3-5
「あれだ」
一ブロック先に目的の倉庫。白い雨の中、ぼんやりとした影が見えた。
路肩に並んだ放置車両の中に車を止める。
「うわ、結構冷えてきたねー」
合羽姿のエルが外に出るなりに言う。潮で冷えた空気が、隙間に滑り込み、骨の芯を冷やすようだった。
しばらく歩くと門が見えた。湾岸倉庫らしく、小屋に警備員が座っている。だがまだ何もわからない。それらしい鉄条網には電流が流れ、赤外線センサーも備えていることだろう。大雨の今日は役に立たないだろうが。
「どうしようか?穴開ける?飛び越える?」
エルはトランクから出した特大ワイヤーカッターをカチカチと鳴らせた。
「そうだな…。ちょっと回っていいか?」
頷くエルと倉庫の隣のスクラップ場へ歩く。腐食したトタンの壁をめくり、中に入ると錆びた車が積み上げられていた。
スクラップ置き場は無人、というか長らく使われてないらしく、浮浪者の生活跡が見える。
フェンス越しに倉庫の側面が見えた。そこにも誰もいない。倉庫のカメラもそこまでは届かない。本当にNOVAの倉庫なのかさえ怪しく思えた。
「ねー。あそこ穴開いてない?」
エルが指さす先、フェンスに丸い穴が開いていた。ワイヤーカッターで切ったような穴。切り口は錆びておらず、つい最近着られたもの。
「マゼランにガセ掴まされてないよな」
罠、と思ったが今はとにかく中を見たかった。
「じゃ、私から行く」
ホルスターから銃を出し、穴をくぐって辺りを見渡す。一気に倉庫の壁へと走る。背を壁に付けて耳を澄ます。反応なし。
片手をあげて合図を出す。すると雨の中、エルが銃を抱えて走って来る。その間も反応なし。
「なんだか拍子抜けだね」
隣に来ると息一つ上げずに小声でエルがウインクした。全くその通りだ。
次は侵入。辺りのドアは開かない。見上げると小さな小窓。
エルの肩に乗って中を覗くと見えたのはコンテナ群と手前の部屋。警備の姿は見えない。空き巣みたいだが、ビニールテープを張ってガラスを割る。
「気を付けてね」
飛び降りる直前にそんなエルの声が聞こえた。
無音。中は無人のように見える。だが、何かいる。どこからか響く、大勢ではないが数人。
音を立てずにドアを開けてエルとの数秒ぶりの再開。
「どこかにいる。まだバレてないみたいだが」
オッケー、とばかりに立てた親指が帰ってきた。
「ミアは部屋を、私はコンテナを見るね」
親指を立てて返すと、エルは倉庫の奥へ駆けて行った。私も部屋に入り無機質にいくつも並ぶデスクとパソコンから情報を探す。
「ボディウォッシュ」、「端末用ケーブル」、「バイク用カバー」、「キャットフード」、「イワシの缶詰」。
ただの帳簿だ。とは言え、ずさんな管理。それにデスクは埃が積もる。だが“妙なコンテナ”に関するものは……なかなかみつからない。
何の手がかりすら掴めないまま、時間だけが過ぎる。
「だめだね、ただの物流倉庫みたい。コンテナは空か日用品だよ」
ロッカーの中を見ている最中にエルが帳簿をめくりながら戻ってきた。頭を搔いて煩わしそうにしながら。
「でもさ、どっかにいるよね。見られてる感じはしないけどさ」
「こっちも。どこかにいそうでいない、気味悪い」
最後のロッカーを開けると埃の積もった作業着とネズミのミイラ。
そこを閉める寸前。
風が僅かに吹いた。作業着をかき分けて、その奥をゆっくりと押す。動いた。僅かに軋む音と風。
「ビンゴ」
そしてその奥には狭い階段。湿っぽく、かび臭い風が通った。
「やっと面白くなってきたね」
エルが私を押しのけてロッカーに入ろうとしたので、その前に腕を伸ばした。
「エルはデカいから援護できない」
背中に圧を感じながらロッカーの中に入って階段を降りる。
暗闇の中。前からは風、後ろからは壁をする音が聞こえる。私でも身を斜めにしないと進めないのだから、エルを前にしなくてよかった。
数十メートルを進んでようやく僅かな明かりが見え、階段は終わる。光が漏れる狭い扉を開ける。
見えたのは通路だ。それも突き当りのロッカー。この階段はここでもロッカーに繋がっていた。
通路は倉庫の乾きとは比べ物にならない不快感だ。湿ったコンクリート、カビの生えた壁、血の這う跡。
その先から聞こえる僅かな叫びと打撃音。一瞬、あの日の地下室を思い出した。
「準備、だね」
エルがショットガン出した。
「うん、でも敵はまだわからない。慎重にな」
言うなり足音を殺して叫びの元へと歩く。電球の音、ゴキブリの這う音さえ聞こえた。
段々と近づく叫び声。
女だ。聞き覚えのある声だが、それが思い出せない。
通路の途中、ドアが見えた。
ゆっくりと押し開けると“匂い”がした。人間の匂い。それも血と排泄物、それと肉が腐った最低の匂い。
銃を構えなおして中に入と見えたのは鉄格子。そこには牢屋があった。
誰もいないが、誰かがいた形跡。鉄格子のなかの壁には血でひっかかれた跡。脇の排水溝は何かで詰まり、黒い水たまりができている。
「……ビンゴだな」
「……そう、みたいね」
突然、今どこに足を突っ込んでるのか分からなくなる。何をしてるんだ。オレンジフッドの挙動を追ってたはずなのに。
逃げるか?もう私達の手に負えない範囲だ。
レイとヤンヤンの顔が浮かび、頭を振ってその考えを捨てる。
今はただ叫びの元へいこう。
通路を少し進むとドアの外れた部屋が見える。覗くと真っ白なモニター群。
私は部屋の外で見張り、エルが中に入る。
覗くと、エルに背を向けて座る軍服。その背中に書かれている文字が信じられなかった。
NOVAの軍人だ。
「あの真面目ちゃん、まだ吐いてないみたいだ」
軍人は背中をむけたままモニターを指さした。そこには血まみれのワイシャツで椅子に座らされている人間。
「もうボコボコだぜ、見ろよ」
ズームすると息を呑んだ。
見覚えのある顔どころか、昨日見た顔。それが殴られた。何度も殴られたようで痣が数か所ある。
汚いオレンジフッドの家にいた女――ダリア。
状況がわからない。NOVAがなぜ、ダリアを拷問している。それも上官のはずだ。
エルに戻るように合図する前に、軍人が急に振り返った。その驚いた顔にショットガンの拳尻がめり込む。
軍人が椅子ごと倒れ、歯が一本転がった。
「……ごめん、やっちゃった」
その言葉に笑うしかなかった。ここまでやったなら、もう仕方ない。
「行こう」
シルヴィアの友だ。それに何か知っているかもしれないし、敵ならそれまで。
ダリアがいる部屋の前まで来ると血の匂いで鼻孔が痺れる。汗で濡れた拳銃を握りなおす。
「正面の二人は私、ミアは奥の一人ね」
頷く。するとエルはショットガンを構えて、ポケットの弾の残弾を確認する。
エルが一瞬だけ私に微笑み、ドアに真顔で向き合う。
「行くよ」
その声の一拍後、ドアが蹴破られた。暗い室内に四人――軍人三人、ダリア。
エルが部屋に一歩踏み込みダリアに近い一人を撃つ。その背中を抜けて、壁際の一人を撃った。
残った一人がエルに弾を放つが、弾は肩をかすめた。最後の軍人に二人で同時に銃を放ち、部屋は沈黙した。
「エルヴィラ?それとミア?」
ダリアはひどい状態だ。目には青あざ、口の端は切れて血が流れている。シャツには血が飛び散り、首には縄の跡。
エルが軍人の一人の腰に繋がったカギを引きちぎり、私に投げる。ダリアの手首は切れており、手錠は血まみれだ。
「話は後だ。他に敵は居るか?」
ダリアは首を横に振ると、食いしばって立ち上がる。そして私たちが来た道の真反対のドアによろよろと歩き出す。
問いただす間もなく、ダリアはドアを開けて事務室のような部屋のデスクに倒れ込む。そして手を伸ばしてメモリーを取った。
「忘れ…もの…なんです」
傷だらけの顔で痛ましく笑うとそのままデスクに突っ伏した。
エルが呆れえた顔で笑い、私にショットガンを渡してダリアの元へ。そして彼女の細い身体を軽々と持ち上げる。
「…助かりましたよ」
ダリアの声を無視してエルの前を走る。今は安全な場所への移動が先決だ。
ロッカーを開けて、階段を上る。ロッカーからそっと顔を出す。事務所には誰もいない。
倉庫から出る。相変わらず白い雨が降り続ける曇天。フェンスの穴に直行。エルが少しだけフェンスにダリアをひっかける。ずぶ濡れ車へ乗り込むとアクセルを踏み切って走る。
湾岸地帯を出るその途中。
「…ありがとうございます。ですが二人とも、なぜあそこに?」
エルに簡易な治療を受けながら、微笑みを浮かべたダリアが言った。エルの包帯を巻く手が止まる。
「その前に聞かせて。NOVAがなんであんなとこにいるの?なぜ拷問を受けてたの?あの牢屋は何?」
興奮したエルが立て続きに問い詰める。ダリアの顔は微笑みから一転、段々と顔が暗く沈んだ。
「これはNOVAの問題です。あなた達は関係ありませんので、お話しする事はできません」
車を脇に止める。こればかりは私も言いたいことがある。
「ダリア、私たちはNOVAの問題なんてどうでもいい。だがな、前にも言ったと思うが友達がオレンジフッドに嫌がらせを受けてる」
エルが心配そうな目を私に向ける。安心させるためにしっかりとエルに目を合わせた。
「そしてアイツが、嫌がらせを始める時。ちょうどあの倉庫に通っていた。それに金もたっぷりな。私たちはその理由が知りたいだけだ」
ダリアは顔を伏せる。右手で顔を覆い、大きな溜息を吐いた。僅かに見える口は痛ましく食いしばっていた。
エルがその丸まった背中を手でさする。
「では私も聞きたいことがあります……その友達ですが、カシャ系ですか?」
そう聞いたダリアの視線は本物だった。時間延ばしでも話題の転換でもない。確かめなければならないような。
「あぁ、カシャ系だ。でも生まれも育ちもゼニス・スパイアだ」
「では…その方はターゲットではありません。今回のターゲットは全員カシャ共和国生まれです」
エルの目が見開く。一拍遅れて気が付いた。レイではないなカシャ系の人間が、レイの隣に。
「待って、いるよ。ヤンヤン――カシャ系の少女。そのレイのところに住んで」
「では今すぐ、その少女を保護しろ。危険だ」
その声でエルが電話をかけ始めるが、電波が悪いのかドアを荒っぽく開けて外に出る。レイのところに電話をかけている。
ダリアも地下から持ち帰ったメモリーを端末に差し込んで何かを調べている。
「どういう意味だ、ダリア。なぜヤンヤンが狙われる?話せ」
しかしそれを無視して何かを調べる。私がその胸倉を掴んだ瞬間、ダリアは私に端末を見せつけた。
映し出されたのは写真群。
顔。全身。複数アングル。無理に作られた笑顔と共に、体に刻まれた痕と、首輪と、両手に持った情報プレート。
身長、体重、年齢、状態、希望価格——。ペットショップのように。
そしてその中に、ヤンヤンがいた。腫れた目。青黒いアザ。古傷の上にまた重なったような裂傷。笑顔なのに、目は死んでいた。
プレートには“売約済”、そして――三年前の日付で《脱走》。最近のコメントで《捕獲予定》と追記されている。
そして品番が二二五九。
線が繋がった。脅迫状の意味。オレンジフッドが嫌がらせ。そして本当の狙いの“ヤンヤン”。
NOVAのやり方は汚いどころではない。脅迫状で脅していたのは、レイでも店でもなくヤンヤンだ。彼女にだけわかるメッセージを入れて脅す。不法滞在だから警察にも行けない。ましてやレイとヤンヤンの関係を知らない者なら、店が困窮すれば彼女が追い出されるとでも思ったのだろう。
だがレイは見捨てない。そうなると……ヤンヤンは自分から出ていく。これ以上、レイに迷惑をかけないように。結果的に思惑通りになる。
「もうわかったでしょう?NOVAは人間を売買してるというこ」
言葉を待てずにその胸倉を掴んだ。
「ふざけるなよ…!私の友達を売っておいて何が、“わかったでしょう?”だ。この腐れ軍人め」
ダリアの頭に銃口を突きつけるが身じろぎ一つしない。ただ灰色の目は私の目を見つめていた。もう説明はいらないとばかりに。
確かに、もうわかっていた。ダリアは違う。人間は時と共に良くも悪くも変わる。しかし、シルヴィアから認められる人間はその芯が変わらない。ダリアなら己の正義感。
銃口を下げて、前を向き、頭を掻きむしる。焦るな、今はヤンヤンの保護が先決だ。
その時、びしょ濡れのエルが車のドアを開けた。重たい口と共に。
「……ヤンヤンがいないって。部屋に置手紙があったって」
放たれる一つ一つの言葉が聞こえたが、すぐに理解できなかった。遅かった。何もかもが。ヤツらの思惑通りに事は運んでいる。既にヤンヤンは捕まっているだろう。
ステアリングを握り、ギアを入れる。だが、そこで止まった。
どこに行って、どうすればいいのか分からない。
ヤンヤンの三種類の顔が浮かぶ。いつもの笑顔、昨日の沈んだ顔、そしてメモリーの歪んだ笑顔。
「湾岸西駅。急げ、一七時十五分にNOVA特別車両が出発する」
ダリアが淡々と告げる。その言葉と共にアクセルを踏み込んだ。
「エル、シルヴィアに連絡してくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます