第47話

「いいわね……いいわね!!

 いけ! そこよ! やっぱり襲撃はこうでなくっちゃ!」


夜の海に浮かぶ小舟の上で、ヴェロニカが遠眼鏡を握りしめ、

まるで遊園地ではしゃぐ子供のように飛び跳ねた。

跳ねるたびに小舟がギシギシ揺れる。


燃え上がる海軍艦隊。

その光が海面に赤い帯となって伸び、揺れていた。


「ほぉ〜……こいつは見事だねぇ。

 兵が手薄になるって、最初から読んでたのかい?」


横でメアリードが感嘆の息を漏らす。


「当たり前じゃない。辛い航海のあとにシャチとの戦闘があるんだもの。

 士気維持のために休息は絶対必要よ!

 ほら見て! あそこで三人まとめて吹っ飛ばされたわ! 最高!!」


嬉々として遠眼鏡を振り回すヴェロニカ。

そのテンションに、周囲の海賊たちは笑みを浮かべていた。


夜襲は完璧に成功していた。

目立つ海賊船は沖合に隠し、小舟で静かに接近。

そこからはシャチ達が音もなく海中へ潜り──

高速泳法で一気に戦列艦へ取りついた。


爆発と怒号が夜の海に響く。


「ふ〜む。あんた……海賊の経験でもあるのかい?」


メアリードがちらりと横目で見る。


「少しだけね。“大物”を狙ったことがあるのよ。

 でも、軍の偽装輸送船で……中には“戦車”っていう恐ろしい兵器が満載で……。

 危うく蜂の巣にされるところだったわ!」


ヴェロニカが悪びれもなく笑うと──


メアリードの目がまん丸になった。


「ハッハッハ!! 正規軍の輸送船を襲ったって!?

 こいつは驚いた! 肝の太さは本物じゃねぇか!!」


豪快に笑う船長につられ、海賊たちも笑い出す。


海が揺れる。

小舟が揺れる。

そして──港に停泊している戦列艦すら、爆発で身震いしていた。


海は赤く、夜は騒がしく、襲撃はまだ終わらない。




「小隊、構え! 狙え!!」


フリゲート艦クレスト号の甲板に号令が響いた。

海を挟んだ先では、戦列艦の側面にしがみつき、

火薬箱を仕込むシャチの海賊が蠢いている。


海兵曹長は汗をにじませながらサーベルを掲げた。


「外すなよ……あの爆薬が通れば戦列艦は終わりだ!」


兵たちは手摺にクロスボウを固定し、一斉射撃の瞬間を待つ。

息を呑む緊張が走った。


──本来ならば。


「放て――!」


そう続くはずの号令を、別の音が断ち切った。


「ぐあッ……! ぁ、く……獣人……が……っ!!」


甲板に重い音が落ちた。

兵士たちは照星から顔を上げる。


曹長の胸元──

斧が深々と突き刺さっていた。


「遠くから狙い撃ちなんてさ、卑怯だろ?」


甲板の縁。

月を背負って立つ影。


狼耳、滑らかな毛並みの尻尾、獰猛な笑み。

ライカだった。


兵士の数人が後ずさる。


「ば、バカな……さっきまで姿が……!」


戦闘の最中、彼女は既に海を渡っていた。

シャチ獣人の背に乗って。


視界の端で、縄梯子が甲板にかかっているのが見えた。


続いて──

梟のオイレが無音で着地。

猫のカーターが軽く身を翻して上がる。

そして海面が盛り上がり、シャチの大男たちが次々に姿を現す。


甲板が揺れた。

兵士は恐怖で喉を鳴らす。


「そ、総員ッ! 抜剣!

 近接戦闘ぉーーー!!」


叫ぶ声は震えていた。

次の瞬間、剣と獣の咆哮が、夜の海を裂いた。




「おいおい……マジかよ……」


港で炎を噴く艦隊を見上げ、ハロルドは気の抜けた声を漏らした。

だが、その目だけは状況を冷静に測っていた。


「そ、そんな……我々の船が……」


隣の兵士は足を震わせ、呆然と立ち尽くす。


そこへ別の兵が駆け込んで来た。


「た、大佐! ハロルド大佐!」


「状況は?」


短く、乾いた声。さっきまでの覇気の無さが跡形もない。


「はっ! 戦列艦ミホーク号、船上で海賊と交戦中!

 フリゲート艦クレスト号も取りつかれました!

 スループ艦ライラック号は船底に大穴……浸水が激しく、沈没寸前です!」


戦況は壊滅的。

兵の声も震えていた。


「……で、フリゲート艦リンドル号は?」


淡々と質問が続く。

ハロルドの脳内はすでに戦況図を書き始めていた。


「リ、リンドル号は哨戒任務中で、港には——」


「そんなこたぁ知ってる!!」


珍しく語気が跳ねた。

兵が肩をビクリと震わせる。


「直ちに呼び戻せ! 今なら海賊の退路を塞げる!

 魔法海兵に伝令魔法を使わせろ。ぶっ倒れる寸前まで魔力を絞り出させるんだ!」


兵は唖然とし──そして、


「は、は、はいっ!!」


敬礼も忘れて駆け出していった。


ハロルドは舌打ちをし、髭を指で掻く。


「チッ……こんな夜襲、シャチ相手に本当にやられちまうとはね。

 やれやれ……今日は寝れそうにないな」


彼はタバコを咥え、火を付けて、煙を吐く。

その声は、妙に落ち着いていた。

嵐の中心だけが静かなように。


「大佐! 遅くなりました!」


街路から兵士たちが走り込んでくる。

呼集の号令を聞いて慌てて集まった者たちだが──


「……? なんだよ。ずいぶん数が少なくねぇか?」


ハロルドが片眉を上げた。


先頭の兵士はバツの悪そうな表情で答える。


「そ、それが……深酒して動けない者や、

 娼館に行ったまま戻らない者もおりまして……

 ただいま、ミルディン軍曹が街中を駆けずり回っております!」


港の惨状を前にしてもなお、この体たらく。


ハロルドは頭を抱え、深く長いため息を吐いた。


「そっちの方が楽しそうだなぁ……俺もそっち行っていい?」


あまりにも締まらない冗談。

兵士達は「どう返すべきか」と互いに目を見合わせる。


ほんの数秒の“気の緩み”だった。


「なんだよ。つれねぇじゃねぇか?」


低く、湿った声が混ざった。


「せっかく見つけた 大将首 だってのによォ──」


兵士たちが一斉に動きを止める。


海面の向こう。

月光を弾く水滴をぽたぽたと落としながら、黒い影がぬっと姿を現した。


シャチの海賊だった。


大気そのものが冷え込む。


水飛沫を引きずる腕は丸太のように太く、

背びれが月に照らされ、獰猛な輪郭を浮かび上がらせている。


「……っ!! け、警戒──!」


兵士が叫ぶよりも早く、ハロルドは煙草を指で弾いた。


薄く笑いながら、しかし瞳だけは鋭い。


「おいおい……

 ほんっと、今日は働かせるねぇ。俺、残業代出ないんだけど?」


彼だけが、ただ一人、まったく動じていなかった。


「へへへ……俺ぁ、ついてるぜぇ〜」


シャチの獣人じゅうじんは水を滴らせたまま、斧をゆっくりと抜き放った。

月光が刃を鈍く照らす。


「大将首を独り占めできるとはなァ。

 お前の首を船に持ち帰りゃ、俺にも一隻任される。

 安心しろよ……船首像にしてやる。

 ずっと海風に吹かれてろ、“大佐”よォ!」


兵たちの喉が一斉に鳴った。

斧の先端が、ピタリとハロルドの胸元を指す。


しかし──


「……はぁ〜……はいはい。

 それはそれは……“光栄”なことで……」


ハロルドは、見事なまでに無感情なため息をひとつついただけだった。


だが兵士達は血相を変える。


「大佐殿をお守りしろ!!」


彼らは慌てて前に出て壁になる。

その背中は震えていた。

相手は噂に聞く“シャチ”。

真っ向勝負では到底敵わない。


だが。


ハロルドは兵士の肩に静かに手を置いた。


「──危ないからさ。下がってな」


ぽん、と軽い音。


兵士は目を見開き、思わず足を引いた。

それは「弱気になった」のではない。

ハロルドの“異様な気配”に本能が反応したのだ。


たった一言。

たった一動作。


それだけで、空気が変わった。


海風すら一瞬だけ止まったように思える。

シャチの獣人じゅうじんでさえ、笑みをわずかに引きつらせる。


「……なんだぁ? 急にやる気かよ? 大佐さんよォ」


しかしハロルドは答えない。

片手で襟元を整え、まるで散歩の続きでもするかのように、前へ歩み出た。



──続く。

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