Chapter Five:Shadows of the Past

5-1

私がドアを開けて部屋の中央まで入ると、彼は背中から抱きついた薄い生地のワンピースを着たアンドロイドを振り払った。

振り返った顔は一瞬、怒っていたが次第に笑う。彼の背中のモニターに映っているのは今に下着を取ろうとしている女。彼の趣味である高級ジムの更衣室の覗きを中断させたようだ。

「なんだ?相方はまだ見つかってないのか?」

マゼランの煤ら笑う声にも不気味に歪んだ顔にも怒りは沸きそうに無かった。そんな事のために来たのではない。

ポケットの中の小さなメモリー。役に立つのか正直に言ってわからない。だが、待っていてもエルは帰ってこないことも事実。

「覗き中に悪いな。これを復元してくれ」

「俺をパソコンショップの店員と勘違いしてるのか?」

アンドロイドにメモリーと金を渡すと、プログラムされた笑顔と少女のような仕草で受け取り、スキャンと消毒後に彼に渡す。次にアンドロイドの腹部が開き、内蔵された紙幣カウンターに金を入れた。金額が表示されるとマゼランは背を向けて、キーボードを叩き始めた。

「お前が頼む、となるとエルヴィラに関するものか。まあいいだろう、これならな」

端子を嗅ぐマゼラン。それで情報の匂いがわかる事はないのだが癖なのだろう。

彼の猫背気味の背中でモニターは見えないが、何らかの進展はあるのか動きは止まらなかった。流れるようなタイピング音、彼に寄り添うアンドロイド、一度も止まったことがないであろうエアコン、ハエの羽音、べとつく靴底。

そしてその全てが前触れもなく音が止んだ。肘をつくマゼラン、舌打ちが聞こえた。

「お前、どこでこれを手に入れた?いや、言わんでいい。……それよりも、さっさと出ていけ」

マゼランはパソコンを落とし、ひどく重い声で言う。普段の皮肉も、芝居がかった調子も消えている。差し出されたメモリー端子は冷たく、まるで金属ではなく氷を握ったようだった。

だが、私は違う。熱い血が流れ始めた。消えかけていたエルの手がかりをようやく掴んだ。外へと走る。ポケットの中で、それをしっかりと握りしめて。壁にぶつかりながら外へ出た。

息もつかずにエルの車に乗る。シートに深く沈み込み、メモリーを見つめた。小さな金属片が、今は希望だ。

エルが消去した記録。でも――破壊はしなかった。それはつまり、私に見て欲しくもある。震える指先で端末に接続する。

軽い電子音で少し驚いた。

ディスプレイに二つのフォルダ。動画と写真。息が詰まる。この中に、エルの答えがある。彼女が私から隠したものが。

震える指で動画を選択した。

読み込んで映し出されたのは白い部屋。椅子に縛られた上半身裸の男がもがいている。部屋の壁も床も、病院のように無機質だ。息が止まる。意味不明な嫌な予感が背筋を走った。

次の瞬間、ブザー音。防護服を着た人間が現れ、縛られた男に注射を打つ。男が叫んだ。何と言っているかわからない。

防護服が画面から出て男が取り残される。

数秒、画面が暗転する。そして映し出されたのは俯いている男。明らかに様子がおかしい。肌が青白く、というよりも灰色で、血管だけが赤く浮いている。

それよりもおかしいのは、異常に膨らんだ頭部。頭頂部だけが横に膨らんでいる。昔見た映画の宇宙人のようだ。

息を呑む。氷水を被ったように、身体が冷える。握っている端末の感覚さえ曖昧になる。

そして突如、画面の男は喉を詰まらた。嘔吐のような咳き込み。何度も何度も身体から何かを出そうとしているよう。

何度目かのせき込みで吐血。赤い液体が床に散り、壁に飛ぶ。並大抵の出血量じゃない。マグカップ一杯分はある。

吐血は嘔吐に変わり、更に多くの赤黒い血を吐きだした。

見ているだけで血を吐き出しそうだ。一瞬だけ目を背けて、強く瞑る。

次に見たときは痙攣、痙攣、痙攣――。身体を必死で痙攣させる。

そして、沈黙。

息を吐く。シートに身体を預け、筋肉が緊張から解かれると同時に腹痛。……終わった?

いや、違う。

男の身体が跳ねた。白目を剥き、毛穴から血が吹き出す。皮膚の下で何かが動いている。肋骨が奇妙に開き、肩の骨が裏返る。拘束が音を立てて裂けた。

叫びそうになったが、喉から声が出なかった。男の体が膨張していく。風船のように張った腹部。骨が皮膚を突き破り、肉片が床に散る。

そして――破裂。

生まれた。それは人とトカゲを合わせたような四足歩行の生き物。皮膚のない筋肉、粘膜のように赤い体。腕は異様に長く、棘のような骨が突き出ている。顔には人間の面影がわずかに残るが、口は耳まで裂け、銃弾のような歯が不規則に並んでいる。目は赤黒く濁り、何も見えていないような目。

喉が焼けるように熱い。胃酸がこみ上げ、金属の味が広がった。

“それ”は狂ったように叫んだ。耳を裂くノイズ。そして、カメラに気が付くと一歩踏み出し、次には飛んだ。

画面を殴る。カメラの前にあるガラスはその一撃でひびが入り、肉のようなものが潰れた。だが、“それ”は構わずに殴り続けてる。一撃ごとに、モニターの画面が震える。

突如、画面が暗転。《PROJECT—StarMan No,501—》の文字。

静寂。

限界だった。車のドアを開け、転がり出て、何もかも吐いた。胃液が焼けるように喉を焦がし、鼻に酸っぱい匂いが突き抜ける。

視界が滲む。

エル、お前、何をしてるんだ?どうしてこれを残した?どうして私に見せた?願わくば、B級映画のワンシーンであれば。

遠くでジェット機の音がした。現実感が遠のく。震える指が、まだ端末を離せない。

だが、見なければならない。これを理解しなければエルとは会えない。

車のドアに寄りかかり、意を決して次の動画フォルダを開いた。

映ったのはカナルタの衛星写真、その南西部へとズームされる。映ったのは名だけをなぜか知っていた田舎町ウィットロン。

次にそのメインストリートの映像。――舗装は古く、ひび割れた歩道には雑草が伸び、けれど人々は穏やかに行き交っていた。

カメラがゆっくりとズームアウトし、アイスクリーム販売のバンが映る。映像が切り替わり、バンに群がる家族連れ。ユニホームのまま駆け寄る学生。カップルが笑い、子供がはしゃぐ。

――なのに。

最初の変化は唐突だった。アイスを食べていた青年が膝をつき、喉を掴んで崩れた。笑いながら隣の青年がそれを吐き出させようとした。

次に周囲にいた人間が駆け寄る――そして、同じように痙攣して倒れる。誰かの悲鳴。だが、それもすぐに別の叫びに飲み込まれた。

そして、倒れた人々は一斉に血を吐いた。歩道は赤く染まり、通る車も止まって、駆け寄った。

次は……わかっていた。

一斉に倒れた人々の身体が膨張する。皮膚が耐えきれず裂け、赤黒い肉と骨がのぞく。辺りはショックで失神する人、恐怖で逃げ出す人、それでも駆け寄る人。

そして、次も一斉に起こった。

“それ”が生まれた。粘膜のような体表、長すぎる腕、骨の棘、開きすぎた顎。映像越しに、腐肉の匂いが鼻先にこびりつく錯覚。

“それ”の叫び。ガラスを震わせるような高周波の咆哮。

だが、次は少し違った。“それ”は何も攻撃しない。ただ、叫び続けるだけ。

――周囲の人々が、頭を抱えて苦しんだ。恋人が恋人の首を絞め、老人を蹴り、母親が子供に手をかける。そして、一部は“それ”の肉に食いついた。

意味が分からない。全員が恐怖に支配され、理性をかなぐり捨てて互いに襲いかかっているのか。

ただ、わかることは地獄。それ以外に言葉はなかった。

胃の奥がうねった。もう吐くものはないはずなのに、胃酸だけが逆流し、喉の奥を焼いた。

映像が一気に飛んで夜になった。炎に照らされた街。その中を泣きながら徘徊する“それ”。そしてカメラが上を向く。

――上空に見えるのは鳥の列ではなく、戦闘機。それから投下される白い粒。

ミサイル――白い閃光、爆風、暗転。黒画面に日付だけが表示された。

思い出した。その街の名前はニュースで聞いた、それもバイオテロのニュース。

その現場の映像だ。明らかにNOVAではない。どうしてエルが、こんなものを持っている。何と関わってしまったんだ――。

頭が痛くなり、身体の節々が痛む。だが見なければならない。呼吸が荒いまま、次のフォルダを開いた。

次は写真。見た瞬間、脳が止まった。

そこに映っていたのは、私だった。表情筋の張り、体毛の一本、筋肉や脂肪の乗り方まで――異常な精度。合成だ。そう分かっているのに、血の気が引いていく。

なぜ、どうして。

次の画像で背筋が凍る。私の顔の面影を残した“それ”に変わる途中の画像。赤黒い皮膚、歯列の崩れ、膨張直前の肉体と破裂して“それ”が産まれた。

“それ”となっても髪や身体の一部は私の面影を残していた。まるで――私が、変異する未来の映像のように。

呼吸が止まった。

思わず身体をまさぐり、元の身体か確認する。背骨を氷柱でなぞられたような悪寒が走る。汗がべったりとシャツに貼り付き、吐き気で視界がにじむ。

何だこれ。誰が……?作った?

次の画像は見知った顔が映る。シルヴィアだ。同様の合成写真と“それ”へと変貌した姿。それにはシルヴィアの痕跡がしっかりと残っていた。

さらに仲間たち――レイ、ヤンヤン、全員。

誰だ、誰がこんなものを作った?どうしてここまで……?

視界が赤く染まる。端末を握る指に力が入りすぎて、パキ、と嫌な音がした。

だが次の写真で、その怒りは凍りついた。

エルの画像。銃を持ち、私の面影を残す“それ”を踏みにじり、ニッコリと笑っている。

氷水をかけられたように全身から汗が引いた。端末が手を離れ、アスファルトに落ちる。

もちろん合成だ。頭では理解している。けれど、背中に感じた“踏まれる感覚”が消えない。 感覚を振り払う。怒りが込み上げる。

エルの似姿でこんなものを作ったことが許せなかった。

だが、確実に分かったことがある。

これは……“脅迫”だ。正体は分からない。ウイルスの研究。精密な観察。バイオテロの実行力と情報収集力。資金、情報網、そして容赦のなさ。

――イカれたやつだ。エルは、これを見せつけられた。私でもシルヴィアでもなく――なぜ、エルが。なぜエル?

頭痛が波のように押し寄せ、胃がうずく。思考が渦巻く。

……どうする?NOVA――ダリア。バイオテロ関連――あの女なら何か知っているかもしれない。それならシルヴィアに連絡を取るしかない。

手のひらのメモリーを見つめる。“これ”を知ってしまった以上、もう引き返せない。

「……何に巻き込まれたんだよ。エル」

メモリーを強く握りしめる。手のひらに爪が食い込み、血がにじんだ。

悔しい。エルは、こんなものに。そして、私に何も言わずに。

「……絶対、助けるからな…エル」

メモリーをポケットに入れて、エンジンをかけた。すると着信音が車内に響く。

――Silviaの白い文字が点灯していた。

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