第49話
そんな中、ライカは一人、動きを止めていた。
騒がしい戦場の甲板で、
まるで音のない場所に立っているかのように。
耳が、ぴくりと動く。
鼻先が、空気を嗅ぐ。
「……」
ライカの視線は、
燃える港でも、倒れた海兵でもなかった。
「ライカ。どうした? 早く行くぞ」
オイレが声をかける。
だが、ライカは返事をせず、
“ここではないどこか”を見つめていた。
「……オイレ……」
低く、噛みしめるような声。
「ここは任せた。ウチは――あそこに行く!」
言い終わるより早く、ライカは駆け出した。
メインマストに跳びつき、
索具を蹴り、横梁を走る。
一瞬、夜空に身体が浮かび――
飛んだ。
燃え盛る港を背に、
彼女は戦列艦へと飛び移る。
「おおっ! すげえじゃねぇか!」
海賊たちがどよめく。
だが、オイレは眉をひそめた。
「勝手なことを……
ヴェロニカ様は、こんな独断を許さないはずだ」
「──急いだほうがいい」
唐突な声。
皆が振り返ると、
闇を裂くように甲板へ降り立つ影があった。
ヒエンだ。
「街から、海兵の増援が集まり始めている」
淡々と、しかし重い声。
「あと半刻もしないうちに、
ここは“海兵の海”になる」
海賊たちの空気が、一変する。
「オイレさん」
カーターが一歩前に出た。
「ここは僕たちでやりましょう。
火薬を仕掛けるだけです。なんとかなるはずです」
オイレは一瞬、目を閉じ――
「……仕方ない」
短く息を吐く。
「すぐ取り掛かるぞ!」
その言葉と同時に、
彼女たちは甲板を蹴り、船倉へと向かった。
それぞれの戦場へ――。
「クソッ……調子に乗りやがって……!」
シャチ族の海賊が血を吐くように吐き捨てた。
マックス。
“大海の咆哮”旗艦乗組員。
腕っぷしだけで、この地位までのし上がった男だ。
――いつもなら、こんな数、問題じゃなかった。
「敵は怯んでいる! 攻撃を緩めるな!」
海軍士官の号令が飛ぶ。
海兵たちは、先ほどまでの混乱が嘘のように整列し、
槍を構え、半歩ずつ前へ出てくる。
(……違う)
マックスは歯を食いしばった。
(コイツら……逃げ腰じゃねぇ)
「マックス! 数が多すぎる! 引くぞ!」
仲間のルーカスが叫ぶ。
「ふざけんな!」
マックスは怒鳴り返した。
「船長の船に乗る俺達が、真っ先に逃げられるかよ!!」
一歩、踏み込む。
――その瞬間だった。
「ぐっ……!?」
脇腹に、鈍い衝撃。
海兵の槍が、鎧の隙間を正確に突いていた。
「……ッ、やりやがったな……!」
マックスは剛腕を振るう。
だが、海兵は深追いせず、半歩下がる。
槍を捻り――
肉を、裂いた。
「放て!!」
士官の声。
次の瞬間、甲板に低い衝撃音が連なった。
ウィンドラスクロスボウ。
船舶戦用に改造された、王国海軍の射撃兵器。
「ガ……ハッ……!」
ボルトが、マックスの腕を、胸を、貫いた。
巨体が、ぐらりと揺れる。
「マックス!!」
ルーカスが駆け寄ろうとする。
だが――
「止まれ!」
海兵たちが壁のように立ちふさがる。
「膝をついたぞ! 分隊、突撃!!」
前へ出たのは、周りの海兵とは明らかに違う兵士たちだった。
軽装。
短い剣を二振り。
狭い甲板、艦内戦を想定して鍛え上げられた――
海軍突撃剣兵。
「ギ――――――ッ!!」
剣が、肉を裂く音が重なる。
マックスの咆哮は、断末魔へと変わった。
「……マ……マックス!!」
伸ばされた手が、
誰にも届かず――
甲板に、力なく落ちた。
「……いいじゃない。いいじゃない。
みんな、がんばってるね~」
戦場に似つかわしくない、気の抜けた声。
だが――
その声は、不思議なほどよく通った。
叫んでいるわけでもない。
怒鳴っているわけでもない。
戦場の音が、
その瞬間、わずかに沈んだからだ。
「シャチは化け物だ。
でもさ、無敵じゃない」
淡々とした声。
「ちゃんと数を揃えて、ちゃんと当てれば、倒せるんだよ」
金糸で縁取られた海軍士官服。
普段はだらしなく着崩しているそれが、
今はなぜか――英雄の余裕に見えた。
ハロルド・フェンリック海軍大佐。
この戦場に、
“格”が一段、降りてきた。
「……クソッ」
海賊たちが、無意識に一歩、二歩と下がる。
それを見逃さず、
海兵たちは自然と距離を詰めていく。
「さぁ、夜も更けた」
ハロルドは、あくびを噛み殺した。
「さっさと仕事を終わらせよう。
俺、もう眠いんだ」
そして――
「全隊、突撃」
まるで、
今日の予定を片付けるかのように。
何事もない調子で、
勝敗を確定させる命令を下した。
海賊は、海兵に押しつぶされる。
そう――誰もが思った、その瞬間。
「うらぁあああ!!」
夜空を裂く咆哮。
声が届くより早く、
影が――ハロルドの間合いに踏み込んでいた。
ハロルドは即座にサーベルを引き抜き、空を払う。
甲高い金属音。
斧とサーベルが噛み合い、火花が散った。
「チッ……!」
乱入者は舌打ちし、跳ねるように距離を取る。
「外したか」
「……いてて」
ハロルドは手首を軽く振った。
「ずいぶん力持ちだね。
でもさ、奇襲のときに声は出さないほうがいいと思うな~」
冗談めかした口調。
だが、その視線は完全に相手を捉えていた。
「シャチじゃないね」
彼は、そう言った。
「どうしたの? 道にでも迷った?
残念だけど、海兵は道案内できないんだ」
まるで、迷子に言い聞かせるような優しい声。
「街の衛兵に聞くといいよ」
その言葉を遮るように、
斧が静かに持ち上がる。
「狼族戦士――ライカ」
短く、名乗る。
「大将首を、頂く」
その視線は、ハロルドを“敵”としてではなく――
“獲物”として捉えていた。
「新手だ! 囲め!!」
海兵たちが一斉に動き、
槍先がライカを包囲しようとした、その瞬間。
「――だめだめ」
間の抜けた声。
ハロルドが、軽く手を上げた。
「女の子に寄ってたかってなんてさ。
見てて気分が良くない」
その手が上がっただけで、
海兵たちは足を止めた。
「君たちはシャチに対応」
視線は逸らさず、淡々と。
「彼女は――俺が相手をするよ」
海兵が一人、喉を鳴らす。
囲めば勝てる。
だが囲めば、シャチ側が息を吹き返す。
それが分かっているからこそ、
誰も逆らわなかった。
「へぇ~」
ライカが、口角を上げる。
「ウチは別にいいんだけど?
全員でかかってきてもさ」
斧をくるりと回し、
まるで玩具のように弄ぶ。
「君さぁ……」
ハロルドは困ったように頭を掻いた。
「なんだよ?」
「おっとりしてるっていうか、
話を聞かないっていうか……」
「回りくどいな。何が言いてぇんだ?」
「バカって、言われない?」
一瞬、空気が張り詰める。
「……あ?」
ライカの笑みが、
わずかに――獣のそれに近づいた。
ハロルドは、静かにサーベルを抜く。
「君一人ならさ」
剣先が、ライカを正確に捉える。
「俺だけで、十分だから言ってるんだよ」
「ふざけんな!!」
ライカが地を蹴る。
両手の斧を合わせ、
獣人の膂力を余すことなく乗せて振りかぶる。
「やれやれ……」
ハロルドは、ため息混じりに構えた。
「もっと、おしとやかにしなさいよ」
振り降ろされた斧。
だが――
サーベルが、
“そこにあるはずだった重さ”ごと、流した。
「……チッ!」
手応えが、無い。
刃が当たったはずなのに、
斧は空を切り、身体が前へ崩れる。
(……見切られてる)
瞬時に判断し、ライカは蹴りを放つ。
だが、ハロルドは一歩、引いただけだった。
風を蹴る感触。
「ほら」
低い声。
「隙あり」
次の瞬間、
腹部に衝撃。
「――ぐっ!」
息が詰まり、ライカは後方へ跳ね退く。
「一合、打ち合ってわかったでしょ?」
ハロルドは、構えを解かないまま言った。
「君じゃ、俺には勝てない」
甲板に、どよめきが走る。
「はいはい」
ハロルドは振り返り、手をひらひら振った。
「見世物は終わり。
さっさと仕事に戻っておくれよ」
命令ではない。
だが、海兵たちは自然と戦線へ戻っていった。
――この場の“主”が、誰かを理解したからだ。
──続く。
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