彼女についての報告書

沙知乃ユリ

彼女についての報告書


最初に訪ねたのは、対象者が通っていたという小学校だった。昔から住む近所の老婦人は、既に耳が遠くなっており、自己紹介だけで数分かかった。


「あの子はおとなしくて、本ばかり読んでたねぇ。いつも図書室に寄ってから帰っていたのよ。私が声をかけると、きちんと挨拶してくれる良い子だったわ。友達・・・・・・?あんまり見たことないかもねえ」

老婦人は、昔話をするときだけ急に声を張って、ついさっきのことのように語った。


だが、同級生だったという別の女性に尋ねると、全く違う答えが返ってきた。


「え、おとなしい読書家? いやいや、女子グループのリーダー格だったよ。学級委員もやって。明るい子だったって印象しかないな。あ、でも、周りはけっこう彼女の空気を読んで対応してたかも。いや、気にしないで」


 中学の担任の男性はこう回想する。


「成績は上のほう。前髪で隠してたけど、中学生にして既に美人だったな。あ、いや失礼。確か、バレー部で・・・・・・そうそう、人を支えるタイプで、当時浮いてた部長と部員を取り持ったりして」


 一方、バレー部の同級生は、ため息のあと『あいつ、そんな子だったかな』と呟いた。


「バレー部? いやいや、幽霊部員ですよ。一緒に練習したのなんか、数えるくらいで。部長が浮いてたのは、あいつが裏で糸引いてたって。いや、噂ですけどね。なんか、部長の彼氏についてトラブったあとだったとか、なんとか。もういいですか?」


高校時代のことを知る人は少なかった。隣家の住人は、顔写真を見るなり顔をしかめた。


「その子ねえ。いつも別の男と一緒だったわ。真面目そうな顔して、やることやってんのねえ。親御さんは見かけたことなかったし。とにかく、あんまり関わらない方が良いと思ったのよ」


 大学時代に同じサークルだった男は、目を細めながら語った。


「ああ。とにかく僕にとっての女神だったな。周りは色々言っていたけどね。困っていると、必ず助けてくれたな。優しい笑顔で。周りの評価?いや、ぼく、その、コミュ障なもんで」


 しかし、別の知人はこう切り捨てる。


「誰にでも笑顔を見せるけど、腹の底が読めない子だった。人間関係がうまくいかなくなると、急に姿を消すんだよ」


 就職先の会社では一貫して「真面目でコツコツ型」と言う評価だった。ただ、様々な男性から言い寄られては困っていたらしい。そんな彼女を助けたのが元夫だったという。


「結婚してから本性がわかったんだ。明るいときはとことん優しいのに、怒ると手がつけられなかった。結局、そこがうまくいかなかったんだ」

不機嫌そうに語る元夫は、しかしいまだ未練があるようだった。


 そして現在。ひとり暮らしをしているアパートの隣人たちは。

「毎朝きちんと掃除してる、地味で几帳面な人ですよ」


初めて一人で任された内定調査。華麗にさばいて、所長から一人立ちのお墨付きをもらう!

そう息巻いていた二週間前の私よ。すまない。私はもうダメかもしれない。

机に突っ伏す私の眼前に、書きなぐられたメモ帳やICレコーダーが横たわっていた。メモ紙を一枚、右手の指先で拾い上げてみる。


ハラリ。


埋もれていた対象者の写真がメモの裏から落ちてきた。

キレイな人だなあ。私ももう少し鼻が高くて二重まぶただったらなあ。自分の貧相な顔を触ってみるが、何も変わりはしない。寝不足で少しお肌のハリが弱い。


いかんいかん。私は椅子を弾き飛ばして立ち上がる。

ネガティブ思考退散!女は行動力よ!

私の座右の銘だ。ちなみに、座右の銘はあと10くらいある。


落ち着いて、一つずつ考えていこう。所長はいつも言っていたはずだ。人には必ず物語がある、と。物語になるよう、情報をまとめていこう。

すると、頭にピンと閃くものがあった。

対象者に肯定的な人たちは表面的な関わりに終始した男性、否定的な人たちは女性や深く関わった男性だった。

つまり、そういうことなのだ。

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調査報告書

件名:対象者(依頼人の妹と思われる人物)の経歴及び人物像について

依頼者:〇〇〇〇 様(✕✕芸能事務所 副社長)

対象者:△△ △△(生年月日不詳)

調査期間:令和〇年〇月〇日~同〇月〇日

作成日:令和〇年〇月〇日

作成者:□□探偵調査事務所

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1. 調査目的

依頼人の妹(小学生当時に生き別れた)の、現在に至るまでの生活歴および人物像を調査すること。

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2. 調査方法

• 関係者への聞き込み

• 公的記録(学籍・登記)の補足確認

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3. 調査結果(要旨抜粋)

(1) 学齢期

• 小学校関係者

o 老婦人:「読書好きで物静か、友達は少なかった」

o 同級生女性:「明るく活発、学級委員も務めた」

→評価が大きく分かれる。

• 中学校関係者

o 元担任:「成績は上。バレー部で献身的に活動」

o 同級生女子:「バレー部では幽霊部員。部長と異性関係でトラブル?」

(2) 高校期

• 隣人:「いつも違う男性と一緒。親を見たことが無い」

(3) 大学期

• サークル仲間A:「面倒見がよく、後輩から慕われた」

• サークル仲間B:「表裏があり、関係悪化時には姿を消すことも」

(4) 就職後

• 同僚:「真面目でコツコツ型」「男性からの交際申し込み多い」

(5) 結婚生活

• 元夫:「気分の浮き沈みが激しく、関係が破綻した」

(6) 現在の居住地(アパート)

• 隣人:「毎朝掃除する几帳面な人」

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4. 総括

調査の結果、対象者に関する証言は、各時代・各証言者によって大きく食い違い、一貫した人物像を得ることは困難であった。

ただし共通して確認できるのは、

• 学校・職場・地域いずれの場でも一定の存在感を示しつつ、同時に摩擦も生じていたこと

• 周囲の人々に正反対の印象を与えるほど、関係性によって態度が変化していた可能性があること

である。

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5. 調査員所見

対象者は「二面性」あるいは「環境適応的な振る舞い」を示していたと推測される。表面的には良識と慈愛の精神をもって振る舞うも、関係が深くなるほどに気性の激しさが現れていた。元夫は一番の被害者であるが、その他にも多数の男性と関係を持っていた可能性がある。

依頼人の姪であるか否かを判断するには、さらに戸籍・血縁関係の公式記録の確認が必要と考える。

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 報告書をプリントアウトし、クリアファイルに収めて所長の机に置いたとき、私はすっかり悪女を断罪する神官となっていた。胸の奥で義憤が渦巻いている。

所長は私に共感するとばかり思っていた。


 所長は眼鏡を持ち上げ、ページをめくるごとに目を細めた。最後まで読み終えると、ふっと口元をほころばせ、私に視線を向けた。


「よくやったな」


 思いがけない言葉に、胸が詰まった。


「……ヒドイ女です」


 思っていたよりもかすれた声になった。所長はゆっくりと背もたれに体を預けた。


「俺も昔、お前みたいに思い詰めたことがある」

その一言が、報告書よりもずっと深く胸に残った。


「人間というのはな、相手や場面によっていくらでも姿を変える。子どもに見せる顔と、恋人に見せる顔、同僚に見せる顔は違って当然だろう」


 私は頷いた。所長がいつも言っていることだ。耳にタコもたこ焼きもタコわさもできた。


「君は、それをちゃんと拾い上げた。だから証言が食い違ったように見えるんだ。むしろ、それが対象者の“生きてきた証”なんだよ」


 所長は机の上で指を組み、真っ直ぐに私を見据えた。

あれ。私、何か間違えた?


「依頼人が求めているのは、姪のことを一枚の写真のように切り取った報告じゃない。小学生の頃から今日に至るまで――どう生き、どんなふうに人と関わってきたのか、一つの物語として知りたいんだ」


 私の胸の奥で、なにかがはっと灯った。


「だから次は、それぞれの証言者と対象者の関係性を考えてみろ。隣人は何を見ていたのか、同級生はどんな立場でいたのか。例えば・・・・・・元夫が一番の被害者である、と言い切るには証拠が足りないな。それぞれの人間関係を差し引いて、重なり合う部分と誇張された部分を取捨選択し、一本の筋を通すんだ」


 所長の声は厳しくも温かかった。


「その仕事を通して、依頼人は姪への思いを再確認できるし、君は“探偵”としての構成力を学べる。今回の聞き込みは十分によくやった。次は、それを依頼人が受け取れる形の物語として仕立てる番だ」


私は俯きながら、ゆっくり頷いた。

腹の中の渦はいつの間にか消えて。胸を叩く震動だけが残っていた。


所長の言葉を大切に抱いて、私はデスクに並べた資料を見返した。老婦人の静かな声、同級生の笑い声、元夫の苦々しい表情……断片的な証言が頭の中で交錯する。


人はそのときの気分や立場で、同じ人物を違って見てしまう。――つまり、証言の真実性の問題だ。

私たちは必ずしも真実にはたどり着けない。寧ろたどり着けないことのほうが多い。

だからこそ、誠実に向き合い、そして、依頼人の隠れたニーズに沿う必要がある。

机の上の写真立てが夕日を反射した。そこに写る父と母、幼い日の私の笑顔が、少しだけ眩しかった。


私は証言者たちに再度連絡を取り、証言者と対象者の関係性を洗い直した。そうして、報告書をまとめ直し終わった頃には、ゆうに一ヶ月が過ぎていた。


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調査報告書(完成稿)

件名:対象者(依頼人の妹と思われる人物)の生活史および人物像(再構成)

依頼者:〇〇〇〇 様(✕✕芸能事務所 副社長)

対象者:△△ △△(生年月日不詳)

調査期間:○○○〇年〇月〇日~同〇月〇日

作成日:○○○〇年〇月〇日

作成者:□□探偵調査事務所

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1. 調査目的

依頼人が小学生時に生き別れた姪と推定される対象者について、その成長過程および人物像を明らかにし、依頼人に提示すること。

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2. 調査方法

• 関係者への聞き込み調査

• 関係記録の確認(学籍・住居・婚姻)

• 証言を整理し再構成

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3. 再構成した生活史

(1) 学齢期

小学生時より読書を好み、同時に学級委員を務めるなどリーダーシップを発揮していた。静かな側面と活発な側面を併せ持ち、状況に応じて柔軟に振る舞う性質が確認された。

(2) 中学・高校期

中学ではバレー部に所属し、仲間を陰で支える姿勢が複数の証言で一致している。高校では勉学に励み、部活動より学業を優先していた。

(3) 大学期

大学では後輩の面倒をよく見る「姉御肌」として慕われ、サークル内で信頼を得ていた。人間関係に敏感で繊細な一面もあったが、それは誠実さの裏返しと考えられる。

(4) 社会人・結婚期

就職後は勤勉で責任感ある人物として評価された。複数の男性から交際を申し込まれていたようだが、誠実さゆえに対応に苦慮していた。結婚後は外でのトラブルはなかった。元夫にはアルコールの問題があるとの情報もあり、双方に問題があった可能性がある。

(5) 現在

現在の居住地においては、几帳面に清掃活動を行い、周囲に気配りする様子が確認されている。

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4. 総括

精査を経た結果、対象者の人物像は「真面目で面倒見がよく、献身的で周囲から信頼される人柄」と整理できる。

相反する証言は一部存在したが、それらは証言者の立場や関係性による偏りの可能性が高く、総合評価には影響しない。

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5. 調査員所見

対象者は一貫して「他者に寄り添い、支えることを好む人物」であり、人生の各段階でその姿勢が確認される。依頼人の記憶にある妹像と対象者の実像は、大筋で一致する可能性が高い。

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付記:なお、証言の信憑性に関する詳細は別紙注記にまとめた(別添資料1)


(別添資料1)証言信憑性の補足

•証言者のなかには、彼女に対する他の証言と明らかに食い違う評価をするものもいた。例えば周囲が気を遣うほどの何かを発したり、異性関係が派手で毎回異なる男性と夜間に出歩いていた、怒り出すと手がつけられないなど。ただし、それらは彼女に対して個人的に負の感情があったり、証言者自身の問題を投影している(例:元夫はアルコール依存とDV歴が確認され、証言の中立性に欠ける)可能性が推察された。

以上を理由に、これらの証言は主要な人物像の構成からは除外した。

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夜の事務所は、ようやく静けさを取り戻していた。

新人の彼女は、報告書を仕上げた達成感を胸に、明るい声で「お先に失礼します」と言って出て行った。ぎこちないながらも晴れやかな笑顔を見せていたのが、所長には何より嬉しかった。


酸味の効いたコーヒーが湯気をたてる。

 「……若いっていいな」


 小さくつぶやきながら、所長はソファに腰を下ろし、書類の山を横に押しやった。コーヒーのカップを片付け、帰り支度を整える。長い一日だった。


 事務所を出る直前、ふと気づく。奥の棚の上に置かれた小さなテレビが、まだつけっぱなしになっている。画面には夜のニュース番組。デジタル時計が「23:00」を告げていた。


 ――「続いてのニュースです。結婚詐欺の疑いで、三十代の女性が逮捕されました」


 キャスターの淡々とした声に、所長は足を止める。画面にはモザイクのかかった女性の姿が映る。


 「警察によりますと、女性は複数の男性から合計数千万円に上る金銭を受け取っていた疑いが持たれています」


 次々と映し出される映像。女性と交際していたとされる男性たちが、顔を伏せてインタビューに答える。


 「とても真面目で優しい、キレイな人でした。困っていると、必ず支えてくれる……だから、信じてたのに」


 続いてコメンテーターが口を開く。


 「こうしたケースでは、“献身的な仮面”が鍵になります。一見すると真面目で優しい。しかし内面は、時に衝動的で破滅的。男性との関係に飽きたり鬱陶しくなると、あっさりと断ち切る。結果的に結婚詐欺と認識され、今回の容疑につながったと考えられます」


 所長は眉をひそめた。

 画面に映る女性の“表面的な評価”は、つい数時間前まで自分が新人の報告書で読んでいた人物像と、驚くほど似ていた。真面目、優しい、献身的――だが、裏側には全く逆の顔。


「ただね、今回のケースは証拠が不十分でもあり、検察は不起訴にする可能性もあ・・・」


 語気を強めたコメンテーターの声はなおも流れ続けていたが、所長はそっとリモコンを手に取り、スイッチを切った。

 事務所は再び暗闇に沈む。窓の外には深夜の街のネオンがちらちらと瞬き、彼女の机の上には修正された報告書がほのかに色づいていた。


一つの報告書が描く「物語」と、テレビが映す「もう一つの現実」。報告書の光と影を見比べると、新人の笑顔がふと脳裏をよぎった。所長は自分の過去の案件をふと思い出した。

どんな報告書にも、語る物の祈りが滲むのだと、静かに思った。あの頃、自分は何を祈っていただろうか。過去の自分は優しく微笑むだけだった。


――――――――――――――――――――――


◆あとがき


「報告書」という形式を借りて、事実と真実のあいだにある“揺らぎ”を描いてみました。

人の証言は、どれもその人自身の鏡のようなものかもしれません。

同じ人物を語っていても、見える景色はまるで違う。


本作は連作短編の第5話にあたります。

前作『鬼とわたし』では「他者との絆による成長」を、

本作では「他者を見つめることで自分を知る」というテーマを中心に据えました。

もし楽しんでいただけたなら、次作『光のほうへ』で

少しだけその“答え”に触れていただけると思います。


読んでくださって、ありがとうございました。

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