第48話

「死ねェェ!!」


シャチ海賊が地面を抉る勢いで突進してきた。

巨体とは思えない速度。

質量と殺気が一直線にハロルドへ迫る。


兵士たちは誰もが思った。


──大佐は真っ二つにされる、と。


しかし。


ハロルドは、心底だるそうにため息をつき、

“やれやれ”とでも言うように腰のサーベルを抜いただけだった。


次の瞬間。


月光が、何か細いものを何度も反射した。


兵士にも、シャチにも、それが何か見えない。

ただ、“光の線”が空気を裂いたのだけはわかった。


「……ぐ、あ……っ」


突進していたシャチが、唐突に止まった。


斧を取り落とし、胸を押さえ──

一歩、二歩と後ずさり、

最後に大地を揺らすほどの轟音を立てて倒れ込んだ。


腹から胸にかけて、何本もの細い切創。

血が噴き、石畳を赤く染める。


兵士は誰一人として、ハロルドの剣筋を見ていなかった。


それほど速かった。


ハロルドは刃を軽くひと振りして血を払うと、

本当に世間話のような調子で言った。


「お母さんに言われなかった?

 海の近くで走ると危ないってさ」


静寂が落ちた。


誰も動けなかった。


そしてようやく、兵士達は理解した。


──この男はついていけば勝てると。


「さてと……んじゃ、まぁ〜……船に急ぎますかねぇ」


あれほどの剣技を披露した直後とは思えないほど、

ハロルドは肩こりを気にでもするように肩を回した。


──そこで気づく。


兵士たちの視線が、妙だ。


全員、目をキラッキラに輝かせてハロルドを見ていた。


「……え、何? どうしたのお前ら?」


すると隊長格の海兵が、胸を張って叫ぶ。


「自分たちは確信しました!

 大佐殿と共にあれば、海賊など恐るるに足りません!!」


「「「おおおおーー!!!」」」


士気爆上がりである。


「そ、そう……やる気になってくれて……よかったよ……」


ハロルドは乾いた笑みを浮かべて歩き出した──が。


兵士は、ついてこない。


何かを期待するように、そわそわ、うずうずしている。


(……ああ、やっぱり、アレやんないと駄目か……)


深いため息と共に、ハロルドは諦めた。


「え〜っと……

 忠勇なる海兵諸君……」


兵士たちは背筋を伸ばす。


「我が王国の敵を──討ち滅ぼさん……」


空気が震える。


「全軍……」


兵士たちは息を呑む。


「……突撃ぃ……」


「「「アルケイン王国万歳ーー!!!」」」


雄叫びと共に海兵たちは勢いよく駆けだし、

ハロルドを置いて港へなだれ込んだ。


残されたのは、大佐ひとり。


彼は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつける。

赤い火が、疲れた顔を一瞬照らした。


「……だから嫌なんだよなぁ……都会はよ……

 田舎、帰りてぇ……」


ぼやきながら、トボトボと歩き始めた。


その背中は、なぜか誰よりも頼もしかった。




「ん? あれは……」


沖に浮かぶ小舟の上で、ヴェロニカは遠眼鏡を細めた。

街の通りから兵士たちが雪崩のように走り出てくる。


「増援……? ちょうど潮時ね」


計画通り。

勝ち逃げするには十分な損害を与えた。

海賊は所詮、正面戦闘では軍隊に敵わない。

ヴェロニカは冷静に撤退判断を下す。


「撤退よ! 船の破壊を最優先にして──」


くるりと振り返ると、


「……ん? ちょ、ちょっと? どうしたの?」


メアリードが身体を抱えるように震えていた。

恐怖ではない。

火がついたような興奮。


「すげぇ……すげぇぞヴェロニカ!!

 アタイは……あんたを気に入った!!」


「は?」


メアリードの瞳は完全に血走っていた。


「戦列艦から逃げるんじゃねぇ!

 逆に襲いに行く大胆さ!

 手薄な場所だけ狙う狡猾さ!

 たまんねぇ!! 最高だ!!」


両腕を振り上げ、歓喜の雄叫び。


ヴェロニカは海賊達に助けを求めるように問い詰めた。


「な、何よこの子!?」


「しゃあねぇんだよ、姐さん。

 船長が“こう”なっちまったら、もう止まらねえ」


「暴れ足りねぇと寝れねえんだ。だから“噛み千切り”なんて二つ名つくんだよ」


シャチ海賊達が苦笑しつつ肩をすくめる。


その瞬間──


ガシィッ!!


「ひゃ!? な、なにをするのよ!!」


メアリードがヴェロニカの腰を掴み、

そのまま背びれに彼女をしがみつかせるようにロープで固定し始めた。


「ヴェロニカ!!

 あんたも退屈だったんだろ!?

 なら、アタイらと一緒に暴れようぜ!!

 アタイの泳ぎは荒っぽいからな。こうすりゃ安心だ!!」


「あ、暴れるって……いや、ちょっと、やめ──」


メアリードは構わず雄叫びを上げた。


「行くぞォ!!! 野郎共!!

 根こそぎ全部、奪い尽くせ!!」


「おおおおおッ!!」


シャチ達の咆哮が海を震わせる。


「ちょ、やめて! やめなさ──

 いやぁぁぁぁあああ!!」


ヴェロニカの悲鳴が、

メアリードの背にしがみついたまま夜の海へと吸い込まれていった。


海面が割れ、白い水飛沫が月光を反射する。


──シャチ海賊団の全力突撃。

波しぶきを上げ、目指すは戦列艦。



フリゲート艦クレスト号の甲板上の戦いは、すでに終わっていた。


海兵の多くは倒れ、

生き残った者たちは武装を奪われ、縄で縛られて甲板に転がされている。


夜風に、血と火薬の匂いが混じっていた。


「ふぅ……中々、粘られたな」


ライカは額の汗を拭い、死体を跨ぎながら辺りを見回した。


「後は船内だけだな」


海賊の一人が、甲板を蹴りながら言う。


「これだけ表に出てきたんだ。中は、ほとんど空っぽだろ」


彼らの声には、勝利の手応えがあった。

もう“戦い”ではない。“仕上げ”の段階だ。


「ヴェロニカ様は、船の破壊を優先していた」


オイレが静かに言う。


「爆薬は、まだあるのか?」


「おう。問題ねぇはずだ」


海兵たちも優秀であった。

戦列艦に取り付いた爆破班は海に撃ち落とされるか、避難していた。

海賊が海へ向かって声を張り上げる。


「おーい! 誰か残ってねぇか!」


縄梯子を伝い、

鯱族特製の防水鞄を背負った海賊が甲板へ上がってきた。


「呼んだかい、兄貴?」


シャチとしてはやや小柄な男だった。


「悪いな。こっちを先に片付ける。火薬は?」


「あるある。たっぷりだ」


火薬袋を取り出しながら、上機嫌に笑う。


「さすがだな。海兵をここまで一気に片付けるとはよ」


その様子を見て、縛られた海兵たちがざわめいた。


カーターが本を開き、淡々と言う。


「船内の火薬庫に仕掛けましょう。

 構造的に、その方が沈みやすいです」


本の挿絵には、艦内部の断面図が描かれていた。


その一言で、空気が変わる。


「な……っ!?」


海兵の一人が叫ぶ。


「我々は降伏した!

 船に火を放つ気か!?

 ここに縛られたまま……我々はどうなる!!」


誰もすぐには答えなかった。


獣人ビースト・マンたちは、甲板に転がる海兵たちを見下ろし──

そして、笑った。


嘲笑ではない。

当然のことを当然だと思っている顔だった。


「艦と運命を共にする」


海賊の一人が、楽しげに言う。


「これほど、海兵冥利に尽きる最期もないだろ?」


その言葉で、

海兵たちはようやく理解した。


――降伏は、終わりではなかったのだと。



──続く。

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