第4話 灰燼の中で揺れる理性


 砲撃の余韻が、まだ耳の奥で響いている。

煙の中で敵の足音が混じり、瓦礫が崩れる音がした。

私は背中を壁に預け、呼吸を整えた。

指が震えている。

Kar98kのボルトを引くたび、金属音が静寂に刺さった。


「少尉、奴ら近い!」


ヘルマンが叫ぶと同時に、窓の影から影が跳ねた。

私は反射的に引き金を引く。

銃声が壁に反響し、煙の向こうで血煙が上がった。

倒れた影の向こうから、次の一団が雪崩れ込む。


「撃て、撃てッ!」


叫びながら、私は感情を置き去りにして引き金を引き続けた。

耳が焼けるように痛い。

銃身を抜けていく弾丸の金属臭と、焦げた油の匂いが混ざる。

もう敵の顔も見えない。

ただ、形を成したモノ全てを撃ち続けた。

壁の向こうで叫び声。

誰かが倒れ、鉄兜が床に転がる。

ヘルマンの姿が一瞬煙に消えた次の瞬間、

彼は血まみれの左腕を押さえて戻ってきた。


「腕は無事か!」


「無事だ、弾が掠めただけだ、まだ撃てる!」


彼は歯を食いしばりながら、MG34の残弾を確認した。

その顔には恐怖ではなく、狂気に近い何かが浮かんでいた。

弾が尽きた。

私は腰のウェストベルトからM24型柄付手榴弾を抜き、ピンを引いた。

体が勝手に動いている。

振りかぶって投げる瞬間、ふと“感覚”が切れた。

音が遠のき、周囲が白く霞む。

飛んでいく手榴弾の軌跡が、ゆっくりとした時間の中で光って見えた。

次の瞬間、世界が爆ぜた。

炎と破片が混ざり、空気が一瞬で消える。

視界の端で敵兵が吹き飛ぶのが見えた。

その光景を見て、私はなぜか笑いそうになった。


「……まだ生きてる。俺はまだ、生きてるぞ!」


喉の奥から、笑いとも嗚咽ともつかない声が漏れた。


「クラウス!」


シュナイダーが叫んだ。


「落ち着け!ああ畜生!もう弾が──」


その声を遮るように、外から再び銃声が走った。

壁が粉砕され、レンガ片が顔に当たる。

私は咄嗟に身を伏せ、ルガーP08を抜いた。

引き金を引くたび、トグルが起き上がって反動が腕に伝わる。

それが自分の体を“現実”に引き戻してくれるようだった。

敵の声が近い。

ロシア語の怒号が、喊声が階段の奥で反響している。


「もう限界だ、少尉!」


ヘルマンが言う。


「弾薬も援護もない! 後退しなきゃ全滅だ!」


私は迷った。

撤退は命令違反だ。

だが、命令を守って死ぬことに、何の意味がある?

瓦礫の上に落ちていたフェルナーの、

私のと同型のM35スチールヘルメットが目に入った。

彼のポケットの中には、あの絵が入っている。

草原と丘、帰るはずだった家。

私は拳を握りしめた。


「……全員、下がれ。北の廃屋まで後退する」


「命令は?」


シュナイダーの声に、私は短く答えた。


「命令?俺の独断だ!」


その瞬間、自分が何を言ったのか分からなかった。

だが、もう理屈はいらなかった。

この地獄で理性を守ることなど不可能だ。

ただ、生き残る。

それだけが、唯一の真実だった。

私たちは煙の中を走った。

砲撃の破片が雨のように降り、背後で建物が崩れ落ちる。

瓦礫の隙間をすり抜けながら、私は心のどこかで思っていた。


——狂っているのは、俺たちか。

それとも、この街の方か。

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