3-6

「ミア!もっとスピード出せないの!?」

助手席のエルがショットガンを抱えて叫ぶ。声に焦りと苛立ちが混じる。

「ずっとベタ踏みで、油温も振り切ってる!いつブローしてもおかしくない」

車線を塞ぐトラックとバンの間をすり抜ける。蛇行しながら駅を目指す。レッドゾーンのさらに奥を振り切っていた。

ブロアーの吸気音と、焼きつくような異音が交互に鳴り続ける。

あと十五分。バックシートのダリアは前を見据えたまま、両手に銃を握っていた。

「ねぇ、何で、NOVAは人身売買なんてしてるの?正規の軍でしょ?」

「NOVAも巨大で腐ったオレンジもいる。カシャ共和国派遣組はその温床ってところよ、あそこは戦災孤児が多いから」

ダリアが苦そうに話して、口元の血を袖で拭う。

ヤンヤンの過去は誰も知らない、親代わりのレイでさえも。真実はどうでもいい。だが列車が、出てしまえば終わりだ。

タイムリミットは刻一刻と近づいていた。

「……っ、ミア!!」

エルが突然、前方を指さす。視界の先――巨大な貨物列車が、黒煙を吐いて車の信仰とは逆に発車していた。

「列車、もう出発してるッ!!」

考えるより先に、手が動いていた。

「――捕まってろ!!」

ステアリングを切り込み、ハンドブレーキを引く。タイヤが焦げて白煙をあげると共に、車体が真横に滑る。

百八十度の急旋回――そのままアクセル全開。

「ッぐっ……!」

ダリアが後部座席に投げ出され、エルの額が助手席のガラスを叩いた。列車が走るのはフェンスの先。踏み込んだままフェンスを突き破り、車体は線路へ飛ばした。

「……予定より早い。倉庫の事がバレたね。連中飛ばすよ」

ダリアが再び血を拭きなおして言った。エルが額をさすりながら銃を握りなおす。

「ああ……上等だ。地の果てまで、追ってやる」

ゼニス・スパイアの街を抜け、車は砂漠へ。日も沈んで、ついに列車の最後尾が迫ってきた。貨物の金属ボディが月の光を反射する。

あと少し――まだ、気づかれていない。

アクセルを踏み抜く。エンジンが悲鳴をあげ、Gが背中にのしかかる。

「先頭まで飛ばす。飛び移れ!」

「OK!安定させてよね!」

踏み込むとけたたましい吸気音と排気音が混じる。みるみる貨車に追いついて先頭車両まであと三両まで迫った。

列車の左側に車体を寄せる。エルが助手席のドアを開けて、車体から身を乗り出す。

――その瞬間。車両の窓から、銃声が鳴り響く。

「下がれ!」

エルはドアを盾にして身を守り、車体を列車から離す。だが、ボンネットから白煙。

――エンジンがやられた。踏み込んでも上がらずにスピードが落ちる。

「ミア、寄せて。もう行く!」

車体をする寸前まで寄せる。開いたドアが僅かにエルは勢いよく飛び乗った。連結部に転がってそのまま車両の中へ姿を消す。

……見届けた。その直後。

正面に突き上げられる衝撃――車体が列車に接触。助手席ドアが吹き飛び、車体が軋む。

エンジンが止まった最後尾しかない。

「次は私」

ダリアが助手席に滑り込む。灰色の目がミラーに反射した。視界の端に、最後尾が迫る。

「つけろ!」

その声と共にダリアは車体にしがみ付いて、今にも飛ぼうとする。

もう運転手の意味はない。私はひびだらけのフロントガラスを割り、ボンネットに転がり出る。焼けた鋼が、靴底を焦がす。

「……エルだけに行かせるかよ」

一歩、二歩、助走。バンパーを蹴る――跳ぶ。最後尾の貨車の屋根を掴み、腕で身体を引き寄せる。

そのまま上へ、登る。背後では、車のライトがひときわ光り、爆音と共に――消えた。そこにダリアの姿はない。

ダリアも乗った。だが、屋根の下。

列車に立つ。風が顔を切る。列車の熱が肌を焼く。

「…みんな…単独だ、な」

月光が微かに差し込む、屋根。ざらついた金属と油の混じった滑りやすい素材。呼吸を整える暇もない。

踏み外せば、次の瞬間には地面に叩きつけられるだろう。拳銃を抜き屋根を駆ける。目指すは先頭車両。

――下から断続的な銃声。ダリアが戦っている。

その瞬間、爆音と共に乗っている貨物車両が切り離され、遠ざかっていく。

「ダリア!もう切り離しやがった」

息も整えずに、前方車両へと飛んだ。切り離される前に進まないと置いて行かれる。

一両、また一両と超えて――ようやく三両目の屋根に足をかけたとき、視界の端で何かが動いた。

反射的に天窓に目をやる。エルだ。床に押し倒され、身体を押さえつけられている。

そのすぐ傍には、銃を突きつけられ怯えるヤンヤン。周囲には武装した軍人が数人。

一人が、エルの腹を踏みつけるように蹴った。身体が弧を描いて浮き、仰向けに転がる。

「殺す……」

視界が赤く染まる。背筋が総毛立つ。何か……身体の底で切れた。冷たく焼けるような怒りが沸き起こる。

――エルを……踏みつけた。

柔らかい身体に、笑って、汚いブーツで。

照準を兵士に向ける。頭に一発撃てばいい。一発で、こいつらを地獄に送れる。

――その時。目が合った。エルと。血のにじむ唇が、かすかに動いた。

「ま…え…に」

痛みに顔を歪めながらも、彼女は明確に伝えてきた。

撃つな、と。ここじゃない、今じゃない。“今欲しいのは、先頭車両にある”。

「……いいぜ、エル」

照準を外し、屋根を蹴って前に進む。

先頭車両へ――連結部に降りて扉を、慎重に開ける。操縦士が一人。背を向けてレバーを握っている。

一気に詰め寄る。そのまま首を掴み、顔面を操作盤に叩きつけた。

機械音と共に操縦士が崩れ落ちる。

これで、止められる。あとは緊急ブレーキを――その瞬間。

ぞわり、と背後に走る感覚。あの視線。動く前に、身体が後ろに引きずられる。

「……ッ!?」

そのまま床に叩きつけられる。すぐさま跳ね起きた視界に、異形の影。

黒光りするボディアーマー、ガスマスク、暗視ゴーグル、ヘルメット。

大型の機関銃を構え、無言でこちらを狙う。撃つ――床を滑って避ける。頭、心臓、股間――全てが急所。その精密さと、殺意の濃度。

腐っててもNOVA。チンピラや徴兵レベルじゃない。

連結部に逃げようとしたがドアノブがねじ切れてている。その横の休憩室に飛び込みドアを閉める。敵は一歩も動かずに、こちらを待っている。

操作盤を盾に陣取っている。気やすく撃つと操作盤まで壊す。そして撃てば、その十倍の弾薬で反撃される。

そもそも四十五口径の拳銃の火力じゃアーマーは抜けない。

じゃあ――どうする?屋根から奇襲?歩く音でバレる。正面突破?無謀。連結部から侵入?ドアはもう開かない。

めい一杯、息を吸い込み、その倍を吐き出す。静かに、策を練る。

あのアーマー人間をどうにかするには――何か、決定的な一手が必要だ。だが、何も浮かばない。手榴弾を持ってきておけば良かった。エルみたいにショットガンを持っておけば。どうしようもない後悔ばかりが積みあがる。

地面に目を落とす。そこには四角い銀の淵と取っ手。

ハッチだ。これなら下から行ける。ハッチを開けて列車の底へと身を滑り込ませる。

「こんなのはもう、こりごりだ」

砂漠の冷たさが全身を貫く。更に砂埃と鉄粉、焦げた空気。耳元をかすめる砂と小石と風圧に、思わず歯を食いしばる。

列車の振動が直に骨と内臓に伝わる。一歩でも手を滑らせれば、地面に身体を打ち砕かれる――緊張を握力に変えて前に這う。

その場所に着くと、アーマー人間の影が透けて見える気がした。

ここがブーツの裏。立ったまま動かない。待ち伏せの姿勢。

「じゃあな、デカブツ」

下から撃ち上げる。狙うは――股下、ブーツの裏、股下。どんな装甲も、そこまでは覆えない。弾を撃ちきり一瞬の空白。

失敗したら、終わりだ。

だが次の瞬間――重たいものが崩れる音。赤黒い液体が、穴から垂れ落ちる。身体の力が抜けて少し滑った。

そばのハッチの取っ手を掴み、腹筋で跳ね起きるようにハッチから中に入った。

倒れたアーマー人間は微動だにしない。黒いアーマーの隙間から、内臓の混じった赤黒い液体が広がっていた。

「……もうそんな服着なくてもいい」

すぐに操縦席へ。見つけるなり赤い緊急停止ボタンを叩いた。だが。何も起こらない。

「……おい」

もう一度叩く。何度も。拳で操作盤を叩きつけると、ディスプレイに警告が走った。

《緊急操作エラー/システム障害》

車体がグラリと揺れた。――その瞬間、加速。

「止まるどころか……」

窓の外の景色が流れるように早くなる。振動も、金切り音も、どんどん激しさを増す。列車が……暴走している。

アーマー人間を撃った時に何か損傷したのだろう。

「何か……他に手は……」

そのとき、端末の別モニターに目が止まった。監視カメラのフィード。血を流しながら戦うダリア。

そして――エル。

まだ数人に抑えつけられ、殴られ、蹴られている。その表情は……私にしか分からない。折れそうで、でも折れていない、あの目。

傷つけた奴らを――この列車ごと、終わらせてやる。その時、画面の端に表示されたボタン群の一つが目に入る。

《室内鎮圧用催涙ガスシステム》

「……ああ、そうか。“管理”するための装置か」

エリア選択。三号車から五号車――そこだ。エルとヤンヤンとダリアがいたのは。

「……しっかり息止めてろよ、エル。吸い込んだら辛いぜ」

ボタンを押し込む。モニターには、白い煙が充満していく映像。

中で軍人たちが咳き込み、倒れて武器を手放す。エルが目を細めて壁に背を押しつけ、ヤンヤンを抱きしめる。

ガスマスクを四つを手に取り、操作室の窓を割る。そこから、再び屋根へと――跳ぶ。

暴走列車の屋根。風圧は増し、空気が唸るように耳を叩く。

三号車まで急ぎ、銃床で天窓を突き破ると、ガスに包まれた薄暗い車内が目に飛び込む。

伏せたまま、互いにしがみつくように身を寄せていたのは――エルとヤンヤン。

「エル!!」

即座に跳び降り、這いつくばって銃を構えようとしていた軍人の顔を蹴る。あとの数人も蹴ると静かになった。ガスの中で、二人にガスマスクを投げ渡す。

「行くぞ。列車を――切り離す」

「ちょっと待って、ミア?止めるんじゃ…」

「もう、止まらないんだ」

二人に先行して後方車両へと走る。途中、倒れた軍人の手から銃を奪い、ダリアの元へ。途中の車内では軍人が悶えていた。それを踏みつけて先に進む。

五号車に入るとガスの中に沈んでいたダリアにもマスクを装着。だが気絶していた。

「連結を切るぞ!」

列車の連結部――鋼鉄の塊。ライフルをフルバーストで撃ち込むが、ただの火花と擦過痕だけが残る。

「弾切れ。エル、ショットガンを!」

「ミア、下がって!」

エルの声。ハンマーを背中まで振りかざしている。

即座に横へ飛びのくと同時に、金属音が響き、火花が闇を照らした。一瞬、連結部が“たわむ”。

「前から来てるっす!」

ヤンヤンの警告と同時に、二人の軍人が四号車のドアを蹴破った。

アサルトライフルをとにかく撃った。だが二人はカバーを取り、腕だけを出して闇雲に射撃する。

「もういっちょ!」

その声に一拍遅れて砕けた。連結部の留め金が外れ、金属が崩れ落ちる。ぐらりと列車が揺れ――車両が分断された。

四号車が遠ざかり、銃撃の音も消える。

「やった…よ」

その場に崩れ落ちるエル。それとまだ心配そうにするヤンヤン。

「大丈夫。前はブレーキ壊れてる。たぶん……あのままカーブで突っ切るか、どこかの海にでもダイブする」

ヤンヤンもエルと同じように崩れ落ちる。

車両の速度が徐々に落ちてくる。遠くでサイレンの音。

「……あの音が、こんなに嬉しいとはな」

笑い、壁にもたれて腰を落とした。……だが。何かが引っかかる。

「……待てよ」

考えた瞬間、ヤンヤンが叫ぶ。

「ヤバいっす!このままじゃ市警に捕まるっすよ!!」

「大丈夫よ、シルヴィアが何とかしてくれるって。ね、ミア?」

「いや、マズい。人身売買車両にマフィアだ。シルヴィアまで嫌疑がかけられる。それにヤンヤンは確実に強制送還だ」

青ざめるヤンヤンを他所に電話をかける。相手はもちろんシルヴィア。

どうにか市警に話を通さなければならない。

『ミア?随分と連絡がなかったけど決着は着いたかしら?』

「シルヴィア、市警に手引きしてくれ。多分捕まる。私も、エルもヤンヤンも」

電話口からは小さな笑い声。流石のシルヴィアでも少し怒りが湧く。

『だったらゲッタウェイドライバーがそろそろ着くと思うわ。あの人ずっと私に場所を聞いてたからね』

窓を覗くと、月明かりの砂漠を照らすように、何かが来ていた。

「ん?……パトカーより前に何か来てないか?」

エルとヤンヤンも身を乗り出す。

白いバン。それも古い。黄色い光を照らしながら、パトカーよりも確実に早く近づいてきた。

目を細める。運転席に見えたのは。

「レイさん!レイさんだ!!」

ヤンヤンが全力で手を振り、レイもそれに気づいて窓から手を振った。バンには麗軒飯店と書かれている。

「多分、レイがシルヴィアに聞いたんだろうな」

……その瞬間、車体がボフッと軽く爆ぜて、跳ねた。

「あれってレイが昔、配達してた頃のバンでしょ?大丈夫かな…」

エルが苦笑いするも、ヤンヤンはまだ手を振っていた。

そのとき、ダリアが目を覚ました。

「ミア……? エルヴィラ? あと、誰?」

「今から離脱するから。あとは“NOVAの権威”で何とかしてくれ」

バンが貨車と並走する。スライドドアが勢いよく開いた。

「飛ぶぞ」

三人で同時に車へ跳び乗る。最後に窓から見えたのは、ダリアが呆然としながら車内に立ち尽くす姿だった。

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