第3話 煙の中の孤立
爆撃の音が止んだ時、世界から音が消えた。
瓦礫の街は灰と煙に覆われ、空は鉛のように重く暗く沈んでいる。
私は耳鳴りの中で、息を吸い込んだ。硝煙と埃の味が喉に張り付く。
「……ハルトマン!」
返事はない。
無線機はひしゃげ、無数の瓦礫と金属片と共に床に散らばっている。
通信兵は瓦礫の下にいた。
顔は煤と血に覆われ、眼だけがかろうじて開いていた。
「少尉……繋がりません……もう、無理です」
彼の声はかすれていた。
私は咄嗟に無線機の受信部を拾い上げ、スイッチを入れる。
雑音だけが鳴っている。
支援は来ない。
ここで孤立したのだ。
外では、まだ止まる事を知らない銃声が散発的に続いていた。
シュナイダーが階段の陰で狙撃を続け、ヘルマンが弾を運ぶ。
フェルナーは壁際で震えながら、M24手榴弾を強く握り締めていた。
誰も口を開かない。口を開く暇も余裕もない。
息をする音と、弾薬のぶつかり合う真鍮の音だけが、この狭い部屋を満たしていた。
外の煙の向こうに、ぼんやりと黄色やオレンジに近い赤い炎が見える。
おそらく、数百メートル先の工場が燃えているのだろう。
さっきまで人がいた場所が、ただの瓦礫になっていく。
私は膝をつき、Kar98kのボルトを引いた。
金属の擦れる音が、やけに澄んで聞こえた。
弾倉には残り5発。腰のポーチに予備が2つ。
MP40はマガジン2つ、P08には1マガジンと薬室の1発。
それでどれだけ持つかは、誰にも分からない。
「少尉、奴らの足音が聞こえます」
シュナイダーの声がした。
窓の下から、ゆっくりとした靴音がいくつも響いてくる。
ロシア語の罵声が混じり、軍靴が鳴らす足音と金属がぶつかる音がした。
彼らも疲れている。だが、ゆっくりと確実に前進している。
「撃つな。……まだだ」
私はもう一度素早く息を殺した。
手のひらの汗が冷たく、銃床がいつもよりやけに滑る。
その時、不意に一発の弾が壁を貫いた。
フェルナーが悲鳴を上げて倒れた。
胸を押さえている。
私は駆け寄ろうとしたが、ヘルマンがそれを制した。
「行くな、少尉! まだ射線が通ってる!」
壁の影に伏せたまま、私は彼を見つめた。
フェルナーの瞳が揺れ、口が何かを言おうとしている。
だが、声にはならなかった。
指が力なく開き、手榴弾が床を転がった。
私は咄嗟にそれを掴み、
ピンが抜けていな事を確認して柄の底にキャップを戻した。
胸が焼けるように痛い。
「……フェルナー」
答えはなかった。
部屋の中に再び静寂が落ちた。
外では、また砲声が遠くに響く。
誰かが煙の向こうで何かを叫んでいる。
世界が再び動き出した。
私は視線を落とし、
真紅に染まる胸をあの手榴弾を力強く握り締めていた右手で押さえ付けた儘で
息絶えるフェルナーの死体を見た。
彼の制服の胸ポケットから、折りたたまれた紙片が覗いていた。
それをそっと取り出してみると、
そこには鉛筆で細部まで描かれた田舎の風景があった。
草原、丘、小さな家。
彼の故郷なのだろう。
「戦争が終わったら、俺はあそこに帰るんです」
昨日、彼がそう言っていたのを唐突に思い出した。
私は無言で絵を折りたたみ、優しくポケットに入れた。
「クラウス」
シュナイダーが小声で呼ぶ。
「どうした?」
「……外の連中に動きがあります。たぶん、迂回してきます」
私はうなずき、MP40を握り直した。
手が震えている。
それが恐怖からなのか、疲労からなのか、将又この寒さからなのか、
自分でも分からなかった。
外の風が冷たい。
だが、それ以上に、自分の体が冷えていた。
まるで血が、魂が少しずつ凍っていくような感覚だった。
「……生き残れると思うか?」
ふと、ヘルマンが呟いた。
誰も答えなかった。
瓦礫の影に煙が流れ、遠くで雷のような爆音が響いた。
それが砲撃なのか、建物の崩壊なのかも分からない。
ただひとつ確かなのは、
この地獄の終わりがいつなのかまだ、皆目検討すら付かないということだけだった。
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