並み。私たちの全てを奪った元凶。 足の裏から首筋まで悪寒が這い上がる。

「今はカリムと名乗っていますが、彼はジェナークです。ネオジーン社、細胞研究所長の」

指先がかすかに震えた。 死んだとずっと思いたかった。ダリアの目的がなんとなく分かった。でも――それを否定したかった。

「……そのことで、ミアから、聞きたいことがあります」

ダリアの視線が、私に突き刺さる。視線を向けられなかった。呼吸が浅い。胸が痛い。

「あなたの過去を聞かせてもらえますか」

火の匂いが、まだ鼻の奥に残っている。夢ではない。忘れたくても、忘れられない。私達の人生の起点。

レベッカ・ウェルナーという女が、母として最後まで抗い抜いたあの夜が。

それが私たちの人生の起点。決して消せない、あの炎。

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